読書リハビリ:精選日本随筆選集「歓喜」
入院中に少しずつ読み進めたエッセイ集、わずかに残して帰宅したがほぼ入院中に読んだ。
長い小説よりも、エッセイ集の方が術後の状態では読めるのではないかと思い持って行ったのだ。
これくらいの重厚さがある方が、看護婦に対しての見栄えが良い。なんてことはなく読んでいた本については全く触れられることはなかった。
歓喜
前作の「孤独」に続く選集の二作目。
今回もあまり触れてこなかった文豪たちの随筆が多数掲載されていて、沢山の著者がいるおかげで一作ごとに区切って読みやすく、気分も変わるという非常に入院向きな選集であった。
入院中に読むものとして、エッセイ集、複数の著者の作品がまとまった選集が良いというのは今回の発見である。
(同じように考えてベストエッセイも持って行ったが流石に手を付けられなかった)
これを読んでいたのは主に術後だったのだけど、これを読んでいる間は痛みを忘れる。というようなことはなく、痛み止めを飲んだ後のみ読めた。
流石に術後の読書は難しかった。
具体的にはこんな感じであった。
入院初日(読める!)
手術日(痛い!読めるわけがない)
術後1日(痛み止めが効いていれば読める!)
術後2日以降(割と読める、集中しすぎて読書体勢が傷に触ることあり)
退院前はとにかく時間があった。読書をし過ぎて眠くなり、夜眠れないのは嫌なので少し散歩するいう流れだった。
読み終えてやはり心に留ったものをいくつか。並べてみると薄田泣菫が三作もある。大きな仕掛けがあるわけではなく、素朴なのだけどとても心に残ったのだ。これは別途追ってみたい作家を見つけたのだ。嬉しい。
「藪塚ヘビセンター」武田百合子
武田百合子はエッセイの名手である。というのは知っているのだけど、一番有名な富士日記も読んだことはなく、気にはなっていたけど読んだことのない作家の一人だった。
この選集の最初がこの「藪塚ヘビセンター」だった。
まずヘビセンターというものに興味が湧いた。
読み進めるとやはり面白い、淡々と描かれているようであり、その情景がとても愉快に頭に浮かんだ。
富士日記はいつか読むだろうと思っていたけれど、このエッセイのおかげで読む時が少し近づいたかもしれない。
本自体は本棚にあるのだ。妻が持っていた文庫本が。
「或る田舎町の魅力」吉田健一
吉田健一もエッセイの名手だ。それは知っている。
しかしどこかで目にした一編程度しか読んだことがなかった。
前述の武田百合子と同様に、いつかは読むだろうなと思っていたのだけど、このタイミングでようやく対面したというところだろうか。
吉田健一は旅を愛したとのことで、旅にまつわるエッセイも多数あるようで、これもその一つ。
私がいつか乗ってみたいなと思っている八高線で児玉というところへ行った話だった。
なんとなく、目的地はないのだけど八高線に乗って高崎まで行って帰ってくるというのをやってみたい。(高崎は目的地ではなくても良い、ただ帰りの利便性の高さがある)
なんて思っていたのだけど、このエッセイを読んで児玉を目的地にしてもいいかもしれないと思った。
妻の実家が群馬であるため、車で圏央道から鶴ヶ島を経て関越道に入り群馬へ向かったことが何度もある。
一人で運転して行ったことも、家族で行ったことも、大雨の中行ったこともあったあのルート。
それを八高線でのんびりと景色を眺めながら行ってみたいと思っている。
その時はこの文庫本を持っていくことになるのだろう。
「ぼんつく蓼」薄田泣菫
蓼(たで)がどういうものかよく知らずに読んだ。
どうやってか庭にはえてきた蓼、料理に使ってみたら辛味が全くなかったとのこと。
そういう使い用のない蓼のことを「ぼんつく蓼」というそうで。
「ぼんつくの一本くらいあったっていい。」という言葉がなぜかとても心に残った。なんてことのないとても短いエッセイであったけれど、これが一番強く印象に残っている。
「多羅葉樹」薄田泣菫
草木を愛でる薄田泣菫の話は続く。
情景描写も素晴らしく、読んでいて心地よい文章というのが、ここでも堪能できた。
そのうえで、この話の結びも良い。
そんなに草木に執心するなら、後の世ではきっと草木に生を享けるぞと言われたところで、別に驚きもしない。
万一そんなことがあったとしても、私はまた自分のような草木好きな人を見つけて、その人の心のなかに棲むことを知っているから。
草木を愛し、草木になってもなお、草木を愛する誰かと心を通わす。
すなわち、今目の前の草木も草木を愛した誰かであるのかもしれない。
草木を愛し、草木に愛された男。
「柿」薄田泣菫
選集孤独でも柿の話はあった。
昭和の時代、柿はもっと身近なものだったのかもしれない。
私の通学路にもあったような記憶はあるが、柿があるような広い庭のある家は近所にはなかった。
柿が沢山なるように、父と一緒に鋸を持って、霜月の亥の子に行われる儀式。
父は鋸を手に、私はまた手ぶらでその結実の乏しかった柿の木の下に立った。
「なるか。ならぬか。ならぬともう切り倒してしまうぞ。」
父は脅しつけるように鋸の腹で白く干割れた樹の肌をこつこつと敲いてみせた。私は予て教えられたとおりに木になり代わって言った。
「なります。なります。来年はきっとなりますから、切り倒すことだけはお免し下さい。」
「そんなら待とう、来年まで。」
そんな風景があったのかと、愉しげなその寸劇を想像する。
その豊かな風景が想像できるうちは、その風景は失われていないのかもしれない。
薄田泣菫の三篇がとても良かったので、何かしら文庫本などないものかと探してみる。
青空文庫にこの三篇を含む「独楽園」があった。そうかこういう過去の作品はいつでも読める世の中なのだった。
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そんな日が来るとは思わずにいた。
終わらないPsychedelic Dreamが明けるかもしれません。