呼称という境界線を超えて「ハッピーアイスクリーム」が結ぶ喪失と永遠
わたりあめ氏『世界で一番の「ハッピーアイスクリーム」』を読んで
かつて子供たちの間で流行した「ハッピーアイスクリーム」という呪文。同じ言葉を同時に発した瞬間に唱えられるその言葉は、偶然の一致を祝う遊びであり、束の間の「完璧な同調」を証明する儀式でもあった。わたりあめ氏による本エッセイは、この無邪気な同調ルールの記憶をフックに、他者との距離感や呼称の危うさ、そして喪失によって完成される友情の在り方を、静謐な筆致で描き出している。
物語は、母娘の何気ない会話から、かつての田園風景へと鮮やかに接続される。特筆すべきは、描写の「触覚性」だ。桑の実を頬張った感覚、グレーのスカートの裾にあるスカラップのレース。これら細部の微細な描写は、読み手の脳内にセピア色の映像を再生させる。しかし、その心地よい風景の裏側には、常に「親友」という言葉を巡る、痛みを伴う視点のずれが横たわっている。
筆者が全幅の信頼を寄せて放った「私たち、親友だよね?」という問いに対する、Mちゃんの「そういうの、好きじゃない」という拒絶。この一場面は、本質を突いている。言葉で定義した瞬間に、関係性は枠に嵌められ、固定されてしまう。転校によって「ずっと友だち」という約束に裏切られた過去を持つMちゃんにとって、呼称は絆ではなく、むしろ「いつか訪れる喪失の予兆」に過ぎなかったのではないか。理由を知った後の筆者の葛藤には、自らの無邪気さへの後悔と、相手の孤独を計り知れなかったことへの深い懊悩が滲む。
連絡を取ろうと手を尽くし、住所を求めて探偵を呼ぼうとすら考えた過程は、失われた半身を探すような切実さを伴う。しかし、宛先不明で戻ってきた手紙が示す通り、物理的な距離はもはや埋まることはない。ここで、筆者が放つ「Mちゃんの選択は正解だったのかもしれない」という一文が、読者の胸を打つ。大人になり、ライフスタイルが分かたれ、現実的な差異に直面する前に、二人の関係は「凍結」された。それは、彼女たちの友情が世俗的な変化に晒されることなく、純粋なままで保存されたことを意味する。
最後に描かれる、目を閉じれば見える青葉色の風景とグレーのスカート。それは、物理的に届かないからこそ、永遠に美しく心に留まり続ける「ハッピーアイスクリーム」の残響である。呼称を拒んだMちゃんは、今や名前や役割を超えた、筆者の人生の指針そのものとして心の中に棲んでいる。喪失の切なさを超え、過去をひっそりと抱きしめるような余韻を残す本作は、誰の心にもある「宛先のない記憶」を優しく揺さぶる傑作である。
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