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入れ子構造を作るのはそう簡単ではない


上記記事で「心の理論」について触れたが、これに関連して人間の認知における「再帰性」というものについて紹介してみたい。



前回記事でみたように、「心の理論」とは、自分ではないそれぞれの他者の「心の中」がどうなっているかを無意識に推測するような「能力」のことであるが、これには実は、「入れ子構造」というものが大きく関わっている。


というのはそもそも、たとえばAさんの心の中を考えるとき、それはすなわち「私が考えるAさんの心の中」が、あくまでも「私の心の中」にあるということであって、Aさんの心の中そのものをみているわけではないからである(あるいは「心の理論」は「自分」に適用することもできるが、その意味で「私が考えている私」というのもすでにある種のレベルが異なる「私」が登場している)。


その上で重要なのは、この入れ子構造は、「何重にもすることができる」ということである。時に恋愛において「悩み」がむやみに複雑になるのはそのためだが、すなわちそこでは、「私の心の中」において、「私が考えるあの人」や、「あの人が考える私」があるだけではなく、「あの人が、私があの人をどう考えているかをどう考えているか」や、「私は、あの人が、私があの人をどう考えているかをどう考えているかを、どう考えているのだろうか」といったことまでありうるのである(もちろんアクターも3人以上の場合もある)。すなわち理論上は無限に複雑になりうる。


もちろん実際には、短期記憶もしくはワーキングメモリ、すなわち別の能力におけるある種の限界であったり(ここではマジカルナンバーというものが知られており、それによれば基本的に7±2の範囲までである)、単に実用性の観点から、それなりに複雑ではないレベルに発動は抑えられているということだが、しかし「理論上は」、「無限に」これを行えるというまさに「能力」を人間は持っていると考えられるのである。そしてこれは、実のところ人間の「言語」をそれとして区別する際に用いられているものでもある。


たとえば、前述の「あの人が、私があの人をどう考えているかをどう考えているか」にしても、これはこのようなことを「考えられる」というだけではなく、そのように「表現できる」ということでもあるが、そしてそれは、認識においてそもそもそうだから、とも考えられるということである。ともかくこのように「入れ子構造」をまず「とれる」ということが、人間の「言語」(言語能力)の特徴だとされているのである。


実際に他の動物において「言語」と言われているものは、いずれも形としては「語を一直線に並べるだけ」のようなものなのであり、この意味での複雑性を持っていない。すなわち他の動物の「言語」は、人間の「言語」とは「本質的に」異なるのであり、逆に人間の言語であれば、すべての言語がこの性質(再帰性 recursion)を備えているということである。それはまた、人間以外の動物にはそもそもそのような認識そのものができないのではないか、ということでもある。



あるいはもうひとつ紹介すれば、実のところは「人間だけが高度な道具を活用する」ということにも、このことは深く関わっているとされている。すなわち、そもそも今日では、単に「道具を使う」ということであれば人間以外の動物における例も多数、確認されているのであるが、しかし人間は唯一、「道具を作るための道具」をさえ使うということである。言いかえれば、人間は「道具を使うためにも道具を使う」ということだが、まさにここでも入れ子構造になっているのであり、このような認知能力がともかく備わっていることが、人間の認知の大きな特徴だと考えられているということである。



もっとも、他方では冒頭で挙げたように、これがあるからこそ人間には非常に容易にあらゆる悩みや心配事が生じて尽きることがないのだ、とも言えるから、これは決して手放しで便利な機能ではないとは言えるが、もちろんそれも含めてまさに「人間らしさ」でもあると考るならば、すなわちそれは「上手に」使う必要があるものだ、とは言えるだろう。




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