言葉の語源をたどる
先月からスタートさせた私のnoteだが、コンスタントに投稿するのが難しい。本を読んでばかりいるのではなく、「書く」ことにもう少し時間を割いていきたいと思う。
さて、私のnoteは語義解釈を述べる場としても活用していきたいと考えている。
人間は「言葉を操る動物」であるが、言葉の語彙はつねに多義的である。つまり、多様な意味を表しうる。その多様性を利用して、様々な修辞法を動員しつつ、人それぞれに独創的な表現を繰り広げている。しかし、表現する者自身が言葉の多義性に溺れ、「言葉に操られる動物」になってしまう例があまりにも多い。要するに、「ああもいえる、こうもいえる」といった一見寛容に思える、「どれもあり」という価値相対主義的な表現者ばかりの世の中になってしまっている。
実存主義哲学の重要な先駆者、ハイデガーは「言葉は存在の住処(すみか)である」といった。つまり、人間は所詮言葉の動物であり、実態に嵌まらない言葉は空虚だということ。現代日本の知識人の退廃の原因はまさに言葉の退廃にある。この世間で日常茶飯につかわれている言葉が、日常語においてのみならず学術語においても、それらの語源から遠く離れてしまったこと、また歪んだ意味を持たされるに至っていることに大衆はなかなか気づけない。
そんな現代病を治すには、語源を理解することによって言葉の真実の意味を開き示していくことにほかならないだろう。そうすることによって、あらゆる言論・議論の場で、いかに言葉を知らないかを知識人に対して突きつけることができると思う。
金融問題も軍事問題も、環境問題も資源問題も、その他、世界に生起するあらゆる危機の処方箋は、政治や社会のシステムを変えればどうにかなるというものではない。それどころか、単なる制度改革は新たな危機の発生源、誘発因、促進剤となる。歴史がそれを教えてくれた。
普段、自分が喋ったり書いたりしている数々の熟語の意味を、つまり使用せざるをえない表現の道具を、時間をかけて磨いていきたいと考えている。次回以降、語義解釈のnoteについては、タイトルに「辞の典」とつけて記述していくこととする。
ではまた。
