庵野秀明は、なぜ「シンゴジラ」をモノクロ版で再リリースした?
先月の中旬、今年の11月3日(←ゴジラの誕生日)公開予定「ゴジラ-0.0」のメインビジュアルが解禁されました。

前作「-1.0」同様に、監督・脚本は山崎貴、主演は神木隆之介&浜辺美波ということらしいですね。
オスカー受賞作の続編であり、今から非常に楽しみである。
いや~、ここにきて「ゴジラ」はちょっとした黄金期を迎えてるといってもいいのかな、と。
これまで「ゴジラ」シリーズは累計30作品以上も製作されてきたわけだが、いや、こんな言い方をするとマニアの方に叱られるのかもしれないにせよ、この際だしハッキリ言っちゃうね。
ぶっちゃけのところ、「ゴジラ」作品の大半は1954年製作の初代「ゴジラ」のクオリティをず~っと超えられなかったんですよ。

そうだな、仮に初代「ゴジラ」の偏差値が70だとするなら、それ以外の作品は大体が偏差値50台、60台の間を行ったり来たりしてるようなイメージ。
稀に50を割っちゃうのもあったりして・・。
だが、ここ10年の間で驚いたことに偏差値70超えの「ゴジラ」が立て続けに2本もリリースされたわけさ。
こんなの、長いゴジラ史の中でも奇跡というべき現象である。
「シンゴジラ」(2016年)

「ゴジラ-1.0」(2023年)

いや、この2つはもはや初代を超えたといって差し支えないのでは?
というか、「シンゴジラ」は<官>の頑張りを描く「ヤシオリ作戦」、また「-1.0」の方は<民>の頑張りを描く「海神作戦」、これうまいこと互いを補完する関係性になってるのが実にいい。
「シンゴジラ」はエモい要素を徹底排除してひたすらビジネスモード貫くのに対し、「-1.0」は逆にエモさフルMAXで家族愛モードを貫く。
うむ、これ2つで1つのワンセットだよな?
あと付け加えると、近年はアニメ版「ゴジラ」の方もなかなか秀作でした。
虚淵玄版「ゴジラ」3部作(2017年)

TVアニメ「ゴジラS.P.」(2021年)

まさか「ゴジラ」という消費され尽くしたはずのコンテンツが、ここにきてこれほどまでに輝きを取り戻すとは・・。
こういうの、全ては2016年の「シンゴジラ」から始まったムーブメントだと私は思うし、つまり、これは日本の映画業界から勃興した潮流というよりはむしろ、畑が違うアニメ界のクリエイターの側が牽引した流れに見えなくもないんですわ。
庵野秀明、つくづく彼の功績は大きい・・

あと、この「シンゴジラ」の成功以降、庵野さんの特撮における偉大な功績が残りもうひとつあるんだが、それって何だか皆さんお分かりになります?
それって、「シンウルトラマン」のこと?

・・いいえ、違います。
じゃ、「シン仮面ライダー」のこと?

・・いいえ、全く違います。
そっちじゃなくて、もっと重要なのはコレ↓↓の方です。
「シンゴジラ:オルソ」(2023年)

・・そう、みんな意外とこれを見逃しがちなんだが、この「オルソ」は日本特撮映画史に革命を起こしたといって過言ではない一作なんです。
というのはさすがに大袈裟かもしれんが、ようはこの作品、「シンゴジラ」(カラー映像)をモノクロ映像に変換しただけの内容だよ。
で、皆さんもそのへん分かってただろうし、「『シンゴジラ』は1回見てるし、敢えてモノクロ版まで見る必要ないよね」とスルーした人たちはかなり多いと思う。
・・だけどね、これはもう私からは「騙されたと思って1回見て!」としか言いようがない。
この際だからハッキリ言いますけど、
「シンゴジラ」はオリジナル版よりも
モノクロの「オルソ」の方が断然いいです!

・・いや、これって、よく考えたら超おかしな話ですよね?
モノクロとは本来旧式のものであり、フルカラー版はそれの上位互換のものであるはずなんだよ。
なのに、「ゴジラ」の場合はモノクロで見た方が断然迫力があるんです。
ちなみにだが、「シンゴジラ」のモノクロ化の企画を立案したのは他ならぬ庵野さんである。
で、この「オルソ」の予想を超えた観客の評判の良さを見て、その翌年には
「-1.0」もモノクロ版の「-1.0/C」をリリースしました。


で、「-1.0」はもともと1940年代~1950年代の古い時代背景のお話だけに、これはもう「シンゴジラ」以上にモノクロ映像がハマっちゃってましてね。
正直、私はこれ見て「・・あ、これこそが『-1.0』の完成形だ!」と率直に思いましたよ。
いや、おかしな話である。
本来ならフルカラー版こそが完成形であるはずで、色が不完全なモノクロ版はむしろ未完成形のはずなんだから。
しかし、これは恥ずかしながらカミングアウトすると、私は「-1.0」を見た時には泣かなかったのに、「-1.0/C」を見た時は号泣しちゃったんです(笑)。
この現象、実は自分でもちょっと不思議でしてね・・。

で、この<「ゴジラ」はフルカラー版よりモノクロ版の方が面白く感じる>というフシギ現象に対し、識者の多くは「モノクロ特有の『記録映像』感がこのパニックの臨場感を演出している」みたいなことを異口同音に言ってるんだが、私はそういう説明は正直あまりしっくりこなくてね・・。
・・あ、まずひとつ誤解のないようにしてもらいたいんだが、全ての映画がモノクロ化した方が映画としての完成度が上がるというわけでもないのよ。
これは、あくまで特撮映画(怪獣映画)に限っての話。
ようするに、こういう類いの映像はモノクロ化されることによって特撮特有のノイズ(作りモノとしての違和感)があまり目立たなくなるという利点があるわけよね。
つまり、モノクロ化することで映像の<情報量>を少し下方修正できるわけよ。
で、この点について結構多くの人が誤解してるんだが、
<情報量>が多い画➾優れた画

<情報量>が少ない画➾ダメな画

という解釈をしがちなんですよね。
しかし、この<情報量>の大小という意味でいうなら
2次元(漫画)➾<情報量>は3次元より小
3次元(実写)➾<情報量>は2次元より大
というロジックが成立するわけで、じゃ、そのへんを踏まえて漫画と実写の情報量の大小によるギャップを少し比較してみましょうか↓↓


はい、ご覧になってお分かりの通り、どうしたって3次元の方には違和感を覚えてしまいます。
つまり、ノイズを感じるわけですね。
・・じゃ、そのノイズの正体が一体何なのかというと、分かりやすくいえば余計な<情報>というやつです。
もともと、生身の人間は記号化された2次元キャラよりも情報量が多い存在(高次元存在)だし、こればっかりはどうしようもないんだが・・。
しかし今回、庵野さんがヒントくれた「モノクロ化することにより<情報>を削減する」という手法はこういうところでも実は有効かもしれないわけで一度「ゴールデンカムイ」モノクロ化は試してみる価値があるのかも(笑)。


でも今になって思えばさ、日本の映画の黄金時代って基本的にはモノクロの時代だったのよ。
黒澤にしても、どっちかというとカラーで撮るようになってからは少し劣化したとさえ言われてたよね?
「七人の侍」にせよ「生きる」にせよ「椿三十郎」にせよ、名作とされてるものは全部が全部モノクロ。
で、私は率直に思ったんだが、もともと日本人って
あまり<情報量>が多くない媒体での表現の方が得意、という資質なんじゃないのか?

たとえば漫画・アニメって、写真や実写映像に比べれば<情報量>が決して多くない媒体なんだよ。
そもそも、こういったものは「線」で輪郭を表すような記号化表現の産物だし、ましてや雑誌に連載されてる漫画なんて、色さえ塗られてないモノクロの画じゃん?
よく考えりゃ、漫画というのはこんなにも<情報量>の乏しいコンテンツだというのに、ほとんどの日本人はそこに不満を感じることなく今もなお毎日楽しんでるわけでしょ?

おそらく日本人って、<情報量>の乏しい記号表現を読み取った上でそれを楽しむことに長けてる民族性なんじゃないかな、と。
これはDNA的な素養として。
たとえば明治文明開化まで、日本と外国の絵画↓↓のスタイルは全然違ってたわけです。
<日本>

<外国>

はい、この<日本>と<外国>の違い↑↑をお分かりになります?
<外国>が3次元の模写であるのに対し、<日本>のは輪郭を黒い線で描く系の明確な記号表現であり、つまり3次元からは程遠い2次元なんですよ。
じゃ、どっちの<情報量>が多いのかといえば、それはもう言うまでもなく
外国>>日本
です。
・・いや、こういう長い歴史に培われた前提があるからこそ
日本は漫画・アニメの国、<情報>を省略した記号表現の国になった、というべきでしょう。

で、話を「シンゴジラ:オルソ」に再び戻すが、おそらく庵野さんがここで施した作業の本質は
<色彩を抜くことによるゴジラの記号化>
だったんじゃないでしょうかね?

いや、正直そのへんの真意まではよく分かりませんけど。
まぁ何にせよ、私はこういう<引き算>系のアプローチこそ日本サブカルの生命線かな、と考えてるクチでして・・。
だってさ、「ゴジラ」はいまやハリウッドも扱ってるコンテンツなんだが、あっちの戦略はもう完全に<足し算>オンリーじゃん?

こんなのをやられたら↑↑、ウチとしては<足し算>勝負の土俵には立ちたくないよね(笑)。
映像に<情報量>を盛ることにかけてはハリウッドはいまだ世界一であり、我々はそっち側で真っ向勝負しなくていいと思うぞ。
多分、我々には我々なりの得意なフィールドというのがちゃんとあるのよ。
<引き算>の文化、我々は日本人として大切にしていこうぜ!

