【別便・読み返しの補助線】【書評】ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧』――本編のあとで、応答する人間をもう少し考える
はじめに 改訂後に残った問い
『夜と霧』の記事を、あらためて改訂しました。
最初に書いたときには、この本を「つながり続けることの重圧」や「孤独を守ること」と結びつけながら読んでいました。それはそれで、いまの私たちの暮らしに届く入口ではあったと思います。SNSや仕事、家族や共同体のなかで、私たちはたえず誰かの声に触れています。つながりがあることは救いでもありますが、その一方で、つながり続けることは、ときに自分の内側へ戻る時間を奪っていく。その感覚から『夜と霧』を読むことには、たしかに意味がありました。
ただ、今回読み返してみると、もう少し慎重でなければならないとも感じました。強制収容所で起きたことと、現代の日常にある息苦しさとは、決して同じものではありません。その距離を曖昧にしたまま、「現代にも通じる」と言ってしまうと、この本が背負っている歴史の重さを軽く扱うことになってしまいます。
だから本編では、『夜と霧』を現代へすぐに引き寄せるのではなく、遠い歴史から届く問いとして読み直しました。人間はどこまで奪われうるのか。どうしようもない状況のなかで、なお何かを選ぶことはできるのか。尊厳とは、最初から輝いているものではなく、壊されかけながら、それでもなおかすかに残るものではないのか。
今回の別便では、その本編のあとで、もう少しだけ考えてみたいと思います。
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