「課題発見型人材」と「クソ指摘製造機」の違い
「いい指摘」と「指摘もどき」の境界線って、実はめちゃくちゃシンプルなんですよね。
その指摘を反映したら、成果物は反映前より良くなるのか。
Yesなら、これは素晴らしい課題発見と言えて、
Noなら、どれだけもっともらしく聞こえても、ただのゴミ指摘。
仕事をしていると「課題発見型の人材」と呼ばれる人がいる一方で、一見同じことをしているように見えて、ひたすらゴミ指摘を量産している人がいる。
しかも厄介なことに、本人はゴミを製造している自覚がまったくない。
「自分は課題を見つけている」と思い込んでいる。周囲からも「指摘」「フィードバック」「質問」という同じ形式で飛んでくるから、区別がつきにくい。
でも、受け手側にはわかるんですよね。「あ、これまたゴミ指摘だ」って。
「ちゃんとした指摘」の3つの条件
じゃあ何が違うのかという話なんですけど、ちゃんとした指摘には、共通して3つの条件がある。
①不可逆性を理解していること
第一に、タイミング。
もっと正確に言うと、不可逆性との関係をわかっていること。
「そもそも論」って、まだ引き返せるフェーズで出すから価値があるわけで。
方向性を決める段階で「これ本当にやるべきなんでしたっけ?」と問うのは課題発見です。
議論の方向を根本から正す力がある。
ばらしーす。
ところが同じ「そもそも」が、もう実行段階に入って埋没コストが積み上がった後に出てくると、たとえ論理的に正しくても機能しません。
しかも一番タチが悪いのは、意思決定に参加する機会があったのに沈黙していて、実行フェーズになってから「そもそも」を言い出すケース。
ただの後出しジャンケンなんですよ。
お前その場にいただろ、という話で。
タイミングだけじゃありません。
「そもそも~」のあとに何が続くかで、指摘の価値はまったく変わります。
「そもそもこの問い自体が違うのでは?本当に解くべきはこっちでは?」というリフレーミングが入っていれば、議論は前に進みます。
でも「そもそもそれって意味あるの?」で止まる人、めちゃくちゃ多いんですよね。
壊しただけで何も残っていない。
本人は鋭いことを言ったつもりなんですけど、受け手からすると「で?」としか言いようがない。
もっとひどいのが、抽象度だけ引き上げるパターンです。
「そもそも我々のビジョンは…」みたいなやつ。
具体的な論点に一切接続せずに、議論の高度だけ上げて着地させようとしない。
こういう発言をする人に限って、会議後に「いい議論ができた」とか言います。
いや、あなたが議論を止めたんですけど。
視座高い風ムーブしてんじゃねーよ。
②反映可能性があること
これは、指摘を受け取った側が、具体的なアクションに変換できるかどうかですね。
ここがけっこう見落とされがちで。
たとえば「こういう意味合いであってますか?」という確認。
一見丁寧に見えます。
でもこれ、発言者の頭の中の整理が終わっていない状態を相手に押し付けているだけで、成果物を動かす力を一切持っていません。
しかも他の誰もそこに引っかかっていないのにその人だけが聞いてくる場合、それはもう成果物の問題じゃないんですよ。
あなたの理解力の問題です。
にもかかわらず、「理解不足で恐縮ですが」とへりくだりながら聞いてくるので、受け手は機嫌を損なわないように丁寧に説明しなきゃいけない。
この手間が地味にめんどい。
指摘した本人は何のコストも払っていないのに、受け手側に説明コストだけが積み上がっていく。
しかも説明したところで成果物は1ミリも前に進んでいない。
この非対称性、経験した人にはわかると思いますけど、たまらなくしんどいんですよね。
③反映後に品質が上がること
これが一番本質的な条件です。
指摘を反映して成果物が良くなるなら、それはいい指摘。
反映できないもの、反映したところで品質が上がらないものは、ただのゴミです。
指摘でもフィードバックでもない。ゴミ。
結局のところ、課題発見型人材の指摘を受けると成果物が前に進むし、ゴミ製造機の指摘を受けると、仕事の進行がただ止まるだけ。
やっていることの方向が真逆なのに、フォーマットが同じだから組織の中で混同される。
ここが厄介なんですよね。
なぜゴミ製造機は、自分がゴミを製造していることに気づけないのか
ここからが本題です。
なぜ「しょうもない指摘=ゴミ」ばかりを量産している人は、自分がゴミ製造機であることを自認できないのか。
ここから先は
いまメンバーシップに一番力を入れてますので、よろしかったら覗いていってみてくださいね!
