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葵。解ける鎖:第一章_私を見つけて

第一章 私を見つけて

 深山葵(みやま あおい)、二十七歳。

 身長約155cm、小柄で細身ながら曲線は柔らかく、胸は大きくないが丸みのある形を保ち、肌は白く瑞々しい。黒髪ロングストレートで前髪は薄く、普段は眼鏡をかけ大人しく知的な雰囲気——外すと瞳は大きく穏やかで、少しだけ無防備な色っぽさが浮かぶ。

 そんな葵は、都内の不動産会社で事務員として働き、彼女の日常は、職場と自宅をただ往復するだけの無機質な毎日だった。

 完璧にパターン化された日々には、大きなトラブルが起きることもない。けれどその代わりに、胸が躍るような刺激も感動も一切存在せず、ただ無情に時間だけが過ぎ去っていく感覚に囚われていた。
 職場では同僚や上司から

「葵ちゃんは可愛いね」

「絶対にモテそうだよね」

 と、まるで挨拶のような社交辞令を掛けられることもあった。
 しかし、それらの言葉はどこまでも軽々しく表面的で、葵の心に届くことは一度としてなかったのだ。

(みんな、私の表面しか見ていない。本当の私がどういう人間かなんて、誰も興味がないんだ)

 周囲から向けられる不透明な評価への不満と、誰にも深く触れてもらえないという寂しさが、じわじわと胸の奥底に重く溜まっていく。

 葵にも、過去に男性経験自体はある。
 けれどそれは学生時代、二十二歳の頃につき合っていた元彼が最後だった。それ以降、ふとした瞬間に男性の温もりが無性に恋しくなる夜は何度となく訪れたものの、無茶な遊びや軽率な出来心はぐっと押し殺し、専ら独りきりでの自己処理だけで虚しさを宥めてきたのだ。

 葵の内に深く根付いた真面目すぎる性格が、どうしても一線を越えることを踏みとどまらせていた。

 夜、シャワーを浴び終えた葵は、ほのかに甘い湯気が漂う脱衣所の全身鏡の前へと立った。
 バスタオルを胸元に巻きつける前に、鏡の中に映る自身の裸身を静かに見つめてみる。
 小柄ながらも程よく引き締まったウエストがあり、胸は大きくはないが人並みにはしっかりと形を保っている。その肌には、柔らかで瑞々しい質感が宿っていた。
 客観的に見ても、決して魅力がないわけではないはずだった。

(悪くはないと思うんだけど……)

 ぽつりと漏らした独り言は、湿り気のある空気に溶け、誰に届くこともなく静かに消えた。

 この体を誰かから強く求められることもなく、ただ誰の目にも触れないまま静かに消費されていく毎日に、深い虚無感が募っていく。

「……何か、変えたいな」

 そんなささやかな欲求と、ふと芽生えた軽い好奇心に背中を押され、葵はスマートフォンを取り出すと、ひとつのマッチングアプリをダウンロードした。

 アプリの登録自体は、拍子抜けするほど簡単だった。
 メールアドレスを登録し、年齢や性別を画面の指示に従って入力していく。居住地の選択欄で指が止まったが、念のため『都内』と少しの嘘を入力しておいた。
  実際の自宅からは少し離れているものの、都内であればすぐに行ける距離だし、という安易な思いからだった。

  続いてプロフィールを埋めようとするのだが、何をどう書けばよいのか全く見当がつかない。趣味の欄に読書や映画鑑賞と打ち込んでみたものの、そんなありふれた言葉で誰かの目に留まるのだろうか。

 何より、写真は最大の難関として葵の前に立ちはだかった。
 スマホをスクロールするも、会社のレクの写真とかはあるけれど、メガネをかけているし、単独の写真がない。逆に一緒に写る友達の方が見栄えが良い。

 (こんなの載せたって、一瞬でスルーされるに決まってるよ……)

 溜息をついた葵は、アプリ内で人気の高い女性たちのプロフィールの写真をじっくりと観察してみることにした。
 彼女たちの写真に共通していたのは、適度な肌の露出と、どこかあざとさを感じさせる無防備な隙だった。

 葵はベッドから立ち上がると、胸元の少し開いた服へと着替え、結んでいた髪を解いてふわりと崩し、メイクを丁寧に整え直した。

 スマートフォンのインカメラを起動し、レンズ越しに自分の顔を覗き込む。上目遣いや顔の角度を細かく調整しながら、何度もシャッターを切った。

(もっと、こう……相手を誘うような感じが必要?)

 内側から込み上げてくる羞恥心を必死に押し殺しながら、鏡の前で何度もポーズを変えていく。

 気がつけば一時間もの時間が経過しており、カメラフォルダには何十枚もの『自分であって自分ではない』葵の写真が並んでいた。
 その中から、少しはにかんだような笑みを浮かべつつ、上目遣いでじっとカメラを捉えた奇跡の一枚を選び出した。

 自己紹介文の目的欄には、『真面目なお付き合いができる方と出会えたら嬉しいです。まずはメッセージからお話ししましょう』と控えめに入力する。

 (本当は、ただ誰かに自分を見つけてほしいだけなのに……)

 清純で隙のない文章と、ほんのり艶を帯びた一枚の写真。
 そのアンバランスな組み合わせがどのような波紋を呼び寄せるのか、この時の葵はまだ知る由もなかった。

 アプリを登録したその日の夜中、静まり返った部屋にスマートフォンの通知音がぽつり、ぽつりと数回響いた。

 画面を覗き込んでみると、早くも数件のメッセージが届いている。内容も「可愛いですね」というストレートな褒め言葉や、「自分は優しい性格だよ」といった、短い自己PRばかりだった。

(結構来るんだ!)

 画面に表示された見知らぬ男性たちからの反応に、少しだけ胸が躍るような嬉しさを覚える。

 だが、まだメッセージを読むだけで満足してしまい、自分からわざわざ返信しようという気にはならなかった。自分という存在が認知された満足感に浸りながら、葵はその夜、ただ通知を眺めるだけにとどめて静かに目を閉じた。

 アプリを開いて数日が経つと、届くメッセージの空気感も少しずつ変化し始めていた。

 最初のうちは「今日もお仕事お疲れ様」「休日は何をして過ごしているの?」といった差し障りのない挨拶や、他愛のない雑談ばかりだった。葵もそれに合わせて「お仕事お疲れ様です」「休日は映画を見たりしています」と、丁寧で無難な返信をいくつか返すようになっていた。

 だが、やり取りが数回続くと、男性たちの言葉にはじわりと甘い下心が混ざり始める。

『葵ちゃんって、すごくスタイル良さそうだよね』

『写真の雰囲気が可愛すぎて、なんだかドキドキしちゃうな』

 ストレートに好意や魅力を褒められるたび、葵の胸の奥はそわそわと妙な高揚感で満たされていった。職場での「可愛い」という社交辞令とは明らかに違う、一歩踏み込んだ視線。それがどこか心地よくもあり、彼女は次第にスマホを気にする頻度が増えていったのだ。

 しかし、会話が少し打ち解けてくると、男たちの距離の詰め方は一気に強引なものへと変わっていく。

『今週末空いてる? 美味しいお店知ってるから飲みに行こうよ』

『どこでも車で迎えに行くから、一緒に食事でもどう?』

 まだ会ったこともない相手からの遠慮のない誘いに、葵は

「まだ始めたばかりなので……」

 と戸惑いながら交わした。
 やり取りをする男性は何人もいた。だが、葵の心の中で彼らの優先順位は少しずつ分かれていく。

 当たり障りのない日常会話しかしてこない男性や、強引に会おうと押し切ってくる男性とのやり取りは、次第に億劫になり返信の間隔が開いていった。葵が真に求めていたのは、上辺のデートや社交辞令の付き合いではなかったからだ。

 そうして自然と相手が絞られていく中で、残ったのは葵の「真面目そうな雰囲気」の裏にある隙を見抜き、言葉でじわじわと理性を揺さぶってくる男たちだった。

 断られても諦めず、距離を詰めようとする彼らの言葉からは、丁寧だった皮が剥がれ落ちていく。

「彼氏とはどんなことをしていたの?」

「真面目そうな顔をして、本当はエッチなことが好きでしょう?」

 といった生々しく卑猥な質問が、遠慮なく投げかけられるようになっていったのだ。

(なに、これ……気持ち悪い……)

 葵は眉をひそめ、たまらずスマートフォンの画面をバタンと伏せた。

 踏み込まれすぎた距離感に強烈な拒絶反応を抱いた彼女は、そのままアプリをアンインストールしてしまおうと指先を動かした。

 だが、アプリを消そうと画面を操作しようとした瞬間、指がピタリと止まった。

 画面の伏せられたスマホの奥で、ぽつり、ぽつりと新しい通知音が鳴り響いている。

 恐る恐る画面を覗き込むと、そこには絞り込まれた男たちからの過激な言葉が躍っていた。

『君のその真面目そうな顔が感じているのを見てみたい』

『ねえ、今どんな下着を履いているの?』

 息を飲み、じっと画面を見つめているうちに、葵の胸の奥で予期せぬ鼓動がドクンと激しく跳ねた。

 先ほどまでの不快感や恐ろしさのすぐ裏側に、ぞくぞくとするような奇妙な熱が混ざり込んでいくのを感じる。長年押し殺してきた欲望の残り火へ、一気に油が注がれたかのようだった。

(この人たち、私のことをそんな目で見ているの……?)

 五年以上もの間、誰からも肌を求められることのなかった自分が、顔も名前も知らない男たちの熱い欲望を一心に集めている。

 不快なはずなのに、選ばれ、暴かれていく感覚。

『見られている』という確かな事実が、葵の神経を妙に尖らせ、静かに、けれど確実に理性を揺さぶっていった。

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