人は、学ぶことをやめたときから偉そうになる。
職場で、ときどき考えることがあります。
新人さんには厳しいのに、上司にはとても丁寧な人。
後輩には強い口調なのに、お客様の前では別人のように穏やかな人。
子どもには感情的になるのに、自分より立場が上の人には決してそんな態度を見せない人。
そんな場面を見るたびに、私は「人柄」の問題だけではないような気がするのです。
もしかすると、その人はもう長い間、本気で何かを学んでいないのではないか。
そんなことを思います。
学びには、不思議な力があります。
新しいことを始めれば、自分が何も知らないことに気づきます。
失敗します。
人に教えてもらいます。
頭を下げます。
「なるほど、そういう考え方があるのか」と、自分の小ささを知ります。
学ぶとは、自分の未熟さを受け入れることでもあります。
だから、学び続けている人は自然と謙虚です。
一方で、学ぶことをやめるとどうなるでしょう。
過去の成功体験だけで仕事をするようになります。
「昔はこうだった。」
「俺は知っている。」
「そのくらい当たり前だ。」
経験は大切です。
でも、その経験だけを頼りに生き始めると、人は少しずつ「経験貯金」を切り崩している状態になります。
新しい預金は増えず、昔の残高だけで暮らしているようなものです。
その状態が長く続くと、自分では気づかないうちに心が固くなります。
そして、自分より立場の弱い人に対して、横柄な態度が出やすくなる。
なぜなら、自分が「教わる側」に立つ経験を失っているからです。
私は、年齢を重ねるほど、初心者でいる時間を大切にしたいと思っています。
知らないことを学ぶ。
できないことに挑戦する。
若い人から教えてもらう。
子どもから新しい価値観を教わる。
そんな時間がある人は、誰かを見下す暇がありません。
世の中には、「知っている人」と「学び続ける人」がいます。
一見すると似ていますが、実はまったく違います。
知っている人は、答えを語ります。
学び続ける人は、問いを持ち続けます。
知っている人は、自分の正しさを証明しようとします。
学び続ける人は、自分の間違いを見つけようとします。
私は後者でありたい。
人生のピークは、肩書きや年収で決まるものではないと思います。
「最近、何かに頭を下げて教わっただろうか。」
そう自分に問い続けられる人は、何歳になっても成長を続けます。
逆に、その問いがなくなったとき、人は少しずつ傲慢になっていくのかもしれません。
禅には、「満ちた器には、もう何も入らない」という教えがあります。
器を空にするから、新しい水が入る。
人も同じです。
学びとは、知識を増やすことだけではありません。
自分の器を空にし続けること。
そして、何歳になっても「教えてください」と言える勇気を持ち続けることです。
私は、それが人を謙虚にしてくれる、一番よく効く薬なのだと思っています。
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「今、この瞬間を生きる」ことを教えてくれる本。日常の見え方が少し変わるきっかけになるかもしれません。

