『できない』ことでは信頼は失わない——リーダーの弱さと無責任の違い
最近出会った、二人のリーダーについて。
どちらが良いリーダーと言えるのか。
そんなことを、考えてみたいと思います。
「ちゃんと仕事しろよ」感じたAさん
Aさんに、ある仕事をお願いしました。
必要な情報を渡し、
「分からないことがあれば、
いつでも聞いてください」
と伝えました。
ところが、待っても進まない。
何度か確認し、「やります」という返事もありました。
それでも進まず、
かなり時間が経ってから、
最初にするような基本的な質問が来ました。
その瞬間、強い「嫌悪感」を感じました。
「ちゃんと仕事しろよ」と。
いろいろと、ご予定が
お忙しかったのかもしれません。
それがわかっているのに、
それまでAさんに感じていた信頼感が
マイナスに裏切られたような気がしました。
「この人も人間なんだ」と思ったBさん
一
方で、ある経営者のBさんが、
実はとても怖がりな人だと知りました。
私はそれまで、多数の幹部を率いる経営者なのだから、
もっと強い人なのだと
レッテルを貼ってみていました。
でも、
怖がりだと知っても幻滅しませんでした。
むしろ、
「この人も人間なんだな」
と思いました。
怖くないから前に立っているのではない。
怖さがあっても、
それでも自分の役割を引き受けている。
そう思うと、
むしろその人への理解が深まりました。
二人の違いは何だったのか
AさんにもBさんにも、
「弱さ」がありました。
でも、
一方には嫌悪感を持ち、
一方には人間味を感じた。
この違いは何なのか。
と振り返ってみると、
私はAさんの「できなかったこと」に
怒っていたのではありませんでした。
もし、
「ごめんなさい。
忙しくて手をつけられていません」
と言われていたら、
おそらく、それで終わっていました。
私が嫌悪感を感じたのは、
「できない」ことではなく、
自分の「できない」を隠そうとして
あたかも「やっているフリ」を
続けようとしたこと
だったのだと思います。
弱さと無責任は違う
怖い。
分からない。
できない。
間に合わない。
失敗する。
これらは、リーダーにも当然あります。
私はそれを
現実の「弱さ」のひとつだと思っています。
良い悪いということはありません。
人は、完璧でないことの裏付けです。
だからこそ、
リーダーができない部分を
誰かが補うことがあります。
でも、
誰かが自分を補ってくれていることに気づかず、
自分の「できない」から生じたことに、
意識が及ばず、
「自分は悪くない」
「自分はちゃんとやっている」
と勘違いをして、相手の責任として扱う。
私は、
そこが「弱さ」から「無責任」に変わる
瞬間だと思っています。
だから、
怖がりなBさんには幻滅しませんでした。
自分が「弱い」部分を認識をしていて、
それを自分の責任において
どうにかしようとしていたからです。
いっぽうで、弱さをもつAさんは
自分のそれに向き合おうとしなかった。
そこに人としての信頼を
感じるかどうかの大きな分岐があると思いました。
『できない』では、信頼は失われない
今回、二人のリーダーを通して、
私が人の何を見て
「信頼できる」と感じているのかが分かりました。
肩書でもない。
何でもできることでもない。
弱さがないことでもない。
「できないときに、
その人がどう振る舞うか」
私は、そこを見ています。
できなくてもいい。
怖くてもいい。
誰かに助けてもらってもいい。
でも、
自分の弱さから生じた責任に
向き合い、
誰かの責任にすり替えない。
リーダーの強さとは、
弱さがないことではなく、
自分の弱さを引き受けられること。
「できない」ことでは、
信頼は失われない。
むしろ、
「できない」と言えることに、
リーダーとしての強さが表れる。
私は、そう思っています。
リーダーは「できない」と言っていい
リーダーになると、
「できる人でいなければならない」
と思いやすくなります。
分からないと言えない。
間に合わないと言えない。
怖いと言えない。
助けてほしいと言えない。
でも、
「できない」と言わなかったからといって、
現実の「できない」が
なくなるわけではありません。
リーダーが引き受けなければ、
部下が待つ。
誰かが確認する。
現場がフォローする。
その負担は、
組織のどこかに移動します。
だから、
「できません」
「間に合いません」
「分かりません」
「助けてください」
と言うことは、
リーダーの”責任”だと思っています。
自分の状態を認識し、
必要な人に伝え、
そこからどうするかを考える。
それが、
自分の弱さを
自分で引き受けるということです。
