店舗を飛び出し、街の「居心地」を自律走行させるためには
「かつての中心」が放つ、沈滞の予兆
少し離れた所にできた大型の食品専業スーパーは、まばゆい照明の下、山積みの食材が活気に満ち溢れた感じで陳列され、さながら食のテーマパークのようです。対照的に、これまで頼りにしていた総合スーパーの食品売り場は、棚の欠品が目立ち、通路には品出しの段ボールがそびえ立つ。店員さんは補充に追われ、どこかお疲れの様子です。この「活気の格差」は、単なる店舗の勝ち負け以上に、私たちの住む街の「中次中心(生活圏の拠点)」が沈滞していく予兆かもしれません。このままでは、店舗の衰退が街全体の不活性化という「沈没」を招きかねない。そんな危機感が募ります。
店内に漂う「ニーズの種」を救い出せ
しかし、既存のスーパーをよく観察すると、興味深い光景にも気づきます。活気の薄い売り場の傍ら、フードコートには高齢者が集い、おしゃべりに花を咲かせている。また、別のフロアには「受験生応援席」まで設けられています。店側も地域の空間ニーズには一定の気づきを持っているのでしょう。しかし、その善意のスペースも、店舗全体の沈滞感や硬直化したオペレーションに足を引っ張られ、かつての「街の核」としての輝きを取り戻すには至っていません。ならば、そこにある「空間ニーズ」を、店舗の限界に左右されない「公的な場所」へ、いわばソフト・ランディングさせてしまえばいいのではないでしょうか。
「ゲリラ的介入」が街の血流を動かす
幸い、この街には歩いて5分の距離に、無料の動物園や噴水がある立派な公営公園があります。この公園を「第2のフードコート」や「青空自習室」へと読み替えていくのです。その際に、注目したいのが「タクティカル・アーバニズム(戦術的な都市改善)」という手法です。行政の予算を待つのではなく、お気に入りの椅子を一脚、公園の特等席に持ち込んでみる。スーパーで買った惣菜を、噴水の音をBGMに、誰かと適度な距離(遠食!)を保って食べてみる。許可を求めるより先に「居心地の良さ」という既成事実を街にドロップするのです。そんな市民の「軽やかな介入」こそが、衰退する巨大店舗に代わって、街の血流を動かし続ける新たなエンジンになるはずです。
