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「指摘ブロックおじさん」になっちゃダメだ

ちょっと前の話ですが・・・
周りから「あの人は優秀だ」とずっと言われている方の、会議での話し方がなんか気になりまして。説明や質疑応答のさばき方の節々から、「これ以上フィードバックをさせないぞ、ツッコミをさせないぞ、指摘をさせないぞ」という気概を感じたんですよね。

格下っぽいと思う相手の質問には、めちゃくちゃ反論していて、「いや、それはもう既に考えててこうでこうでこうだし、こういうデメリットもあるから、これはないです」と、食い気味で。

かたや、偉い人の質問には「はい、ありがとうございます。検討して反映いたします」と、議論は避けてすぐに切り上げてしまう。「はい、その点反映、考えます。反映させます」だけで終わらせてしまう。

しまいには、指摘が飛んできた瞬間の「じゃあもう代替案出せよ」の連発で完全ブロック!絶対防御将軍!

この姿を見て思ったんです。
やべえなと。
これはもしかすると数年後の自分かもしれないし、今もそこに片足突っ込んでるかもなと。
なので、指摘ブロックおじさんにならないための自戒の備忘録を書いてみようと思いました。

「指摘ブロックおじさん」の定義

まず、指摘ブロックおじさんの定義から。

実際にもらったフィードバック量<<<<<<本来もらえたはずのフィードバック量

となるくらい、指摘やツッコミをブロックしまくり、成長できたはずの機会を逃している。この機会損失が大きい状態を、一旦そう定義しておきます。

で、「おじさんに対する揶揄だ」と指摘が飛んできそうですけど、はい、予防線を張っておきましょう。
私も指摘ブロックおじさんなんでね。というか私もおじさんなんでね。
・・・こんな風に、指摘が飛んでこないように予防線を必要以上に張りながら物事を進める様こそが、指摘ブロックおじさんムーブです。

ここから、なぜなるのか、どんな行動か、何がもったいないか、どうするか、の順で書いていきます。

なぜなってしまうのか。3つの条件

言語化してみると、指摘ブロックおじさんになる条件は大きく3つある気がします。

条件①フィードバック免疫の衰え

右も左も分からない若い頃は、毎日フィードバックをもらって当たり前ですよね。「これはダメだ」「何やってんだ」「もっとこうしろ」と言われながら吸収して伸びていくわけです。

ところが年次が上がると、もらう場面そのものが減っていきます。
手痛いフィードバックをもらい続けていないと、痛みへの耐性や免疫が衰えてくるんですよね。

これ、すごいしょうもない話ですけど。
僕、顔のニキビ跡を治すために美容皮膚科に一回行ってみたんですよ。
ニキビ跡は肌同士が癒着してるが故に消えないらしく、大量の針をグサグサ刺しまくって癒着を一旦剥がすと、肌の再生時に癒着が再構築されて跡が軽減される、という治療がありまして。

受けてる間はもうめちゃくちゃ痛いんですが、40分とか50分経ってくると、グサグサにもだんだん慣れてくるんですよね。
ところが20分ぐらい間を空けて、同じ場所にグサッとやられると、すっげえ痛く感じるんですよ。
フィードバックしかり顔面に刺す針しかり、手痛いものは時間を空けると、耐性が衰えてしまうのです。

クソどうでもいい話をしちゃいましたが。手痛いフィードバックをグサッともらう回数が、年次とともに減っていくことによって、フィードバック耐性が衰えてしまう。これが1つ目の条件です。

条件②「さすが」の自縄自縛

2つ目が、自己評価を保持しなきゃという自縄自縛。
すごい偏見かもですけど、「さすがですね」と言われ続けた人ほど、さすがだと言われる自分でいなければ、と縛られがちで。
冒頭の会議の方も、まさに優秀だと言われ続けている人でした。

で、自分で書くのもすごく恥ずかしいし、何を言ってんだって感じですけど、僕も成果物を出したとき「さすがですね」と言われることが多いんですよ。

この「さすがです」って言葉、本当に嫌いでして。

「思ってた以上にすごいですね」
「全然期待しなかったですけど、こんなにやってくれるんですね」なら期待値を超えた感じで嬉しいのに、
「さすが」は高い期待値をなんとかギリ超えたときに出てくる言葉に感じるんですよ。何だか試されている気がしてしまう。

このハードル飛び、人生における乳酸というんですかね。
ハードル走って、走ってるうちに乳酸で足が上がらなくなるじゃないですか。
あの感覚と同じで、「さすが」と言われるためのハードルを飛ぶたびに、次を越えるのが、「あーつれーなー」「次のハードルあたりで、ずっこけそうだな」と思えてきます。
誰にも課されてないハードルを自分で敷いて、自分でハードル走やって、勝手に乳酸をためて、勝手に疲れていってしまう。
なんと滑稽な、、、と自分でも思います。

条件③納得いく品質と実際の品質とのギャップ

3つ目が、納得いく品質と実際の品質とのギャップ。

若い頃は成果物の良し悪しも分からないから、必死こいて作ったものを見せて出たとこ勝負する、いい意味での無謀さがありました。

しかし経験値が上がると、本来仕上げるべき水準が見える一方で「目の前のこれは自分の100点満点だと60点だよな」と自分でも分かっちゃうんですよ。
それでも時間的制約で、60点のまま重要な会議に出すしかない場面があります。
「60点でいいから早く見せろ」という教科書的な考え方はわかっていながらも、条件①と②の防衛本能も揃ってるので、「自分でもこれが100点でなくて、60点だと分かってるんですよ」と弁明をしたくなってしまうんですよ。

この3つが揃うと、無意識のうちに指摘をブロックしまくる自分になっちゃうだろうなと。部分的には自分もそういう振る舞いをしている自覚もあって、すごく危険だなと感じてます。

指摘ブロックおじさんの行動パターン

では、上記の条件が揃い、指摘ブロックと成った人はどんな行動を取りがちなのか。

まず、冒頭の枕詞は「まだ詰めきれてない荒々の状態ですけど」から始まります。何が何でも期待値を下げて、「指摘をもらってもしょうがない状態だからね」という証拠作りをしにかかります。

説明中も予防線を張り巡らせます。「この施策はここが弱点だと思ってますが、解決策はまだ見えてないです」と、ツッコミどころを先回りして自分で喋る。
だから話が長くなってしまう。
聞き手のために制約や前提を共有する行為と、プライドを守るために予防線を張り巡らす行為は、表面的に似ているぶん見分けるのが難しいですが、説明が進んでいくうちに「あ、矢印が聞き手じゃなくて自分のほう向いているな」とだいたい勘付かれます。

そして質疑応答の振る舞いは、相手の格によって分かれます。
目下には「いや、こういう意図でこう考えたので、こうです」と食い気味にかぶせ、目上には「あっ、ご指摘ありがとうございます。次回までに反映いたします」で即クローズしにかかる。それ以上掘り下げさせない。
もうちょっと議論しときゃいいのに。非常にもったいない。

最終手段は、もうやってらんねえとなった瞬間の「じゃあもう代替案出してくださいよ。何すりゃいいんですか?」の連発。これ以上フィードバックさせない、指摘させない、質問させない。

で、僕もこういう動きを一部しちゃってるなっていう自覚があるので、すごく今、自分の恥を晒しながらこの文章を書いてます。

何がもったいないのか

このスタンスの何がもったいないのかというと、機会損失なんですよね。フィードバックや指摘や質問は伸びしろそのもので、吸収するほど能力値や器を拡張できるんですよ。

なのにブロックしまくると、周りに「この人はフィードバックをもらいたくないんだな」と思われちゃう。すると、もっと改善できると思うんだけどな、と思っていても、「あの人すぐ突っ跳ねてくるしな」「聞く耳持たねえしな」で、伝えるのを控えちゃう。これが非常にもったいない。

その場で指摘をかわして、プライドや評価を守るという短期的な欲求(満たせてるのかもよくわかんないですけど)と引き換えに、フィードバックが来なくなるという長期的な損失を見落としてる。非常にまずい機会損失だなと。

ちなみに、指摘されなくなった状態のまずさは↓のnoteにも書いてますので、もし興味あれば。

「指摘ウェルカムおじさん」に生まれ変わる3つの方法

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