教育の境界線|厳しさと威圧⑥ 返事をしない子に、返事をするまで問い続けてよいですか?
注意を受けた子が、黙ったまま下を向いている。
教員は「分かりましたか」「返事は」と繰り返す。
私は、指導を受けたときに返事を求めることは必要だと思う。
返事は、教員の機嫌を取るためだけの形式ではない。
相手の話を受け取ったことを示し、その場の関係を前へ進めるための行為である。
注意されたから黙り込み、時間が過ぎるのを待てばよいという態度を認め続ければ、自分の行動に向き合う力は育ちにくい。
返事を求められることが不快でも、その不快感を越えて応答する経験には意味がある。
「分かりました」
「納得できません」
「今はうまく話せません」
内容は一つでなくても、自分の状態を相手に返す責任はある。
だから、「黙ったままでは終わりません。今、何を受け取ったかを言葉にしてください」と厳しく求めることはある。
声が小さければ、相手に届く声でもう一度言わせることもある。
これは厳しさである。
目的が、服従の形ではなく、対話に戻る責任を果たさせることだからだ。
ただし、返事がない理由は確かめなければならない。強い不安で固まっている、言葉を整理できない、場面緘黙などの困難があるなら、少し待つ、後で話す、紙に書くといった方法を使う。
それでも「応答しなくてよい」とはせず、本人に可能な形で必ず応答を求める。
反対に、顔を近づけ、教員が望む言葉を言うまで同じ問いを重ねる。
納得していないのに「分かりました」と言わせ、泣くまで追い込む。
返事の内容よりも、教員に屈した姿を求める。
それは威圧である。
厳しさと威圧の境界線は、本人に可能な形で対話へ戻る応答を求めるのか、教員が満足する服従の言葉を出すまで追い込むのかだ。
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