芋出し画像

【50代】絵画玠人が、矎術通で気になった絵をAIに聞いおみたら。そこにはロマンしかなかった。



50代で、
やっおおきたいこずリスト。

その䞀぀に、

「䌝統文化や芞術を、自分自身で䜓隓したい。」

別に、玙に曞いお冷蔵庫ぞ貌っおいるわけではありたせん。

頭の䞭に、なんずなくあるリストです。

歌舞䌎や萜語。

䜕十幎、䜕癟幎もの間、
人々を魅了し続けおきた絵画。

なぜ、これほど長く残り、時代を越えお人の心を動かしおきたのか。

その答えを、知識ではなく、自分の目で芋お、䜓隓し、感じおみたい。

そんなこずを、考えるようになりたした。

私が初めお絵画に興味を持ったのは、今から玄10幎前です。

もずもず写真が趣味だった私は、六本朚にある囜立新矎術通の建物を撮りたくお、カメラを持っお出かけたした。

目的は、絵ではなく建物です。

囜立新矎術通

ずころが、そのずき偶然開催されおいたのが「マグリット展」でした。

目に飛び蟌んできたのは、青い空に浮かぶ䜕人もの男たち。

「人が宙に浮いおいる」

ただそれだけの䞍思議な光景に匕かれ、それたで絵画にたったく興味のなかった私が、その堎でチケットを買いたした。

ルネ・マグリット


ベルギヌを代衚する
シュルレアリスムの画家です。

  ず、知ったように曞いお
いたすが、圓時も、今も
「シュルレアリスム」が䜕なのか、たったく分かっおいたせん

青空に浮かぶ男。

顔を隠すリンゎ。

人の子

そしお、パむプの絵の䞋に曞かれた、

「これはパむプではない」

むメヌゞの裏切り

いや、どう芋おもパむプだろ。

絵画玠人の私は、心の䞭でそう突っ蟌みたした。

でも、よく考えるず、確かに
これはパむプではない。

筆づかいも、構図も、矎術史も分からない。

それでも、

「この人には、䞖界がどう芋えおいるのだろう」

ず、画家の頭の䞭が気になりたした。

絵の技術ではなく、その絵を生み出した人間に興味を持った。

それが、私ず絵画ずの最初の出䌚いでした。

そしお、もう䞀人。

私が倧奜きになった画家が、

ペハネス・フェルメヌルです。

《牛乳を泚ぐ女》

実際に芋たのは、確か5、6幎前。そう思っお調べおみたら、東京のフェルメヌル展は2018幎から2019幎でした。

もう7、8幎前です。

50代になるず、5幎前も8幎前も、だいたい「この前」です。

䌚堎には、フェルメヌルの䜜品だけが集められた特別な展瀺宀がありたした。

その郚屋ぞ䞀歩入った瞬間。

空気が倉わりたした。

もちろん、矎術通の空調が急に切り替わったわけではありたせん。

でも、その堎所だけ時間の流れが違っお感じられたのです。

その䞭心にあったのが、
《牛乳を泚ぐ女》でした。

描かれおいるのは、女性が牛乳を泚いでいる姿。

ただ、それだけです。

空から男も降っおこない。

顔を隠すリンゎもない。

マグリットずは、たるで正反察です。

それなのに、私は絵の前から動けなくなりたした。

絵から䜕かが出おいる。

芞術に詳しい人なら、それを光の衚珟や緻密な構図ず呌ぶのでしょう。

しかし、絵画玠人の私には、もっず単玔な蚀葉しか浮かびたせんでした。

オヌラがある。

本圓に、それだけでした。

そしお、䜕より心を奪われたのが、女性の゚プロンに䜿われた深い青。

いわゆる
「フェルメヌル・ブルヌ」です。

フェルメヌルは、ラピスラズリずいう石から䜜られる、倩然のりルトラマリンずいう高䟡な顔料を䜿っおいたした。

圓時、この青は非垞に貎重なものだったそうです。

フェルメヌル自身は、決しお裕犏な画家ではありたせんでした。

それでも、絵の具には惜したず良質な材料を䜿ったずいいたす。

䜕でもない日垞に、これほど矎しい青を䜿う。

その青を芋おいるず、䜕癟幎も前にフェルメヌルが芋おいた光ず、ほんの䞀瞬だけ぀ながったような気がしたした。

マグリットは、私の頭の䞭に「なぜ」を残した。

フェルメヌルは、私を絵の前で黙らせた。

二人の描く䞖界はたったく違いたす。

それでも、どちらも私の䞭に消えないものを残したした。

絵画の知識がなくおも、心が先に動くこずがある。

理屈は、あずからでもいい。

そう思うようになっおから、気になる展芧䌚を芋぀けるず、ずきどき矎術通ぞ足を運ぶようになりたした。

そしお今回、気になったのが『倧ゎッホ展 倜のカフェテラス』

残念ながら、この展芧䌚はすでに終了しおいたす。

しかし、『倧ゎッホ展』はこれで終わりではありたせん。

2027幎からは、第2期ずなる『倧ゎッホ展 アルルの跳ね橋』が、神戞、犏島、東京を巡回したす。

《アルルの跳ね橋》が日本で公開されるのは、玄70幎ぶりだそうです。


70幎ぶり。

次の機䌚を埅ったら、私は120歳代です。

これは、芋おおいた方がよさそうです。


さお、今回の目圓おは、もちろん《倜のカフェテラス》。

青い倜空の䞋、黄色い光に包たれたカフェ。

本物を芋おみたい。

理由は、それだけでした。

展瀺を芋おいるず、オランダ時代の茶色や暗い緑で描かれた䜜品が、劙に印象に残りたした。

私が知っおいるゎッホずいえば、《ひたわり》の黄色や、《星月倜》の青です。

ずころが、目の前にあるのは、土や蟲民、働く人々を描いた、萜ち着いた色の䜜品。

ゞャガむモの皮をむく女

もちろん、オランダ時代の䜜品がすべお暗かったわけではありたせん。

ただ、そのずきの私には、そうした色の䜜品が匷く残りたした。

「ゎッホっお、最初はこんな感じの絵を描いおいたのか」

じゃがいもを食べる人々

展瀺を進んでいくず、やがお絵の色が少しず぀明るくなっおいきたす。

パリぞ移っおから、䜕かが倉わったのだろうか。

そんなこずを、がんやり思いながら歩いおいるず、

䞀枚の颚景画の前で、足が止たりたした。 

近くで芋るず、现かな色の粒が䞊んでいる。

少し離れるず、その粒が光や空気になり、パリの街が浮かび䞊がっおくる。

「これは、どんな人が描いたんだろう」

そこで私は、スマホを取り出し、

ChatCPT(黄身ノ小埄に、気になった名前を入力したした。

> 私玅鮭の幻圱 ピサロ 

質問が雑です。

䞻語もなければ、述語もない。

それでもAIは、こちらが聞きたいこずを拟っおくれたした。

印象掟の䞭心人物ずしお知られるカミヌナ・ピサロも、1880幎代半ばには、スヌラやシニャックの新しい色圩理論に刺激を受け、点描に挑戊しおいた

《虹、ポントワヌズ》

さらに、その隣りの絵画がきになっお

AIにきいおみた。

私玅鮭の幻圱 「マクシミリアン・リュス」

AI黄身ノ小埄、リュスは新印象掟を代衚する画家の䞀人で、
现かな色を䞊べる点描や分割筆觊を䜿い、郜垂の光や工堎、働く人々を描いた画家でした。

さらに、劎働者に匷く共感し、政治掻動にも関わったため、投獄されたこずたであるずいう。

静かな颚景画を描いた、おずなしい人だず思っおいたした。

意倖ず熱い。

パリ䞀垯、モンマルトルからの眺め

リュスの䜜品名にあった「モンマルトル」ずいう蚀葉も気になりたした。

> 私玅鮭の幻圱「モンマルトルの䞘」

AI黄身ノ小埄は教えおくれたした。19䞖玀の終わり、モンマルトルの䞘には、若い画家たちが次々ず集たっおきた。
家賃が安く、颚車が残り、酒堎があった。ただ貧しかった絵描きたちが、そこで暮らし、その颚景を描いた。

私玅鮭の幻圱「ゎッホも?」

もはや䌚話が二文字です。それでも、通じたした。

ゎッホも、いた。1886幎から二幎ほど、匟テオず、この䞘で暮らしおいた。

少し前には、ルノワヌルが、この䞘のダンスホヌルに集う人々を描いおいたした。

そしおゎッホず同じ頃には、ロヌトレックや、゚ミヌル・ベルナヌル。ただ名の売れおいない絵描きたちが、この䞘で暮らし、それぞれの目でパリを描いおいた。

さらに時が経぀ず、今床は若きピカ゜が、この䞘にやっおきたす。

同じ䞀぀の䞘を、時代を倉えながら、画家たちが代わる代わる芋぀め続けた

぀たり、さっき私が足を止めたリュスの䞘。あの絵ず同じ頃、同じ䞘に、ゎッホもいたのです。

私はスマホから顔を䞊げたした。少し先の壁に、ゎッホの《モンマルトルの䞘》が掛かっおいたした。

モンマルトルの䞘1886

同じ䞘です。

リュスが芋た䞘ず、ゎッホが芋た䞘。同じ堎所を、違う目が、それぞれに描いた。それが今、同じ郚屋に、䞊んで掛かっおいる。

圌らは、同じ時代の、同じパリの空気を吞っおいた。同じ坂道を歩き、同じ颚車を芋お、同じ倕日を眺めたのかもしれない。ただ、その景色をどう描くかは、䞀人ひずり、違った。

それだけのこずです。

でも、それだけのこずが、たたらなくいい。

さっきたで「知らない画家の颚景画」だった䞀枚が、急に、癟幎以䞊前のパリの䞘に倉わる。

誰かが本圓にそこに立っお、この景色を芋おいた。そう思えおくる。

私は絵を芋に来たはずでした。

なのに気づけば、癟幎前のモンマルトルを、画家たちず䞀緒に歩いおいたした。

《モンマルトルの䞘》(1886幎)



それだけで、十分にロマンがある。

そしお、最初に感じた疑問ぞ戻りたした。

> 私玅鮭の幻圱 「ゎッホっお、パリに来おから色圩が倉わった気がする」

AI黄身ノ小埄の答えは、やはり倉わっおいた、でした。

オランダ時代に蟲民や劎働者を土のような色で描いおいたゎッホは、パリで印象掟や新印象掟の明るい色圩に觊れたした。

さらに、日本の浮䞖絵から、倧胆な構図や鮮やかな色面の圱響を受けおいきたす。
匟テオず二人で集めた浮䞖絵は、なんず400点以䞊。

しかも、集めるだけでは飜き足らず、モンマルトルのカフェを借りお、その浮䞖絵の展瀺䌚たで開いおしたうほどのめり蟌んだそうです。

そしお南フランスのアルルでは、匷い光ず柄んだ空気に出䌚った。

展瀺を芋ながら、なんずなく感じおいた色の倉化。

AI黄身ノ小埄ずの䌚話によっお、その埌ろにいる画家ずの出䌚いや、街の空気たで芋えおきたした。

そしお、いよいよ《倜のカフェテラス》です。

写真やポスタヌでは、䜕床も芋たこずがありたした。

でも、本物の前に立぀のは初めおです。

たず目に入ったのは、深い青の倜空ず、カフェからあふれる黄色い光でした。

写真で青みの匷い倜を芋るず、普通は少し寒そうに感じたす。

ずころが、この絵からは、あたり寒さを感じたせんでした。

むしろ、黄色い灯りに暖かさを感じる。

青い倜の䞭に、そこだけ人が垰っおいける堎所があるように芋えたした。

なぜ、青い倜なのに寒くないのだろう。

AI黄身ノ小埄に聞いおみるず、理由の䞀぀ずしお、この絵では倜が黒や灰色ではなく、

青を基調に描かれおいるこずを教えおくれたした。

そしお、青のそばに眮かれた黄色が、互いの色を匷く芋せおいる。

黄色いカフェの光が、暗闇に沈たず、こちらぞ向かっおくるように感じられたのは、そのためなのかもしれたせん。

展芧䌚の公匏解説によるず、ゎッホは1888幎9月、アルル䞭心郚のフォルム広堎にむヌれルを立お、倜の珟堎で盎接この絵を描きたした。

効ぞの手玙には、倜を珟堎で描くこずがずおも楜しく、盎接描いおよかったずいう趣旚の蚀葉を残しおいたす。

今、目の前にある青ず黄色は、アトリ゚で想像しお描かれた倜ではない。

ゎッホが実際に立っおいた、1888幎9月の倜です。

圌の前にはカフェがあり、人が歩き、頭の䞊には星があった。

その光景を癟幎以䞊たった日本で、私は芋おいる。

そう思った瞬間、絵ず自分の間にあった時間が、ほんの少し瞮たったように感じたした。

フェルメヌルの青ずは、たったく違う青です。

それでも私は、たた青の前で足を止めおいたした。

理屈より先に、心が動く。

やはり、それでいいのだず思いたす。

埌日、職堎にいる、絵画奜きのセレブな人に話したした。

「《倜のカフェテラス》、芋に行っおよかったですよ」

するず、返っおきたのが、

「私、オランダで芋おるから」

さすがです。

こちらが日本でありがたく拝んできた名画を、珟地で普通に芋おいる。

セレブは、絵画の移動距離たで違いたす。

その話を䞡芪にしたずころ、今床は䞡芪から、

「私たちもオランダで芋たよ」

ず蚀われたした。

お前らもかい。

思わず、心の䞭で突っ蟌みたした。

気が぀けば、呚りはオランダ鑑賞組ばかり。

日本で初めお芋お感動しおいるのは、私だけでした。

たあ、どこで芋たかではありたせん。

䜕を感じたかです。

たぶん。

AI黄身ノ小埄が教えおくれたのは、絵の正解ではなかった

䞀枚の絵から、次の「なぜ」ぞ進む方法でした。

今回、最初からAIず矎術通を回る぀もりはありたせんでした。

音声ガむドの代わりに䜿おうずも、詳しい解説をさせようずも考えおいなかった。

ただ、知らない画家の名前を入力した。

そこから、リュスが珟れ、ピサロに぀ながり、モンマルトルぞ行き、最埌にゎッホぞ戻っおきたした。

䞀枚の絵の裏偎には、䞀人の画家の人生がある。

その人生の呚りには、同じ時代を生き、圱響を䞎え合った画家たちがいる。

そしお、画家の埌ろには、街や光、そこで暮らした人々の時間がある。

以前の私なら、知らない名前を芋おも、

「知らない画家だけど、なんかいいな」

で通り過ぎおいたず思いたす。

AIがあったこずで、その「なんかいいな」の先ぞ、もう䞀歩だけ進むこずができたした。

「同じような描写でピサロ」

「モンマルトルの䞘」

「ゎッホも」

そんな雑な蚀葉からでも、次の扉を開いおくれる。

50代でやっおおきたいこずリストに入れた、文化や芞術を自分自身で䜓隓するこず。

今回、その意味が少し分かった気がしたす。

芞術を理解するずは、知識を党郚芚えるこずではない。

たず自分の心が動き、その理由を知りたくなるこずなのかもしれたせん。

絵画玠人が、矎術通で気になったこずをAIに聞いおみた。

するず、点だった画家たちの人生が、䞀本の線に぀ながっおいった。

その先にあったのは、正解ではありたせん。

ロマンでした。

いいなず思ったら応揎しよう