【エッセイしりとり】溜め息と心音
こんなバトンを受け取ってしまった。
千夜褪寡さんから受け取った。
最初はあまり柄でもないから、見なかったことにしておこうと思った。
でも、書くことにした。
期待には応えたい。ただそれだけの理由だ。
しかし、バトンを誰かに渡すのはどうにも苦手な性分なので、大変申し訳ないが私で受け取ったバトンを止めさせて貰う。
千夜褪寡さんからは「た」で回ってきた。
私のタイトルは「溜め息と心音」。
「ん」で終わらせてみたら綺麗に片付くだろう。
さて、エッセイでも書くか。
どうにも人の溜め息が気になる性格で、溜め息という誰かの小さな挙動を無視できる仕事仲間なんかを見ていると羨ましい気持ちになる。
そんな溜め息を聞いて、
「この人はイライラしているのかな?」
とか、
「この人は疲れているのかな?」
とか、そんなことを推察してしまう。
だから、溜め息が嫌いだ。
私の脳のリソースが結構持っていかれてしまう。
人の事が気になるくらいならまだいいのだけれど、自分自身の事も気になる。
心音がいつもどうしても気になる。
ドクドクと鳴る心臓。
その心音を耳にするといつもその心臓がいつか止まるという事実を想起してしまう。
Memento moriという価値観が急に自分に流れ込んでくるのだ。
いつか、自分は消え行く。
当たり前なのだけれど、その当たり前を脳内で考え始めると、その恐怖がどんどんと自分を締め付ける。
外の世界では誰かの溜め息の音に怯え、
内なる世界では自分の心音に怯え、
いつまで経っても、落ち着かない脳内。
いつまで経っても、消えない恐怖。
小さい頃からずっとそうだ。
外では誰かの顔色を伺って、伺って、邪推して、さらに疑って、また顔色を見て。
内では自分の終わりを意識して、一瞬別なことに心移りして、一時的にその怖さを消して、また一人になって、どんどん怖くなって。
いつになったら私の脳内は落ち着くのだろうか。
その溜め息と、この心音と。
誰か。それだけ聞こえないようにしてよ。
なんでもするからさ。
※追記
さっき気付いたのだが「ん」を付けてしまったらスポンサーに回らなければならないらしい。
何も調べずに飛び乗ってしまった。
無知とは恐ろしいものだ。
そんなわけで今回ばかりはどうか、審査なんてしなくていいから、見逃しては頂けないだろうか。運営様。
もういっそ、「ためいきとココロオト」と読むことにしてしまおうかなんて考える今日この頃。
