湿っても美味しい、おにぎりの海苔みたいな人間関係
薄い人間関係、
それは、パリッとした表面の下、ちょっと湿っているかもしれないコンビニのおにぎりの海苔のように、あの絶妙な不安定さを孕んでいる。
でも、よく考えたら人間関係なんて最初はみんな「薄い」もの、氷の上に立ってるようなもので、そこに少しずつ時間や本音を積み重ねていくから橋になる。最初から「巻き寿司レベル」の濃厚さなんて、そもそも無理なのだ。
とはいえ、家族にすら本音を言えない私にとって、誰かと関係を深めることは、裸足でフルマラソンするような試練である。
イメージしてほしい。走り出した瞬間に血まみれでリタイア。完走はおろか、給水所にもたどりつけないことを。
しかも私は「開示」の仕方を間違えるのだ。
昔、こんなことがあった。
初対面の人にいきなり「カブトムシを飼ってたんですが、共食いしてショックで…」と語ってしまったのだ。相手は絶妙な微笑みで「へぇ」と返してくれたが、その後一切、距離は縮まらなかった。
これが“開示の失敗”である。
そんな私だから、基本は聞き役が多い。2時間ニコニコ話していても、緊張で相手の名前すら覚えていないこともザラだ。
それでも「おとなしいよね」「優しいよね」と言われるけど……いや、違うんだ。声がでかいと「うるさい」って言われるし、小さくしてると「暗い」って言われるから、最終奥義「ニコニコ」が発動してしまうだけなのだ。
私の人間関係は薄い。だけど、いつでも濃い人間関係に憧れている。
だけど、匙加減を間違えて、濃くなりすぎることも恐れている。
SNSでサラッとつながれる関係は軽やかでいいけど、あまりにアッサリしすぎて、気づけば寂しい。
私は、いつでも友達が欲しい。
しかも割と濃いめの話ができる友達が。
もしかしたら、40代に入り、2時間ニコニコ話して「誰だったっけ?」ってなる人間関係に疲れてしまったのかもしれない。
ある程度歳を取って、残りの人生を「どう楽しむか」と考え始めたからかもしれない。
濃い関係は重い。でも、自分の荷物をちょっと預けたり、相手の荷物をちょっと持ったり。そんな関係を「友達」と呼ぶのではないだろうか。
しかし、誰かと仲良くなるのはそれなりに時間がかかるのだ。
「最近ちょっと疲れ気味なんです」くらいの素直なひとことから始まって、相手がふっと荷物を持ち直してくれることもある。
私が荷物を受け取るばかりの時もあるし、
相手に荷物を持って貰ってばかりの時もある。
その場の空気間で美味しくも不味くもなる、
私の声はおにぎりの海苔のようなものだ。
パリッとしたままの時もあるし、
湿り気を帯びてしまう時もある。
湿ってる私が好き、という人もいるし、湿ってる私は大嫌いという人もいる。
要は、人生の人間関係は「おにぎりの海苔方式」。
最初は薄いけど、重ねていけば味わい深くなる。
湿気っても、シリカゲルを差し出してくれる友達も居るかもしれないし、
一緒に湿気ってくれるひとも居るかもしれない。
ジメジメしても終わりではない。
一通り湿気ったら、天日干しすればカラッと乾くのだ。
私は、そういう友達を増やしていきたいのだ。
「上中下(うえなかした)」という名前で漫画や文章を書いています。
noteでは書きづらい内容や、より深く掘り下げた文章をまとめたZINEを年に数回発行しています。本を読んでいただいた方向けにオンラインでの哲学対話会を奇数月に開催。詳細はHPをご覧ください。
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また、日々の創作や生き方を見直すために、カウンセリングサロンにも通っています。弱さや不安を正直に話せる場所を持つことが、こうした文章や作品を続ける力になっています。>>カウンセリングレポートはこちら
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