One Day その時僕はラジオの現場にいた 第一章 AD時代 第6話 一本立ち
先輩ディレクターであるH.Hさんの指導のもと、僕はADとしての仕事を覚えていった。
OJTが何回あったのかは、もう正直よく覚えていない。5回くらいだっただろうか。一週間ほどかけて、基本的な作業を教わった。
テープを差し替える。
CDをセットする。
レコードを並べる。
新聞を取りに行く。
軽食を用意する。
作業そのものは教わった。けれど、今振り返ると、本当に学んでいたのは別のことだったように思う。
心構えだった。
それも言葉で教わったのではない。
背中を見て覚えた。
パーソナリティーが原稿ではなく、自分の言葉で何かを語る。
するとH.Hさんは大きくうなずく。少し大げさなくらいに。
まるで「それだよ」と言っているようだった。
リスナーへ届く言葉を、まず現場のスタッフが受け止める。
共感する。
寄り添う。
リアクションは素早く。
伝えたいことは必ず伝える。
それもまた、生放送の演出だった。
もちろん意見や解釈が違うこともある。
けれど、まず受け止める。
放たれた言葉は戻らない。必要なら後で補足や訂正をする。
でも、その瞬間に否定はしない。
その姿勢は、後の僕に大きな影響を与えた。
ディレクターは演出家であると同時に、パーソナリティーの最大の理解者でなければならない。
今思えば、テープの扱い方よりも、人との向き合い方を学んでいたのかもしれない。
僕はそう学んだ。
当時の僕が知っている「演出」の世界といえば、大学の自主映画だった。
映画の現場には監督がいる。絶対的な演出家だ。
役者は監督の意図を受けて演技をする。
もちろん現場によって違うのだろうけれど、少なくとも僕の知っている世界はそうだった。
けれどラジオは少し違った。
ラジオは聴覚だけで成立する。スタッフも少ない。
そして僕が最初に関わったのは生放送だった。
映画というより演劇に近い。
そんな印象を持った。
ニュース。
交通情報。
天気予報。
CM。
絶対に外せない要素がある。
けれど番組そのものは生き物だった。
雨が降る。
雲が出る。
交通情報が変わる。
パーソナリティーが予定外の話を始める。
そのたびに番組は姿を変えていく。
だから面白い。
だから難しい。
そして、その日がやってきた。
僕はついにADとして一本立ちすることになった。
これからは、自分で準備をしなければならない。
自分の判断で現場を支えるのだ。
不安だった。
だから、あんちょこを作った。
何を。どんな順番で。いつまでに。
書き出して持ち歩いた。
そして迎えた、最初の一人の日。
まだ外は暗く寒かった。
いつもより早く家を出た。
遅刻するわけにはいかない。
いや、遅刻以前に、何か忘れる気がして仕方がなかった。
スタジオへ入る。
まだ誰も来ていない。
静かなスタジオは、見学の時とも、本番中とも違う顔をしていた。
機材は動いていない。
テープレコーダーも止まっている。
今では想像しにくいかもしれないけれど、当時はオープンリールテープが現役でありメインメディアの一つだった。
6mm幅ほどのテープを左のリールから右のリールへ手で通してセットする。
文字にすると簡単だ。けれど、生放送中になると手が震える。
普段なら3秒で終わる作業が終わらない。できたと思ったら外れる。巻き込みに失敗する。
本番中に差し替える時などは、本当に恐怖だった。
そしてもう一つ。
ADには重要な仕事があった。
オンエアした楽曲を記録することである。
CUE SHEETと呼ばれる用紙に、放送時間、曲名、アーティスト名、レコード会社名、レコード番号を書き込むこと。
JASRACへの報告資料でもあり「今流れていた曲は何ですか?」という問い合わせに対応するための資料でもあった。
ところが、これが思った以上に大変だった。
テープレコーダーの準備をする。
レコードを差し替える。
CDをセットする。
次の進行を確認する。
その合間に記入しなければならない。
最初の頃は、とても追いつかなかった。
結局、手元のメモ帳へ放送時間だけを書き殴る。
曲名は後で調べる。
そんな状態だった。
放送中は、常に何かに追われていた。
ADの仕事自体は、比較的早く覚えられたと思う。
少なくとも「何が分からないのか分からない」という状態からは抜け出していた。
けれど、覚えることと、実際にできることはまったく別だった。
H.Hさんのようには動けない。
あの流れるような身のこなしは真似できなかった。
僕は流れるどころか、あっちへ行ったり、こっちへ行ったりしていた。
一つの作業を終える。
次に何をするのか考える。
そこで一拍遅れる。
その間にも、H.Hさんなら二つ三つ先の準備を終えている。
頭では分かっている。
けれど身体が動かない。
反応できない。
気が付くと、また時計だけが先へ進んでいた。
けれど当時の僕には、そんなことを考える余裕などなかった。
とにかく必死だった。
それでも、生放送には、生放送ならではの落とし穴があった。
そして僕は、その洗礼を盛大に受けることになる。
One Day あの時、確かに僕はそこにいた。
