共有できている前提で話し続ける、という傲慢さ。
ああ、すごく分かるなあ。
どうしてあんなに、自信満々なのか――。
「迷惑」を忌避する社会で際立とうとして、「いきり」が幅を利かせ、暴走する。
「従順」か「居丈高」か。
世の中に蔓延(はびこ)る、この二択から逃れ、ちゃんと深く息を吸うために、疲弊した社会の問題点を掴まえる。
社会、"私"という個人、日本人論のトライアングルの中に「いきり」を浮かび上がらせることを試みた一冊。
武田砂鉄さんは好きな著者の1人なので、だいたい読んでいる。
好き嫌い分かれそうではあるけど…
私は武田砂鉄さんの淡々としていて、かつ鋭い物言いが好きなので、ところどころでニヤニヤしながら読んでしまう。
で、何が分かるなあと思ったのか。
()は私の気持ち。
・格闘技全般に興味を持てずにきた(わかる)
・TV番組で男性芸人の多くが頻繁にプロレスの話をする(たしかに)
・その場の状況をかつての名試合にたとえたり、窮地に立たされた時に格闘家のモノマネで脱しようとする(それ見たことある)
→まずその試合や人物を共有できている前提で話し続けてしまう傲慢さを感じる
ほんとそれな、と思う。
これを読んで、旅先で乗ったタクシーの運転手の話を思い出した。
タクシーで走っている道路の近くに、そこそこ有名?な野球選手の母校があるらしく。
その選手について、運転手のおじさんは、饒舌に話をはじめたのだ。
夫は知っていたらしく相槌を打っていたが、
私はスポーツ全般に興味も知識もない。
だから、この手の話を共有できている前提でひたすら話してくる人が苦手だ。
特に野球=全国民周知のスポーツ、という前提で話してくる人が多いのが辛い。
たとえその界隈の知識がなくても、聞き役に徹することで得られるものがある、というのは分かる。
分かるんだけど、
野球や格闘技に関しては、どうにもこうにも関心が持てない。
そして偏見だけど、年配の男性ってスポーツの話を共有できている前提で展開してくる人が多い気がしてる。なんでだろう。
そしてこれって、何もスポーツに限った話ではない。
自分自身も、共有できている前提で話をしていることがあると思う。
そして、そんな傲慢なnote記事は1つや2つではないだろう。
で、なぜ共有できている前提で話してしまうのかと言うと…
説明がめんどくさいから、な気がしてる。
めんどくさいから
「当然知ってるでしょ?」
みたいな感じで、サクサク書いてしまう。
良くない。
すごく良くない。
かと言って、毎回毎回丁寧に1から説明するのも違う気がするんだけど。
共有できている前提で話し続けていないか?
という視点は、常に持っていたいかも。
そんなことを思った1冊だった。
いいなと思ったら応援しよう!
チップとデールは、ディズニーのキャラクターであるシマリスの仲良しコンビです。私はチップ推しです。