見出し画像

入れ子構造を操れるのはものすごいことかもしれない(再帰性と時間)


上記記事で人間の認知における「再帰性」というものについて少し紹介したが、ここから時間についての記事の延長でもあるような形で、「時間」と「再帰性」の関係についても少しみておきたい。



そもそも「再帰性」ということが「人間(に固有)の認知」を研究する上で欠かせないものとなったのは、以前の記事でもみたように、「言語」の研究においてある時それが大きく取り上げられたからだと言えるが、元はと言えばすなわち、言語学に革命を起こしたとされる有名なチョムスキー理論が、「再帰性」をまさに人間の言語の根本的な特徴のひとつだとしていることが大きいと言える。


(ちなみにチョムスキー理論で言う「言語」とは、「日本語」や「英語」のような、一般的な感覚ではある種「実在的」に捉えられるような、あるいは「心」にとって「外在」するようなものではなく、むしろ心の「機能」のひとつを指している。チョムスキー氏は「言語」の研究をある意味で「生物学的に」進めたことに特徴があるということである)


チョムスキー氏の理論を少しみると(氏の理論は氏自身によって発展し続けているため、詳細に立ち入るほど「宗教的」とされるほど壮大で遠大な体系に関わることになるが)、大枠ではシンプルと言えばシンプルである。すなわち、人間が使っているいわゆる「言語」の違いは、実のところ全て方言のようなものであって、人間においては言わば「人間語」というひとつの言語しかない。そしてそうなる理由は同理論によれば、言語とは脳(心)の生得的な機能であって、後天的に身につけるものではないからである。


このことは、幼児が生まれてからの学習「のみ」によって言語能力を獲得していると考えると、いわゆる「文法」を獲得するということを考えたとき、そこで幼児が利用できる「データ」が単に「少なすぎる」という問題がある、ということがひとつの根拠となっている(「刺激の欠乏」説。ただしこの論理への批判も今日では大きくなってきているが、ここではおいておく)。言いかえれば、幼児の脳(心)において実際に行われているのは言わば「ゼロからの習得」ではなく、周囲の環境に合わせて(すなわち日本で生まれれば通常は日本語を自然に使えるのに適するように調整される、というように)、「どの言語に特化するか」という形で、もともと持っている能力を引き出すべく、ある種のパラメータをチューニングする作業だけだということである。これはいわゆる単語の習得などではなくもっと根本的な構造、すなわち「文法」の話であることに注意が必要だが、いずれにしても、「むしろそう考えないと人間の言語能力は説明できない」ということである。


逆に言えば、どのような言語を母語とする人であれ、脳(心)における「言語機能」の根本は基本的に変わらないのであり(だから他の動物に人間の言語能力は獲得し「え」ないということにもなるわけだが)、そしてそこにおいて最も根本的な演算(脳における情報処理)が「併合」(Merge)と呼ばれているものだが、少々、説明が長くなったが、それがあることの結果として必然的に生じるのがすなわち、「再帰性」だということなのである。簡単に言えば、人間は認知において、ある要素とある要素を組み合わせて、より大きなレベルでのいち要素とすることができる、ということだが、その結果としてすなわち、ある「全体」を別の全体の要素として「組み込む」ことができるということである。だからこそ、「いくらでも複雑な」文であり認識であり等々を作れる、ということになる。


(ちなみに、以前の記事で紹介したピダハン語は、こうしたパラダイムへの根本的な反論となりうるのではないか、という点でそもそもは有名になったものであり、すなわち、ピダハン族においては再帰的な情報処理が、なされていないだけなのか不可能であるのかは議論の最中だと言えるが、少なくとも外在的に現れる、いわゆる普通の意味での言語としてのピダハン語には、再帰性が「見られなかった」というまさにそのことが、ひとつの重大な発見だったということである)



以上をふまえて、結論はあまりにも短いが、ここで書いておきたかったのは、人間があらゆる意味での「時間」という観念を生んでいる(生むことができている)のも、そもそもこの「再帰的な情報処理」が人間にはできるということが根本的な理由なのではないか、とも考えられるということである。それは「過去」「未来」「現在」のような大雑把なものでもそうであるし、「さっき」や「一週間後」などでも同じだと思われるが、要するにある種の「現実世界」に、別の「現実世界」を入れ込む認識ができるからこそ、もろもろの「時間」的観念を持つこともできるのだと考えることができるのであり、その意味では「人間に固有」と言われている認知の特徴は、案外、およそひとつのことなのかもしれないとも言える。






読書案内として、チョムスキー氏の理論についてとりあえず一冊読むなら、比較的新しい、インタビュー形式の『生成文法の企て』がおすすめである。ちなみに岩波文庫に専門書も2冊入っているが(『統辞構造論』『統辞理論の諸相』)、岩波文庫青で存命中の人物の著作はおそらくその2冊だけである。文庫で言えば他に『チョムスキー言語学講義』があり、こちらは単著ではないがもっと新しいこともありチョムスキー理論の発展を知るにはうってつけだが、しかし筆者としては、邦訳オリジナル副題が『言語はいかにして進化したか』となっていることはどうしても気になる。チョムスキー氏は「言語の進化」について問われた際は「言語は生物ではないから進化しない」と口を酸っぱくして述べられているからである。

再帰性についてはマイケル・コーバリス氏の『The Recursive Mind: The Origins of Human Language, Thought, and Civilization』が抜群のわかりやすさだが、邦訳されていない。


いいなと思ったら応援しよう!

ながい|哲学エッセイ いただいたチップはより良い記事を書くために使わせていただきます。