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読んでない本の感想 カミュ「正義の人びと」

最近、ろくでもないニュースばかりで、本を読む気にならない。
それでも、それだからこそ、ある本が気になっている。
カミュ「正義の人びと」
読みたいと思っていたが、とうとう今日まで読めていない。また最近、読みたいと思い始めたけれど、ネットで値段を見て諦めた。近くの図書館に行ってみたが、見つからなかった。仕方ないので、読んでないくせに思ったことを書いてみる。

帝政ロシア時代、国家主義者の政府要人セルゲイの暗殺が計画される。が、暗殺は失敗する。セルゲイの馬車に子供も乗っていたので、テロリスト、カリャーエフが、爆弾を投擲することを躊躇ったからである。
そのことでカリャーエフは仲間から糾弾される。
目的のために、無垢の子供まで死に追いやっていいのか。
正義のためには犠牲もやむを得ないのか。
白熱した議論が展開される。らしい。(読んでないので分からんが)

果たして、
正義のためなら殺人は是であるのか。
むろん是である。
その殺人により、幾千万の、それ以上の人々に幸せが訪れるなら、社会を変革できるなら、その行為は是であるべきだ。
と誰かが言う。
では、そのテロにより無垢な子供が死ぬとしたら、その行為はそれでも是であるか。
カリャーエフは自問する。のだろう、たぶん。

子供とは未来である。未来のためにテロを行おうとした自分が、未来を抹殺しようとしている。その自己矛盾に、自分は耐えられるのか。耐えられるとしたら、それは自己欺瞞ではないのか。

正義とはなにか。

半分世捨て人の私はでさえ、考えさせられる今日この頃である。
正義のためなら、イデオロギーのためなら、未来の象徴ともいえる子供たちの殺戮は行われても是であるのか。
それを行わなければ、いずれ子供達も死ぬ運命だ。それならば、子供達を犠牲にしてでも、正義は行われるべきである。
死んでゆく子供達は殉教者なのだ。
と、果たして言えるか。
それは欺瞞ではないのか。
そう言う為政者を、イデオロギーのリーダーを自分は支持できるのか。
読んでないくせに、
今更ながらに、人間とは、なんて愚かな生き物なんだろうと思う。
右も左もイデオロギーも宗教も、全くなにをいがみ合ってんだろう。そうして子供を殺し続けてるんだろう。
正義の名のもとに。
自分たち大人は、子供たちより先にとっとと死んじまうくせに。
子供達のためにより良い世界を残すとか、子供たちからしたら、余計なお世話だろう。
結局、今生きてる大人たちの都合で、自分の都合で、自分の生きる手応えを求めて、言ってるだけじゃないのか。
正義の名前に酔いしれて。

と言うわけで、読んでもないくせに、「正義の人々」がやたら気になる今日この頃である。

実際読んだら、難しすぎて理解できないかもしれんけど。

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