名馬・シーキングザダイヤを考える
本日6月1日は日本ダービーの日である。
競馬に関心がない人でも名前くらいは聞いたことがあるはずの、競馬の祭典だ。
ちなみに、あまり記事にしたことがない(というより普段が所感の記事ばかりである)ため、ウマ娘に絡んだ記事以外では初となる競馬に関する記事である。
ライターとして渡す名刺には「競馬のことも研究中」と書いているのだが、私はギャンブルという競馬の本分よりかスポーツ選手としての馬にフォーカスして競馬を見ているため、馬の物語を調べるのが日課になっている。
そして、私が考える名馬には三つ種類があると思う。
ディープインパクトのように華々しい成績、類を見ない強さを見せる文字通りの名馬。
ハルウララのように、負け続けてもアイドル的人気を誇った名馬。
最後に、勝ち星を上げられなくても、シルバー・ブロンズコレクターとして常に上位の成績を残し、ファンに認知された名馬。
上二つは話題になりやすいのだが、三つ目はあまり多く語られることはないと考えている。
もちろん、スダホークやナイスネイチャ、ステイゴールドなど、シルバー・ブロンズコレクターの中でも有名な馬はいるが、もっと掘り出されていない名馬がいると思う。
私がそう考える一頭、シーキングザダイヤについて今日は語りたい。
2001年生まれの24歳と聞くと、一瞬「若いな〜」と思うかもしれないが、馬で言えば立派なおじいさんである。
シーキングザダイヤはアメリカ生まれの日本の競走馬で、2003年12月6日のデビュー戦から2007年12月29日の4年間で30戦7勝の成績を挙げた。
母はウマ娘でもお馴染み、シーキングザパール。
主にダート競争で活躍した馬だ。
デビューから1年ほどは芝で走っており、フランスに遠征をしたりとアクティブな競争生活を送っていたが、2年目からダートに転向した。
競争成績の内訳は、30(7-9-2-12)である(()内の見方は左から順に1着-2着-3着-4着以下)。
競馬に精通している人ならこれだけ見たら「まあまあ勝ってる方なんじゃないか?」と思うだろう。
しかし詳しい競争成績を見ると、「未勝利戦+OP戦+G2・G3(Jpn2、Jpn3含む)5勝」なのである。
ただこういう馬はそこそこいる。
勝ったレースの話を広げる訳ではない。
では何にフォーカスしたいのか。
そのほかの戦績を見ていこう。
2着9回、3着2回、4着以下12回。
この2着9回の内訳に注目していただきたい。
川崎記念(Jpn1)×2、フェブラリーステークス(G1)×2、マイルCS南部杯(Jpn1)、ジャパンカップダート(現チャンピオンズカップ、G1)×2、東京大賞典(G1)、JBCクラシック(Jpn1)。
全てG1かJpn1である。
ちなみにG1とJpn1の違いは、深掘りすると長くなるので簡潔に述べるが、国際的に認められたグレード(外国の馬が出走できる)か、日本が定めたグレードか(外国の馬が出走できない)の差なので、共に一番高いグレードであることに変わりはない。
このG1(Jpn1)2着9回の何を着目すべきか。
G1勝ちのない馬の中で最高記録である点だ。
今までのG1(Jpn1)2着の記録は、現在でこそフリオーソの11回が最長だが、シーキングザダイヤ以前ではテイエムオペラオーのライバルとして知られたメイショウドトウの5回だった。
G1勝ちのない馬に絞れば、1958年クラシック三冠、1959年天皇賞春2着のカツラシユウホウの4回まで遡らなければならない。グレード制導入前の話だ。
(シーキングザダイヤのデビュー後なら、スーパーホーネット、ウインバリアシオンも該当するが、2頭とも4回)
そもそもG1の2着を複数取ることも難しく、そこまで強いならG1勝てるんじゃないかと期待を抱かされる。
ただシーキングザダイヤの不運なところは、その戦っていた時期にあった。
1995年にそれまで隔絶されていた中央と地方の壁を取り払おうと、中央重賞に地方の馬が、地方重賞に中央の馬が参加する施策がとられた(交流重賞)。
その後、1996年に全国的な格付けを行う「ダート競争格付け委員会」が発足し、1997年にダートグレード制がJRAで導入された。
ダート競争にもグレードが導入されたことから、ここを目指す強いダート馬が限られた競争の枠を奪い合いようになる。
また、ダートに特化した地方の馬に、芝からダートに転向した馬が真っ向から対峙しなければいけない状況は、中央のダート馬のレベルアップに貢献した(実際ダートグレード始まった時はメイセイオペラやアブクマポーロなど中央の馬に引けをとらない地方の馬がわんさかいた)。
その最中にデビューしたのがシーキングザダイヤだったのだ。
対峙するライバルは皆強敵。
また、芝で微妙な成績を残していたがダートに転向して才能が開花した馬も多く、メイショウボーラー、アドマイヤドン、タイムパラドックスなどG1を勝つ馬も多かった。
そして、地方にも船橋の英雄として語り継がれるアジュディミツオーが走っており、どこを見ても強敵だらけという状況だ。
シーキングザダイヤの話をするため、あまり他の馬の戦績に触れないが、基本的に取り上げる馬はほとんどG1を勝っている。
年に7000頭ほど生まれると言われるサラブレッドの中で、20もないG1を勝つということがどれだけ難しいかは、その数を見ればわかるだろう。
このダート競争が盛り上がっていた時期、シーキングザダイヤはG1を勝てずとも2着9回という得難い勲章を得たのだ。
ダート競争の歴史を語る上で、絶対に外してはいけない一頭だ。
話の終わりにどんな馬に負けてきたかだけ紹介しておこう。
2005年川崎記念:タイムパラドックス(Jpn1含むG1級 5勝)
同フェブラリーステークス:メイショウボーラー
(G1 1勝。史上初めてダートG1を逃げ切って勝った馬)
同マイルCS南部杯:ユートピア
(2002年の2歳ダート王(全日本2歳優駿勝ち馬、Jpn1 4勝))
同ジャパンカップダート:カネヒキリ
(Jpn1含むG1級8勝。「砂のディープインパクト」の異名を持つ)
同東京大賞典:アジュディミツオー
(Jpn1含むG1級 5勝。地方馬として初めて海外G1(ドバイWC)に出場した)
2006年川崎記念:アジュディミツオー
同フェブラリーステークス:カネヒキリ
同JBCクラシック:タイムパラドックス
同ジャパンカップダート:アロンダイト
(芝からダート転向後怒涛の5連勝で勢いそのままG1制覇)
競馬の歴史を見たら、どこかで見たことあるなという馬ばかりである。
シーキングザダイヤはこのダート戦国時代を駆け抜けていたのだ。
地方(公営)競馬と中央(JRA)競馬でレベルの差があることは否めないが、それでも強い馬が勝ち続け、弱い馬は負け続けるのが競馬だ。
時に展開や騎手、体調の差でジャイアントキリングが起こることもあるが、その後その馬が勝ち続けられるかどうかはやはり実力次第となる。
その点でシーキングザダイヤは強い馬だった。
強い馬だったのだが、相手、展開、環境など様々な要因で終ぞG1勝ちを掴めなかった。
それでも、勝てずとも、大負けしない。だからあともう少しと応援したくなる。
そんな魅力を感じてしまうのだ。
ちなみにシーキングザダイヤは現在アメリカとチリを行ったり来たりしながら種牡馬として仕事をしている。
チリ競馬でG1を勝つ馬を複数輩出しているらしく、父親の夢を子供たちが叶えてくれているようだ。
