物語には、主人公がいる。 | 『イン・ザ・メガチャーチ』 を読んで
2017年の冬、私の推しは、自殺した。
中学生の頃から十年ほど応援していたK-POPグループのメンバーだった。
当時、彼らの母国語を学ぼうと韓国に留学していた私は、『イン・ザ・メガチャーチ』で絢子たちが藤見倫太郎の死を知った時と同じように、SNSを通じて彼の死を知った。
推しの名前と、”死亡”という文字が並んだニュース画像を見た瞬間、世界から音が消えたような感覚を、今でも忘れられない。
そう、私は、武藤澄香であり、隅川絢子だった。
私も澄香と同じ大学時代、「熱量の高い一万人」のひとりとして、本作品に描かれた推し活のすべてを経験した。
SNSの投稿にいちいちグループの象徴となる絵文字を付けることも、再生回数を上げるための方法も、CDの購買を促す#追い〇〇というハッシュタグも、《花道だけを歩こうね。》という言葉も。
そして、推しの死も。
そんな私が、本作品について書きたいことは山ほどあるが、一番伝えたいことだけをここに残そうと思う。
『イン・ザ・メガチャーチ』の主人公は武藤澄香、隅川絢子、久保田慶彦の三人。本作が描くのは、「物語を作る者」と「物語に没入する者」の関係だ。
しかし、その"作られた物語"の中にも、確かに主人公が存在する。
それが、垣花道哉と藤見倫太郎だ。
彼らは、ファンから信仰される対象そのものであり、物語の作り手と受け手の間に立たされている。
垣花道哉は、「父のように孤独になりたくない」という思いから「自分がデビューするまでの物語に没入する」ことにより、内向的な性格を必死に克服してデビューを勝ち取った。
ところが、結局デビューが決まった後、適応障害により活動休止に追い込まれてしまう。
その事実を知った時、私はふとこう思った。
きっと彼は、様々な物語の主人公として、消費され、”使い切らされてしまった”のではないだろうか。
自分が無理やり没入した、「デビューするまでの自分」の物語。
国見たちが仕掛けた、Bloomeの"垣花道哉"としての物語。
ファンが貢ぎ、信仰する、虚像(アイドル)"垣花道哉"としての物語。
そのすべてを、彼は一人で背負っていたのではないだろうか。
隅川絢子と武藤澄香は、明確な共通点を持つ対比構造で描かれている。二人がそれぞれ自分自身を重ね、没入した(している)推しもまた、その対比の中に含まれている。
藤見倫太郎は、生前、投げ銭をするファンに「あなたたちにそういうことをさせるためにここにいるわけじゃない」と申し訳なさそうに眉を下げていたという。
私の推しは、遺書に、「世界に知られることは僕の人生ではなかったようだ。」と書いた。そして最後を「お疲れ様。本当に頑張ったね。さようなら。」と締めくくった。
『イン・ザ・メガチャーチ』の中では、「推される者」の心情はほとんど描かれない。少なくとも私には、彼らは物語を動かす存在としてのみ配置されているように映った。だからこそ、あえて私は伝えたい。
私たちの推しは、物語の作り手でもあり、主人公でもあり、受け手でもある。ファンダム文化の中で、搾取され、消費され、使い切らされるのは、ファンだけではない。どうかそのことを忘れないでほしい。
僕の今の夢は、一日でも長く皆さんと一緒に生きることです。
私は、垣花道哉が語ったこの夢が、どうか叶うことを願っている。

