Ⅵ あとがきのかわりに/あなたのうそをもらいます
あなたのうそをもらいます(エッセイ)
“藤の花を背に、笑う人”
サクッ、サクッ、と箸で骨を砕く音があまりにも軽すぎて、涙は頬を伝うのに、私の心は少しだけ軽くなった。
大切な人が、先日亡くなった。
私の伯母は、昨年の二月に末期の膵臓がんが見つかり、余命四カ月と宣告された。献身的な伯父の介護と抗がん剤の効果もあり、半年後には医者が驚くほどの回復を見せたが、薬の副作用はかなり辛かったようだ。本人の意思もあり、抗がん剤は中断された。がんはまたたく間に広がり、伯母の身体を蝕んだ。
今年の三月まで自宅療養をしていた伯母は、四月に入り入院し、日に日に衰弱していった。五月の誕生日までは、とその日を目標にしていたが、誕生日を迎える二日前の朝、伯父に看取られ息を引き取った。
伯母の誕生日は、ちょうど葬式の日となった。
伯母は私の父の姉にあたる人で、昔から身体はあまり強くなかった。幼い頃から畑仕事をする母親に代わり、私の父も含め三人の弟や妹の世話をしていた。言うべきことはきちんと言う人で、伯父は安心して尻に敷かれていた。
子どもが好きで、保育士としても働いていたが、自身は子どもに恵まれず、私や兄は実の子のように可愛がってもらった。週末になると兄とよく泊まりに行き、料理を教えてもらったり買い物に行ったりと、伯母とは親子のような時間を過ごした。
伯母が亡くなる直前のこと。薬も飲めなくなり、モルヒネを打ってからは、昔のことを夢の中のように、ふと起きて話すことがしばしばあった。
「ましろちゃんが、押し入れで泣いてるんよ。髪の毛を切りすぎてしまって、出てこないんよ」
そんなふうに、昔のことを語る日もあった。事実、私の髪は散髪が趣味の伯母が切っており、大体、耳を切られるか、髪を切りすぎられるかのどちらかだった。
お盆など親族が田舎の実家に集まるときは、働き者の伯母の後ろを幼い私はついて回り、手伝いをしていた。ひと通り家事が終わると、伯母は大きな帽子をかぶり、小さな身体を丸めて広い庭の草をむしる。私も伯母の横に並び、庭に開いた穴に糸を垂らし、二人でツボ虫釣りを楽しむ。そして、一仕事後のサイダーを楽しみにしていたことを思い出す。
伯母は、足の指でつねるという特技を持っていた。ふざけてつねってくるのだが、これが痛い。私も練習し、これを極めた。よくふざけて、足の指で娘や旦那をつねる。今は娘たちが日々練習を重ねている。
裁縫が趣味だった伯母は、私のピアノの発表会には手作りのドレスを作り、私の娘たちにも、よだれかけや洋服、手提げ袋などを事あるごとに作っては、送ってくれた。
私の母が手が届かないところに、伯母はいち早く気づき、するりと器用で小さな手を伸ばしてくれた。伯母とのなんてことない思い出を語り始めたらきりがない。ありきたりな言葉で表すなら、もう一人の母、だろう。
伯母が入院してからは、伯父が食事を取ったり自宅に戻ったりする間、私もそばで数時間付き添いをしていた。伯母の具合が悪いと聞いて急いで病院へ向かった日、伯母は、朝から薬を吐いてしまっていた。
私に会えて良かったと言い、タオルを頻繁に口元に当てるので、また戻しそうなのかと心配して何度か声をかけた。足が冷たいので、足を撫でたり、足の指をマッサージしながら数時間付き添った。
後から伯父が言うには、気丈な伯母は、嬉しくて泣いている姿を私に見られたくなかったから、タオルで必死に隠していたのだという。
ある日は、
「もう、きついけん、早くお迎えが来るように、ご先祖さまにお願いしといて」
と言って辛そうにしていた。
食事も薬も口にできなくなり、ついにモルヒネを打ってからは、
「お父さん、随分小さくなったなぁ」
と夢うつつの中で言っていた。
「お母さんは?」
と聞くと、
「お母さんはちぢんでないわ」
と答えた。もう、すぐ近くまでお迎えに来てくれているのかな、とも思った。
そんな状態でも、ぱっと意識が戻ると、
「あ、ましろちゃん、ごめんごめん」
そう言って、伯母は気丈に振る舞った。
もう立ち上がるのもやっとの状態で、伯父がきついだろうから排泄はオムツでいいのだと、どんなに言っても、自分でトイレに行くと言い、実際、亡くなるまでそうしていた。
伯母は、いろいろ話ができる状況だったとしても、呪いになると思ったのだろうか。この言葉を私に決して言わなかった。
「伯父ちゃんをよろしくね。」
兄や従兄弟は、伯母の訃報を知るとすぐに飛行機で帰省し、お通夜と葬式は近しい親族だけで執り行われた。
火葬後、骨を箸で骨壺に入れていくが、九州の骨壺は六寸で少し小さいため、すべては入りきれない。頭部を最後に入れるために、八割ほど入ったところで、火葬場の方が骨を箸で突き崩す。何度か経験しても、この光景には慣れない。
私の思いとは裏腹に、骨を突き崩す音は、サクッ、サクッとあまりに軽い音がした。
「もうここに、私はいないのよ」
伯母に言われているようで、ああ、もう苦しくないのか、と、涙は頬を伝うのに、少しだけ気持ちが軽くなるのを感じた。
葬式を終えたあとも、伯父の家にお参りに行き、二人で伯母の話をしては泣く。伯父は、がっちりした体格とは対照的に穏やかで優しく、よく泣くのだ。
私が幼い頃、
「おじちゃんのオムツはいつか私が替えてあげる」そう言ったときも、泣いた。
伯母は、その光景を見て笑っていた。
あなたが、誰かや、自分についたかもしれない痛くて苦しくて優しいうそは、私がもらおう。
私は、今もあの伯父との約束を忘れていない。
遺影の伯母は、藤の花を背に、優しく笑っていた。
―――
【小説とエッセイの往還】
