13番目の、白石
「井上……井上……!」
「……なんだよ。」
磨き過ぎの窓ガラスが朝の陽射しを招き入れる夏の教室に、米田先生の声が響く。
経の如く心地の良い、凪波の低音に包まれて、俺はもう間も無く眠りに落ちる手筈だった。
それをまた、あいつが──
「君。エヴァの映画、もう観に行きましたか?」
「それ、今じゃなきゃだめ?」
白石は頷いた。
極めて真剣な顔をしている。
「行ってねえよ。」
「君、推しは誰ですか。ゲンドウですか?」
「断定してくんなよ、アスカだわ。」
「ああ……だから、でしたか。」
「何が。」
「君、『俺、中学ん時ィ、三年間ずっと出席番号変わらんくて、うん、そう。二番。早くねェ? 二番。な、やべェじゃん。マジで。でさァ、癖でッ? 五月くらいまで二番って書いてる時あったんさ。いやァ、だってさ、五番になると思わんくない? 井上が。だって、井上だよ? 思わんでしょ、絶対! 二番が妥当。大抵、二番が定番だろ、ハハハ!』ってやたら二番を強調してらっしゃいましたよね?」
「はっ? お前……何? マジで、何?」
何だ、こいつ……
俺が言ったこと、一言一句、漏らさずに……?
いや、待て。
俺、こんな馬鹿っぽい喋り方してたか?
嘘だろ。
こんな大橋チックな訳……
……じゃなくて、その話、お前にしたか?
「ふふ……」
「あ?」
「失敬。君、井上が二番、というのが定番だとおっしゃいましたがね。僕の中学では、遠藤一番、齋藤二番、でしたよ。」
カステラか……?
カステラなのか……?
というか、遠藤が一番、齋藤が二番ってあまりにもトリッキー過ぎるだろ。
「じゃあなに。白石が三番?」
「いいえ、僕は……」
真上のエアコンが、ぶわっと風を吹き出した。
湿気た黴臭い風だった。
「十三番です。」
「はあ?」
齋藤から白石の間に十人だと……?
イカれている。
どうかしている。
俺は考えた。
考えに考えた。
「わかった。佐藤がいっぱいいた。」
「いません。」
「ええ。そもそも佐藤は学年に一人しない稀少な存在でしたよ。」
どんな学校だ。
佐藤なんて掃いて捨ててもまた湧いてくるくらいいるだろう。
「なら、佐々木か?」
「いません。」
「え?」
「佐々木は全学年通して、いません。」
お前の市はどうなっているんだ。
根川貝殻坂橋を超えると、そこは異世界なのか……?
焦れる俺を尻目に白石はあくびをひとつして、窓の方をちら、と見てから俺に視線を戻した。
「おや、興味がおありですか……」
「べ……別に。」
白石が見たであろう空を、俺も見てみた。
ただ、ひたすらに青い。
それよりも、窓枠付近でうごめく生物。
あれが内なのか外なのか……
「三番、佐伯……」
やめろ、言わなくていい。」
「四番、三枝……」
ああ、甲子園球場……
「五番、榊……」
なんだか急に、小学生の夏を思い出す響きだ。
「六番、笹原……七番、真田……」
「わかったよ、もういいよ。」
「ここからです!」
「は?」
何だよ、ここからって。
テストに出ますよ、的なアレか?
「志賀、志田、斯波!」
「え?」
「志賀、志田、斯波!」
俺は額を机に打ちつけた。
鼻から喉に、どろっとしたものが滴った。
一年前の、奴の担任はさぞ腹筋だけが発達していることだろう。
「十一番、嶋田……」
唐突に、普通だな。
「十二番目、下野……」
まずい、まずい、くる……
──井上ェ、井上ェ……
クソ大橋め、何度言ったらわかる。
シャーペンの、それも、芯の方で背中を突っつくのはやめろって……
「なに?」
不自然に焼けた顔が思春期的大正解の清々しいまでの粘着質のにやつきをたたえている。
「今日のおかずは何だ?」
「はあ?」
「とぼけんなよ、大丈夫だ。全校生徒千二百人、中等部まで入れりゃあそのうちの五百人くらいは今お前と同じ境遇にあると思うぞ。」
今に関して言えば断じて違うし、違わなくても何のフォローにもなっていないのだが。
「そりゃあどうも。」
俺は向き直った。
いや待て。
何の話をしていた。
左を見る。
そうだ、こいつと話していた。
それでこいつが、「シガ、シダ、シバ」とかなんとか言ったせいで俺は……
「あんた、バカァ?」
教室が、静まり返った。
というのは、ものの比喩だ。
教室は、はなから静かだった。
米田先生の経……じゃなくて講義の声と女子が手紙を回す音、そして「シガ、シダ、シバ」、バカ橋のおかず……
「うるせえよ、帰れよ。」
割合に教室一体が見渡せるこの席で、今この白石の一言がもたらした衝撃の大きさを俺だけが一手に引き受けている。
もう何も見たくない。
俺は手で顔を覆った。
「帰ってもよろしいのですか?」
「やめろって。一応授業中なんだわ。」
薬指と小指の隙間から応えた。
「ああ、君の望みが叶ってアスカさんが同じクラスにならなくてよかったです。」
「何でだよ。」
「惣流さんなら構いませんがね、式波さんだと困ってしまいます。」
なにがだ。
そもそもアスカは十四歳。
中学生だ。
アスカと同じ学校には、俺もお前ももう通えないんだ。
「そんなことより、見てください……」
今度は何だ。
なぜ、お前の股ぐらを見なければならない?
恐る恐る身を乗り出すと奴の膝には文庫本が載せられていた。
ある一箇所をしきりに指で撫でている。
「ん?」
ぼやける。
よく見えない。
さらに顔を近づける。
見えない。
まばたきを繰り返す。
──あんた、繭倉あ?
「はあ?」
突然、降ってきた声に俺は思わず声を上げた。
「井上だよ!」
「知っています。」
「知ってるよ。」
横から後ろから、総攻撃だ。
「川端康成君の小説の中の台詞ですよ。」
白石は表紙を俺の顔に近づけた。
「近い、近い……」
「駒子さんって言うんですけど……」
「全然アスカじゃねえじゃん!」
「いや、僕、思うんですよ。これが元ネタじゃないかって。」
「うん。」
「だって、『あんた、繭倉あ?』ですよ?」
だから何だ。
お前は馬鹿なのか?
「あんた、バカァ?」
俺は今、生徒指導室にいる。
左にガングロ、右に白石。
陽の差し込むことのない部屋に、心地の良い経が絶え間なく流れている。
ただ、それだけだ。
黴臭い風が吹き下ろすのを、暑苦しい蛍光灯が消えるのを、長針のシャン、という音と共に待っているのだった。
【習作】です。
本編が書き上がらなくて、朝唐突に降ってきたのを勢いのままに書きました。
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【習作の連載】
レゲボンのライブ会場にいる井上と白石。
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前回は突然●●し始めた白石に振り回されたが……?
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大正時代が好きな方はこちらを。
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恋愛は恋愛でも胸キュンしたくない方向けの恋愛小説です。
溺愛も、救済も、ありません。
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完結済みの掌編集。
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ゆきお様・解説
キャラクター配置からタイトルの「、」の意味まで徹底分析してくださいました。
本編よりも、解説が面白い。
という嫉妬に狂いそうな事態にワタクシ、大困惑です(良い意味で)。
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よもぎちゃーん!
はーい!
何が好き?
ポテトチップスよりも
お・ぬ・し