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ミスは「誰が」ではなく「何が」から始める

ミスが起きたとき、誰かを責める人がいる。 

その口調や表情には、疑いのない正当性が宿る。

実際、論理が間違っているわけではない。
ミスの責任は本人にもある。

しかし、ミスした後の誰がから始まる現実は、相手を萎縮させ、次のミスを恐れて動きを鈍らせているという負の循環を起こしていた。
ミスした人を責めても、その人はいなくならない。

 責められた人は明日もまた、同じ場所で仕事を続ける。
萎縮したまま仕事をすることでミスを減らすどころか、報告の遅れや確認の欠如、工夫の消失を招き、新たなミスの土壌となっていく。

大切なのは「心理的安全性」だ。
ミスを報告しやすい環境ほど、結果的にミスは減る。責める文化はミスを隠させ、修正の機会を奪うからだ。

「誰が」ではなく「何が」から始める。手順、環境、伝達方法。
起きたことには必ず何かしらの原因がある。
人を責めるのは簡単だが、仕組みを見直すには手間がかかる。
責める側もまた、自身の不安を隠すため「誰かのせいにすれば自分は安全だ」という防衛本能が働いている。

実はこれ、自分の内側のことです。
ミスした自分を責めてしまう。落ち込んで萎縮してしまう。
誰がではなく、何が原因だったのかを考えて対策する。
脳内会議にも心理的安全性が必要だ。

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