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急に具合が悪くなる理由(貧血)と予防10

虫歯の原因は血糖値の急な上昇にある(中略)一方、歯周病になりやすい人は前述のとおり炭水化物が合わない人で、炭水化物を摂るとビタミンCを大量に消耗してしまうのと、がん細胞は炭水化物が大好物なので、がんになりやすいということになるのです。

わが子を病気知らずのアルカリ性体質にする食事法―出産・子育て!名医が教える子供にとって最高の腸内細菌の育て方

現代社会に求められるとてつもなく複雑な作業を行うには、人は集団で思考しなければならない(中略)私たち人間は、社会的に思考しているときが一番深く考えている、ということです。

脳の外で考える―最新科学でわかった思考力を研ぎ澄ます技法

抗がん剤の副作用による肺間質へのダメージ(間質性肺炎など)や、心肺機能の低下、そして何より造血幹細胞の抑制による「貧血」が、体内からのCO排出と酸素運搬を絶望的に困難にします。健康な人(トレーニングをしている人)であれば、標高1000mでの VO2​max の低下は数%程度であり、安静時にはほとんど影響を感じません。しかし、がんの進行や抗がん剤によりヘモグロビン(Hb)値が正常の半分(例:14 g/dL から 7 g/dL)に落ちている患者の場合、平地にいる時点ですでに「標高3000m〜4000m」に相当する酸素運搬能力の低下を起こしています。その極限状態において、低気圧(台風や爆弾低気圧で 970 hPa 程度まで下がる)が到来することは、健常者がいきなり富士山の山頂にワープさせられるような深刻なインパクトを持ちます。初期の高山病に似た症状(頭痛、強い倦怠感、息切れ、あくび、思考力の低下)は、この「ギリギリの酸素供給」が低気圧によって閾値を下回った瞬間に一気に表面化。

Mind Whispering Radio🚀癌と闘う家族や友人を想いながら聴きたい曲

炭水化物を含む食事を摂るなら、その前に大さじ1、2杯の酢を飲めば体内に入ってこようとしているグルコースに備えて、インスリン感受性を手軽に増やしておける(中略)リンゴ酢、生(未低温殺菌)や未濾過の場合が多いので「『酵母』が生きている」

回復人 体中の細胞が疲れにつよくなる

酢は減量にも効果がある

人体大全―なぜ生まれ、死ぬその日まで無意識に動き続けられるのか

1個のリンゴには1億個の有用菌が含まれ、サプリメントのプロバイオティクスよりはるかに多様性に富んでいる(中略)リンゴを丸ごと芯まで食べると脳が元気になる(中略)リンゴに、1億個の微生物がいることがわかった。そのうちの90%は芯に、残りの10%は果肉に含まれていた

最強脳のつくり方大全―世界の最新メソッドを医学博士が一冊にまとめた

リンゴの皮に含まれるフロリジンには、血中の糖を尿の中に捨ててくれる作用があります。

最強の健康法 世界レベルの名医の「本音」を全部まとめてみた【病気にならない最先端科学編】

皮についた農薬を分解するにはオゾン水が最適。

新脳内革命―春山茂雄71歳!体内年齢28歳のレシピ

ここでコンポジションという概念をセザンヌをかりて振り返っておこう(中略)オレンジでもリンゴでも、球でも顔でも、そこにはひとつの頂点がある。そしてこの点は、光りや影や彩られた感覚が及ぼす恐るべき影響にもかかわらず、われわれの眼にもっとも近い。物の周辺部は水平線上におかれた一中心にむかって逃げてゆく(中略)セザンヌの制作は、「モデル」としての自然世界、その複雑なモデルを「眺めつづけ」る眼、そしてその具体化としてのコンポジションにもとづいて展開する。 「円筒形と球体と円錐形」は画面形成のための構成要素ではなく、あくまで自然というモデルを「眺める」際のてがかりにすぎない。円筒形と球形と円錐形という、丸みゆえに把握しにくいフォルムにあえて対面し、非輪郭的な色彩の「知覚の現象学」を生きること、それがセザンヌの要請

パウル・クレー 造形の宇宙

セザンヌは言った。「りんご1個でパリを驚かしてやる」。(中略)セザンヌのリンゴの絵を見つめるとき、私たちは彼の脳の内部にいる(中略)セザンヌの絵は、脳に最初に現れる世界を描いている(中略)脳が印象を完成させる(中略)かつてピカソは、自分がいちばん影響を受けたのはセザンヌとバッファロー・ビル〔西部開拓時代のガンマン〕だと語った

プルーストの記憶、セザンヌの眼―脳科学を先取りした芸術家たち

ピサロは常に変わらぬ絵画芸術への真摯な姿勢と温厚な人柄で知られ、セザンヌ、 ゴーギャン、ゴッホなど、他の人々からは敬遠されがちだった非常に個性的な若手の芸術家にも親しく接し、有意義な助言を与えることもしばしばあった(中略)画家の道を歩むと決めたとき、ゴーギャンが最初の師として頼ったのがピサロだった(中略)(※ゴッホ)はピサロから、新しい画法と明るい色調を学んだ(中略)(※ピサロ)は弱者をしいたげ、個人の自由を称賛するブルジョワジーに対して激しい憎悪をいだいていた。一方、芸術的には、自分の主義主張を作品に反映してはならないと考えており、アナーキズムの思想が表現された絵はほとんど存在しない(中略)彼はアナーキストとして実際に行動したというよりも、思考のなかでのアナーキストだったといえる。※引用者加筆.

ピサロ―永遠の印象派

後期になって決定的な成功を成し遂げた後も、セザンヌは好んで自分を「セザンヌ、 ピサロの生徒」 として位置づけた。

シカゴ美術館印象派展 (1985年)

(※セザンヌは)普仏戦争が勃発して第二帝政が崩壊するという状況の中でも、兵役のことはほとんど念頭になかった。そしてレスタックに母が借りてくれた家で、依然として父には内緒のまま、オルタンス・フィケ (※内縁の妻)と一緒に暮らした。母はその後も何度か隠れ家を用意してくれたので、憲兵隊がエクスに彼を捜しにきても見つからなかった(中略)1882年の春、ルノワールはレスタックに滞在してセザンヌから親切なもてなしを受け、1883年にはクロード・モネを連れてレスタックを再訪した。1885年夏には、逆にセザンヌが、マント近くのロシュ=ギュイヨンにあるルノワールの家を訪れている(中略)絵画とは、(止まっているものであれ、動くものであれ) 現実の一断片を、静止した画家が観察して表現するものと思われていた。マネ、ドガ、ルノワールはこっそりこの規則を破っていたので、視点の二分化は問題にされなかったが、セザンヌは視点をあからさまに増やした(中略)あなたは若くバイタリティがある。感動を持つ者だけに許される衝撃をあなたの芸術に与えなさい。私はもう歳を取って、自分を表現する時間がなさそうだ。───セザンヌ ※引用者加筆.

セザンヌ―孤高の先駆者

ジャコメッティは、すべての芸術の基礎となる素描を知っているのは、ビザンティンの人とセザンヌだけだと言っています

「ジャコメッティ アルプス生まれの全身芸術家」 芸術新潮’06/7月号

私は、これまでに書いた本すべてに関して、それがいつどのような状況のもとで描き始められたのかを鮮明に思い出すことができる。それぞれの本が書かれるきっかけになった要因を思い出すべく、そのような記憶に立ち返ってみることもしばしばある。本書の場合それは、フランスはプロヴァンス地方で起こった。私たちの友人であるローラ&エマニュエル・ウンガロの自宅を訪問したときのことだ。そこで私は、ある種の傷が創造性を高めることが多いのはなぜかに関して、エマニュエルと語り合っていた。そのときジャン・ジェネの興味深い著書『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』に話が及んだ。ピカソが、芸術的な創造について書かれた史上最高の書物だと見なしていた本だ。「美の起源は、各人各様の特異な傷以外に存在しない。隠されたものであれ、あらわなものであれ」というジェネの言葉は、「文化的なプロセスのカギを握るのは感情である」という考えにみごとに付合する。

進化の意外な順序―感情、意識、創造性と文化の起源

セザンヌのボリュームの出し方は水彩画に特に顕著に見られ、モデュラシオン(※色彩そのものを対比させることでモチーフのボリュームを感じさせるということ。明暗差で立体感を表すのと違い、色彩そのものでボリュームをだすことが可能)と呼ばれる(中略)パッサージュは「移行、推移」という意味で、セザンヌにおいては物の輪郭から線がずれていることを指す(中略)セザンヌは形の似たモチーフをグループ化していくことが多い(中略)セザンヌの素描は線が切れ切れで頼りなく、お世辞にもうまいとはいえない。だが、その何重にも引かれた線の陰影で、輪郭の微妙な変化を表している。これが1本の線で描かれた素描だったら、モチーフは空間の中でくくられ量感を表すことはない(中略)セザンヌは余白の生かし方もうまい。彼の余白はマイナスのタッチとも呼ばれ重要な表現と見なされている(中略)セザンヌは言う「絵で大事なのは正しい距離を見いだすことだ」、「色彩が充実するとかたちも充実してくる」。※引用者加筆.

巨匠に教わる水彩の技法―画家の目と技でつづる美術史

(※ルノワールの息子ジャン)は父に、ファン・ゴッホは気ちがいだったと思うかたずねた(中略)絵なんぞやろうと思ったらいくらか気ちがいになる必要があるというのが彼(※ルノワール)の返事だった。「ファン・ゴッホが気ちがいだとしたら、私だってそうだよ。セザンヌときたら、それこそ拘束服が必要さ!・・・・・・ 」 それからこうつけ加えた。「法王のユリウス二世だってきっと気ちがいだったんだよ。だからあんなによく絵がわかったのさ!」※引用者加筆.

わが父ルノワール (新装版)

セザンヌは生涯、ピサロへの敬意を失わなかった(中略)(※ゴーガン)の口癖は「セザンヌ調で描いてみよう」であった(中略)建築家ル・コルビュジェらが興したピュリスムは、水平・垂直・直角の支配する時代の景観を新しい精神(Esprit nouveau) と呼んで、セザンヌの幾何学性を彼らの美学的根拠の一つと見なした(中略)「セザンヌが私の唯一の先生だった。・・・・私は何年も彼の絵を研究した」───ピカソ(中略)セザンヌは私たちみんなの先生です。───マティス(中略)セザンヌの「感覚の実現」を継承したのは、「表現」を目標としたマティスにほかならなかったが、彼はそれ以上に大きな遺産を受け継いだ。罵倒と嘲笑の前で決してひるむことのなかった〈パイオニア精神〉である。ピカソもまた同様だった。※引用者加筆.

もっと知りたいセザンヌ 生涯と作品

晩年、交友があった若い芸術家に宛てた手紙の中でセザンヌは、「感動を持つ者のみが与えうる〈衝撃(impulsion)〉をあなた方の芸術に刻みつけなさい」と助言している。

もっと知りたいルノワール―生涯と作品

ブラックはセザンヌの作品について熟考する。彼自身の言葉によれば、「熟考すると、事物の色が変わる」(中略)ブラックをこの道で力づけたのはピカソである。ブラックは、セザンヌがそこに完全には到達しなかったことを悟った(中略)ブラックのコンポジションにおける文字の役割は、そのものとして認定できるようにすることよりは、具体的に言えばあるオブジェ、つまり新聞を暗示することよりはむしろオブジェに写実主義的 「スタンプ」を提供することである(中略)「モチーフを読み込む」術を心得ること、それこそピカソがブラックと出会った瞬間から、ブラックから学ぶものなのである。それは、ブラックがセザンヌの作品を忍耐強く探求することによって練り上げた知〔術〕、ピカソに伝えた知〔術〕なのである

ジョルジュ・ブラック―絵画の探求から探求の絵画へ

(※セザンヌ)はジョアシャン・ガスケに語る。「どちらが好きかという問題でない。教師というものは、ただ方向を示すだけだ(中略)絵の中のフォルムは一見したところ無造作に置かれているようだが、実際には慎重に考え抜かれた構図を成し、緊張に満ちている(中略)画家ルイ・ル・ベイルは、セザンヌの静物の配置の仕方について次のように書いている。「持って生まれた感性に従い、布に軽く壁を寄せてテーブルを掛けるがはやいか、果物を並べはじめた。ひとつひとつ色調のコントラストをとり、赤には緑、青には黄と補色を互いに共鳴させ。 傾け、回し、1、2個のスー硬貨を使っては、納得ゆくまで果物のバランスをとる(中略)政治に一切関心がなかったセザンヌは、泥沼状態の戦争にもまったく心を乱されなかった。召集令状は無視し、もっぱら絵画制作に集中していた ※引用者加筆.

セザンヌ NBS-J (タッシェン・ニュー・ベーシック・アート・シリーズ)

エミール・ゾラは、芸術とは「気質を通して見える自然の一片である」と定義した。本書で繰り返し見てきたように、この定義は科学にも十分当てはまる(中略)科学が数ある「真実」のうちのひとつにすぎないと考える必要はないが、科学は間違いなく人間の活動であり、従って人間の欠点が刻み込まれている。

Science Fictions―あなたが知らない科学の真実

のちにモネはこう回想している。「マネが私をバティニョール界隈のカフェの毎夕の集まりに誘ってくれた。 ・・・・・・そこで私はファンタン=ラトゥール、セザンヌ、ドガ、ゾラなど、多くの人々に出会った。彼らと際限なく意見を交わしながら話し合うのはじつに面白かった」。

もっと知りたいマネ―生涯と作品

いつの時代も、異質のものはまず反感を買うものだ。作家エミール・ゾラが収集した印象派画家の作品が一九〇三年にパリで公開されたとき、このコレクター自身も、彼のお気に入りだった画家セザンヌも、「いかれ頭」「非国民」「肉的・道徳的堕落の愛好者」などとさんざんこきおろされた(中略)「もしセザンヌが正しいとすれば、わたしも正しいはずだ」とマティスは当時考えていたことをのちに回想している。

マティスを追いかけて

セザンヌの作品がお気に入りだったゴーガンは、証券マン時代に彼の作品を買い集めて持っていたが、それだけでは物足りないと自作のなかに書き入れてしまった(中略)画面中に使われるほど、セザンヌは後輩画家たちから愛された(中略)(※セザンヌは)「自然を模写してはいけない。自然を解き明かすことだ」といい続け、印象派の様式を超えてものの本質に迫っていく。自然から受ける感動をもとに、形と色の新しい構造を追求。やがて作風はピカソやマティス、ブラックらのキューヴィズム、フォーヴィズムに連なっていくのだ。※引用者加筆.

モネとセザンヌ―光と色彩に輝く印象派の画家たち

セザンヌが特別な関心を払ったのは、近代絵画のリーダーとなったマネである(中略)五一歳で彼 (※マネ)が逝去したときにセザンヌは四四歳だったが、遺書を書いている。※引用者加筆.

セザンヌのエチュード

ルノワールはセザンヌを尊敬していた

ルノワール:生命の讃歌 (知の再発見双書 55)

(※セザンヌからの手紙)学校から、あらゆる流派から抜け出すこと、これが最も肝要なのだ。───だからピサロは間違っていなかったのだ ※引用者加筆.

セザンヌの手紙

ピカソがマネに着手するのは、エクサン・プロヴァンスに越した翌年の一九五九年

西洋絵画の巨匠 〈7〉 ピカソ パブロ・ピカソ

画家ピカソは、同じものをいろいろな方向から見た姿を一つの絵にまとめるという技法を使って、名画をたくさん描いてます。

だまし絵の描き方入門―エッシャーの描法で不思議な絵が誰でも描ける

ピカソが絵を描き始めた頃、ファン・ゴッホはまだ生きていた。エクス=アン=プロヴァンスの光溢れる田舎では、セザンヌがほとんど宗教的とも言える眼差しで、お気に入りのモチーフであるサント=ヴィクトワール山を繰り返し描いていた。そしてゴーガンはタヒチへ行くことを考えていた。

ピカソの世紀―キュビスム誕生から変容の時代へ 1881‐1937

新しい芸術家たちにとって、芸術とは反抗であり、逃避であり、自己発見の困難な道であった。セザンヌにとっても、マネにとっても、そしてもちろんゴーギャンにとっても・・・・・・・・・・・(中略)芸術家───それはかつては「模倣する人」のことだった(中略)これは、たまたまタヒチ旅行中にゴーギャン上陸の場面にでくわした、ジェノ中尉の証言である。パリ万博でバッファロー・ビルの西部劇をみて気に入って以来、カウボーイハットはゴーギャンのトレードマークだった(中略)ピカソが『アビニョンの娘たち』を発表する前の年の夏に、老いたゴーギャンが計画どおりスペインにわたり、カダケスで若き日のピカソと出会っていたら・・・・・・。この想像は、まことに刺激的だ。

ゴーギャン:私の中の野性 (知の再発見双書)

芸術は悲しみと苦しみから生まれる ───パブロ・ピカソ(中略)パリではモンマルトルに寄宿したピカソだが、その近くに、年上の友人で、ゴーギャンとともに制作したりもした、彫刻家で陶器制作者でもあったパコ・ドゥリオがいた。彼はピカソにフランスの表現者、とりわけ象徴主義者たちを紹介したり、友人であったゴーギャンの素朴な、プリミティブな世界への憧れなどの考えを話したりして、さまざまな面でピカソに影響を与えた。

ピカソの陶芸

セザンヌはグループ展には何点か出品したが、それ以外には、モンマルトルで画材店営む風変わりなタンギー爺さんに預けていた作品ぐらいしか、他人が見る機会はなかった。1900年に『セザンヌ礼賛』を描いた画家のモーリス・ドニは、1890年頃初めてタンギーの店を訪れたとき、セザンヌは何か他の研究のために偽名を使う謎の人物のように思えたと言う。

セザンヌ―孤高の先駆者

批評家たちにショックを与えた若き日のセザンヌの信念は、〈どう考えるか〉ではなく〈どう感じるか〉にあり、その姿勢は生涯かわらなかった。また、ルーブル美術館の外に出て、それまで見た物を一切忘れ、自分の目で自然を眺めて強烈な感覚を全身で受け止めなさい。そしてこれを自分自身で編み出した手法で表現しなさい、とも教えている(中略)エリート・コースにはまったく無関心となったセザンヌは、独学で絵を描きながらサロンには出品を続けた(中略)出品の目的は入選にあったのではなく、古い価値観にしがみつく審査委員たちを震撼させ、激怒させ、当時の支配的美的価値に揺さぶりをかけることにあった(中略)体制とブルジョワの美的価値観に揺さぶりをかけたマネに、セザンヌは心酔していく(中略)セザンヌの最初の後援者となったショケを紹介したのはルノワールだった(中略)セザンヌは、ピサロと思想を共有したが、ブルジョワの立場を踏み外して、芸術の世界から飛び出し政治活動をすることは一切なかった。

もっと知りたいセザンヌ 生涯と作品

「大事なのはできるだけ豊かなハーモニーを出すことだ」と(※セザンヌは)パリにいる息子に書いている。※引用者加筆.

世界の巨匠シリーズ Cezanne - 日本語版

セザンヌの死の前後、セザンヌの作品が多く発表されて、多感な画家たちはセザニアンとなった。ブラマンクもその一人である(中略)一つの芸術が偉大なるためには真面目であらねばならぬ。これは恋愛の場合と同様に鉄則である。真面目を言う者は偉大を信じ、偉大を信ずる者はクラシックを叫ぶ。───ブラマンク(中略)同情的な団体、流派、流派の首領、流派の大家・・・・・。これらの冗談を私は認めない(中略)人は自分の絵を描くのだ

ブラマンク

ゴッホの展覧会が開かれた際、ヴラマンクは初めてゴッホの作品に接した。ゴッホの色を見、そのはち切れるほどの意欲に圧倒されて、ヴラマンクは極度に感動したのである(中略)回想記の中で、ヴラマンクは「あの日は、私の父よりもゴッホの方が好きになった」と書いている(中略)ブラマンクは、画家になってからも、少年時代と同じように自転車を愛し、ボートを愛し、音楽に熱中する。彼は賞金めあての自転車レースやボート競漕に出場し、アマ・ボクシングでかせぐ。そうかと思うと、バイオリンをもって、キャフェやモンマルトルの舞台にもあらわれるのである(中略)ブラマンクは、ほとんど絵画的な教育など受けずに画家になった。それどころか、彼はルーブル美術館に足を入れたことのないのを誇りとし、美術教育だの、洗練された絵画の味などに対しては正面から反撥し、徹底的に自由を愛し、自由な制作を主張した(中略)ヴラマンクは勇ましく現実に反発し、あらゆる制度、習慣を否定する。その意味ではアナーキストであろう。第1次大戦後すでにヴラマンクは語っている。「戦争は自分にとって大きな教訓であった。それはすでに自分が考えていたことを証明した。文明に、科学に、進歩に、社会主義に対する自分の信頼は崩壊した。自分はもはや何も信じない。ただ自己自身のみを信じるのだ」と断固として言いきったものである。こうしてヴラマンクはアナーキストとしての信念を抱き、自由と個人の権威を貫こうとする(中略)晩年リュエイの彼の家へは、日曜日になると近所の村人が訪ねてくる。それは彼を愛し彼の言葉に耳を傾けにやってくるのである。そこでヴラマンクは熱をこめて語るのである。「不従順であること。共犯となることを拒否すること。文明の進歩に従わぬことである。機械に従わぬことである。馬鹿げたことに従わぬことである。俗衆のゆく道を逆にゆくこと。近代の疑似神秘から逃れること(中略)・・・・・・ただひとりでゆくこと。ただひとりで・・・・・・

ブラマンク展 : フランス野獣派の巨匠 : 1966

「犀の角のようにただ独り歩め」(中略)「私(仏陀)が教えたことなんか、どうでもいいかな。それよりも、もっと自分自身を信じて生きなさい。今の自分を信じて生きなさい」と言った。そして死んだ(中略)これがブッダ本人の本当の思想だ(※エマーソンの思想とまったく同じ)(中略)「自己信頼(自分を信じて生きなさい)」こそは、スピリチュアリズム思想の出発点(中略)「自分で自分を助ける」の意味の「自助」という考えは、その後、日本では1980年ぐらいから「自己啓発」と訳されてきた(中略)(※フランス語の)L'esprit レ(エ)スプリ は、英語のspirit スピリッツと同じで、霊魂のこと(中略)この「霊魂、スピリット」とは、それは intellect インテレクト=(知能・思考)のことなのだ。あるいは、=mind マインド「考える」ということだ※引用者加筆.

自分だけを信じて生きる―スピリチュアリズムの元祖エマーソンに学ぶ

デカルトの唯物論的な宇宙(中略)ルネ・デカルトが、我々が確実に知ることのできるのは「我思う、ゆえに我あり」という前提だけであるという単純な信念に基づいて、西洋哲学を解体・再構築した。アインシュタインも物理学においてそれと同様の方法論を取った

世界はシンプルなほど正しい―「オッカムの剃刀」はいかに今日の科学をつくったか

日本で「スピリチュアリティ」を実行するとすれば、仏教の枠組みの中で考えることになるでしょう。いかに悟りに近づいていくかが日本人に理解しやすい「スピリチュアリティ」ではないかと思います(中略)「悟りとはこの世が幻であることを理解する」こと(中略)悟りは超えていくもの 

オーセンティック・コーチング―本物のコーチング

自信は伝染する。患者さんは言葉以外にじつにかすかな手がかりを感じ取ることができるし、またそれが本人の鎮痛に対する期待に大きな影響を与えることもある(中略)次第に明らかになりつつあるのは、治療を施す人はその治療を受ける人の苦痛を和らげることに巨大な影響力を持っているという事実だ。まず、誰かが自分の痛みを止める処置をしてくれるのを目にすること自体が鎮痛になる(中略)信心深さとスピリチュアリティは痛みの処理を助け、痛みの強さを和らげる場合さえある(中略)信念は痛みを楽にすることができるようだ

痛み、人間のすべてにつながる―新しい疼痛の科学を知る12章

オリヴァー・サックスも、彼の著書について、「ほんとうの本は巻末の注のなかにあるよ、ラマ」と言っていました。

脳のなかの幽霊

「あの人、勇気あるな」と言いますが、勇気ではありません。コツをつかんでいるだけなのです。

20代をどう生きるか 楽しむための61の方法

物事の本質に迫るための「探求のコツ」と、これからの時代の学び


物事を深く探求し、本質を見極めるための「コツ」について、私の考えをお話しします。

例えば、芸術と医療という全く異なる分野を重ね合わせて考えてみましょう。ゴッホという画家を「乳がん」、ピカソを「胃癌」といったように、ある対象を別の複雑なものに見立ててみるのです。ひとつの対象(画家や特定の疾患など)を本当に理解しようと思えば、表面的な事実をなぞるだけでは不十分です。周囲の人々や後世の研究者がどのように評価しているのか、そこに「忖度」や偏見は混じっていないかなど、多角的な視点から徹底的に探りを入れる必要があります。

情報収集におけるAIの限界と、出版物の価値

昨今、情報収集のツールとしてAIが多用されています。苫米地英人博士も動画で解説されているように、AIは確かに便利ですが、安価な課金プランでは高度な回答を得られる回数に制限があることがほとんどです。本来の深い回答に辿り着くためには、高額な無制限モードを利用してAIを追求し続ける必要があります。また、特に医療のような専門性が高く複雑な分野においては、そもそもAIが明確な正解を持っていないケースも少なくありません。

したがって、未知の分野について調べる際、いきなりAIに答えを求めるのは得策ではないと私は考えます。まずは、編集者や出版社の厳しい審査(事実確認や校閲)を通った、信頼できる書籍や文献から順に調べを進めていくのが最も確実です。これは医療や芸術に限らず、あらゆるジャンル(哲学、アート、文学、社会学、詩、医学、精神医学、心理学、経営学、法律学)に共通する情報収集の基本です。

読書において物事の核心を掴むための重要なポイントは、「真実はどこに隠されているか」を見極めることです。例えば、サイコパスやソシオパス、人格障害、自閉症、あるいは癌といったテーマを検索して表向きに並ぶ書籍の多くは、何らかの忖度や配慮が含まれた内容にとどまっています。

本当に価値のある重要な事実は、まったく関係のないタイトルの書籍の中に、たった一行だけひっそりと潜ませるように語り継がれているものです。だからこそ、あらゆるジャンルを網羅する「多読・乱読」というローラー作戦で向き合わなければ、何事も本質には決して辿り着けません。

この傾向は、仏教や各宗教、マインドフルネス、瞑想、そして先述の精神・心理的テーマにおいて特に顕著です。私はこうした背景を踏まえ、あえて見落とされがちな難解な部分や、核心を突く重要な一行を丁寧にすくい上げ、皆様にご紹介しています。

「優生保護法をめぐる政治的背景と、それに伴う社会の心理的影響への対応策」というたった一つのテーマを軸に文献調査を進めていると、自然と多種多様なジャンルの知識が引き寄せられてきます。 それはまるで、磁石を持って一本道を歩いていると、周囲から砂鉄が集まってくるような感覚です。一見すると関連性が薄く、広範囲に及ぶように見える知識も、すべてはこの「砂鉄」にあたります。 一つの基礎研究を深める過程で、このように副次的に集まった知識には大きな価値があります。それは、私たちの人生を直接的、あるいは間接的に豊かにしてくれるという価値です。

「体で覚える」ジャンルの難しさと価値


しかし、こうした文献やAIによる「知識の収集」だけでは、どうしても習得が難しいジャンルが存在します。それが、ボイストレーニングやボーカルレッスンなどに代表される「体で覚える」ジャンルです。

音楽や発声に関するレッスンは、一般的なフィットネスジムやスポーツ系の習い事と比べても、月々の会費が高級(高額)に設定されていることがよくあります。これには明確な理由があります。

  1. 完全な個別最適化が必要: 人の身体や声帯という「楽器」は一人ひとり全く異なります。本や動画などの一方通行の知識では習得できず、専門のトレーナーがリアルタイムで生徒の骨格、筋肉の動き、音の響きを分析し、マンツーマンで微細なフィードバックを行う必要があります。

  2. 特殊な環境設備: 高品質なレッスンを提供するためには、専門的な機材や徹底した防音設備など、多大なコストがかかります。

このように、マニュアル化が極めて困難で、人と人が直接向き合う高度な技術伝承が必要になるため、どうしても会費が高くなってしまうのです。

今後の時代に求められるスキル

しかし、だからこそ、こうしたジャンルには計り知れない価値があります。AIがどれほど進化し、あらゆる知識が数秒で手に入るようになったとしても、「自らの身体を使って表現する技術」を他人に代わってもらうことはできません。

知識そのものの価値が相対的に下がっていく今後の時代において、このような「体で覚える高度なスキル」は決してコモディティ化(一般化して価値が下がること)せず、ますます必要とされ、重宝される時代になると私は確信しています。