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誕生日に生理が来やがった| エッセイ

※このエッセイはドストエフスキーの『罪と罰』の結末に微か(匂わせ程度)に触れています。


8月某日、私は三十一歳になった。

朝のランニング中に、下腹の嫌な重さと局部に汗とは違う湿りを感じ、帰宅して早々トイレに入り下着を下ろすと、当たり前のようにショーツに赤黒い染みができていた。

クソッ。

ナプキンをつけて行くべきだった。慣れた手つきで汚れたショーツをお湯で予洗いをしながら、朝、それがまだ来ていないことを確認してナプキンを外した自分に腹が立った。

誕生日に「記念すべき」という修飾をつけるほどの年齢はとうに過ぎてしまったし、生理日予測のアプリにも今日が予定日と表示されていたので、突然訪れた不幸というわけではない。それでも、誕生日に生理一日目──私にとって最も生理痛が重い日──が被るというのは、不運としか言いようがない。

この先子どもが欲しいとも思っていない私の生まれた日に、狙ったかのように生理が来たという事実が、なんだか「お前は一生この報われることのない呪いを背負って生きるのだ」と言われているようで、憂鬱の波が押し寄せた。クソみたいな人生だ。

生理が重い日は、精神と思考が崩壊している。

少しでも自分を労わろうと、昨日買っておいたカットスイカを冷蔵庫から取り出したとき、スイカの下にあったイワキのガラス製のタッパーがガタンという音を立てて床に落ち、中に入っていた二切れの明太子がぺたっと落っこちた。ピンク色の粒々が、瀕死の明太子の周りに血のように飛び散っている。クソッ。

盛大に舌打ちをかまして、三秒ルールなんかとっくに過ぎた明太子をタッパーに拾い入れ、「まぁ、毎日ルンバが掃除してるから大丈夫っしょ」と思いながら冷蔵庫に戻す。床に飛び散った残り血をティッシュで拭きながら、昨日はルンバをかけ忘れていたことを思い出した。クソッ。

生理が重い日は、やっぱり精神と思考が崩壊している。

だから、あえて途中で積読になっていたドストエフスキーの『罪と罰』の下巻を読むことにした。悲しい時には悲しい音楽を聴くといいとどこかで聞いた気がするので、精神が崩壊しているときには精神が崩壊している純文学を読めばいい気がした。

結果、最後まで一気に読破してしまった。ただ、読み終わった後に残ったのは積読を片付けたという少しの達成感と、「結局、愛かよ……クソッ……」という乾いた虚しさだった。

『罪と罰』への没頭から解放された頃、時刻はすでに夕方だった。

ふと、そういえば毎年『be there』(BUMP OF CHICKENの公式アプリ)から届いている誕生日メッセージがまだ来ていないことを思い出す。ホーム画面を一回左にスワイプしてアプリを見つけると、アプリ名の横に雲のマークが付いていた。

そうだ、最新のOSにアップデートしてから、しばらく開いていないアプリが勝手にオフロード状態にされ通知も届かなくなるのを忘れていた。クソッ。

『be there』アプリを再インストールして開くと、やはり「お誕生日おめでとうございます!」というポップアップとともに、プレゼントの画像がダウンロードできるようになっていた。画像を表示させるボタンを押すと、メンバーの集合写真と「HAPPY BIRTHDAY!」という手書きメッセージが添えられた画像が画面いっぱいに現れた。

一番最初に藤原基央に目がいく。画面の中の彼の口元はやさしく微笑んでいる。

相変わらず目元は厚い前髪に隠れていて、彼の瞳は見えない。でも、だからこそ、この少しだけ上がった口角が、とてつもなくエロいのである。


「……クッッッッッソ!!」


ソファのクッションに顔を埋めて思いの丈を叫ぶ。

かっこいい。かっこ良すぎる。そしてエロい。好きだ。大好き。愛してる。

あぁ胸が痛い。心とかじゃなく左側が。藤原基央(47歳・既婚)のせいで私の心臓が悲鳴をあげている。オーイェーアハーン!!!

クッションから顔を離してもう一度画像を眺める。有料コンテンツだから詳しくは説明できないが、可愛く、カッコよく、愛らしいおじさん四人が私の誕生日を祝ってくれている。そこには、画面いっぱいの愛があった。


生理が重い日は、精神と思考が崩壊している。

今、私が自信を持って言えることは、藤原基央は愛とエロスの救世主である、ということだけだ。


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