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50代、1年間立ち止まって考えたこと|退職して「主夫」になるまでの気付き(後編)

こんにちはTwomasと申します。
自分のことは簡単に自己紹介で書いています。

以前勤めていた会社を退職してから、ちょうど1年が経ちました。

50代での大きなキャリアの選択や、人生の優先順位を見つめ直す時間は、早いようでいて長く、とても濃密なものでした。

「なぜ仕事を辞めたのか?」 当時は一言では説明しきれなかった決断ですが、1年が経った今、前回は当時のことや、大きな要素となる3つを書いてみました。
1. 大きな背景
2. 自分のこと
3. パートナーのこと

そして今回は、最後の大きな要素である
4. 勤務先のこと
について書いてみようと思います。

人生の転機や、家族・パートナーとの向き合い方に悩んでいる方にとって、何か小さなヒントや共感になれば幸いです。
よろしければ少々お付き合いください。

4-1. 社内制度の活用と、予期せぬ社会の変化

しばらくの間計画していた移住先へ戻る手段として、
僕は当時勤めていた企業での「社内異動制度」を使うことを
第一候補に考えていました。

しかし、人生には思い通りにいかないタイミングというものがあります。
・誰もが予期しなかったCovid
 
勤務先も大打撃を受けました。暗黒の時期です。
・勤務先の度重なる大規模な人員削減
 そしてそれを機に、そのあと数年間にわたり行われました。

残された社員の業務負担は一気に増大。
毎回、僕は人員削減対象にならなかったため、
「幸いにも残れた。」と当時は思っていました。
しかし今となっては、それが幸いだったのかはわかりません。
僕が描いていた異動計画も、その都度見直しを余儀なくされました。

同時に、国外への転職活動も試みました。
しかし日本に居ながらにして現地での採用枠を勝ち取るのは容易ではありません。思うように進まないもどかしさを抱えていました。

4-2. 役割の変化と、広がっていく違和感

そんな折、上司から「国内オフィスでのマネジメントポジションを引き受けてほしい」と打診を受けました。

移住を前提としていたため正直迷いましたが、「海外異動希望」という前提をオープンに伝えた上で、引き受けることにしました。
当時、8割近く削減された急激な組織の変化で疲弊しているチームメンバーを少しでも支えたい、という思いもありました。

しかし、その決断で僕の生活は一変します。
北米、アジア、欧州といった複数の時差を跨ぐやり取りで、睡眠時間は削られ働き詰めの毎日に。

それ以上に厳しかったのは、上層部の交替に伴って日々変わる方針と、組織の不安定さ。昨日決まった方針が翌日には白紙になるような状況が続き、現場を守ろうと奮闘すればするほど、自分自身の方向性について深く考えさせられました。

4-3. 「執着」を手放した瞬間の気づき

永住権を維持するための日本での滞在許可証の期限が迫る中、
社内でのオープンポジションにもいくつか応募しました。
しかし、目まぐるしく体制が変わる環境下で、異動した直後にまた組織変更が起きるリスクと隣り合わせです。
国を跨ぐ移住において、その不安定さはあまりにも大きなリスクでした。

その時間とのプレッシャーと疲弊の中で、僕はふと重要なことに気づきました。

「移住したい」=「永住権をただ維持しなくてはいけないプレッシャー」
にずっとなっているのではないか?
「仕事という理由にすること」→「本当に大切な人生の選択を後回し」
にしていたのではないか?

会社に残るため、キャリア、永住権を維持するために必死にしがみついていたマインドセットが、音を立てて崩れた瞬間でした。

「仕事より、自分自身の健康と人生のゆとりを最優先にしよう」

そう決意したとき、長年自分で複雑にしていた方程式の答えのようなものが、すっと出たような解放感を覚えました。

そんな中、さらに後押しとなる予期せぬ異動が打診されました。
通常なら戸惑うばかりの出来事です。実際当日はかなり動揺しました。
しかし最終的にこれが僕にとって決定的な転換点となりました。

「あ、もう十分頑張ったな」

すべてやりきった、でもどこか清々しい感覚でした。
目まぐるしい変化に対応し続けてきた環境の中で、
「これからは自分の人生を会社都合に合わせ続ける必要はない」
と、完全に吹っ切れて前向きに決断できた瞬間でした。

4-4. 次のステップへ:主夫という選択と、清々しい旅立ち

「会社に人生を預けるのをやめる、住む国をまずは決める。」
と決めてからは、行動は迅速でした。

今後のライフプランについてパートナーと何度も話し合いました。
転職のためにすぐ次の会社へ移るのではなく、一度キャリアに区切りをつけ、自分たちの生活基盤や定住先をじっくり整える時間を作ろう。
通常なら50代になれば、
「定年前までしっかり働き、定年後もしっかり生活の土台を築き上げる。」ということを考えたかも。

しかし今回選んだのは、パートナーが外で働き、僕が家庭を支える「主夫」という道。
幸いにも、二人で積み重ねてきた資産の基盤があったことも背中を押してくれました。
男性なら働く とか 退職=すぐ転職 という枠を外し、
お互いを支え合う新しいスタイルへシフトすることに、迷いはありませんでした。時間を作り、そこで自分の定住先をよく考えてみよう、と。

勤務最後の1ヶ月は、後任者への引き継ぎをしっかりと完了させ、
担当していた大きなイベントへの参加もやり遂げました。
残っていた有給休暇を消化し、晴れやかな気持ちで会社を後にしました。

4-5. 退職から1年が経って

退職して「主夫」になってから1年。
その後数ヶ月間、僕は日本を出て定住の国を決める時間も持つことができました。今は考えもまとまり、パートナーと穏やかで豊かな時間を重ねています。
お互いのキャリアや幸せを尊重し合った結果、今回は自分が家庭を支えるフェーズに入っています。
そして、それがこれまで紹介した多くのエピソードでの経験や学びにつながっています。

このような行動ができたのは、僕の性格なのか、それとも海外生活が長くパートナーも外国籍だから視野が広く枠に囚われていないからなのか、あるいはパートナーが器の大きい優しさがある人だからか。


世間では、こうした年代の葛藤を「ミッドライフ・クライシス」などと呼ぶことがあります。
しかし僕にとっては、単なる危機ではなく、
「自分の本当の気持ちや人生の軸を確認できた貴重なチャンス」
だったのだと感じています。
立ち止まることは停滞ではない。そう、自分のこれからのために。
だからこそあの時、立ち止まるタイミングを作って本当に良かった。
そう思っています。

ここまでお読みいただいてありがとうございました。

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