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第9回【上智大学院ADS講義ノート|エッセンス】"インパクト"は、どう創られるのか ―― 数えられない価値を、マーケティングはどう扱うのか |「学研の実例に学ぶビジネスマーケティング論」

―― 売上は数えられる。信頼は数えられない。では、数えられない価値はどう創るのか ――

▶ この記事の問い 
子どもが減り続けているのに、なぜ塾の市場は伸びているのか。そして、テストの点数では測れない「生きる力」や「信頼」を、マーケティングはどう扱い、どう価値として届けるのか。


売上や会員数は、数えられます。けれど、信頼や「生きる力」は、すぐには数えられません。長く選ばれ続ける企業ほど、この数えられない価値を粘り強く積み上げているように見えます。

第9回は、学研の実務家をお招きする「実論」の回の2回目。題材は塾ビジネスです。ただ、考えてみたかったのは学研という一社の物語ではなく、もっと普遍的な問い――数えられない価値に、マーケティングはどう向き合うのか、でした。学研教室は、それを考えるための格好のケースです。前半で国内の学研教室を、後半でその海外展開を取り上げます。

エッセンス版では、講義の核だけを取り出します。ディープダイブ版(約30分)では、信頼と野中郁次郎の「3つの過剰」、PEST・ファイブフォースによる市場分析、インパクト・パスウェイ、グローバル展開のSTP・4Pまでをじっくり辿っています。


少子化の逆説 ―― 子どもは減り、市場は伸びる

子どもの数は減り続けています。総務省統計局のデータでは、子どもの人口は2025年4月1日時点で約1,366万人、総人口に占める割合は11.1%(総務省統計局、2025年4月1日時点)。1950年の35.4%と比べれば、少子化はもはや遠い将来の話ではありません。

それなのに、塾の市場規模は、経済産業省の統計ベースでおよそ6,000億円と、年々微増しています(経済産業省、直近統計より)。鍵は、一人当たりの単価です。生徒数は緩やかに減る一方で、売上は微増している。つまり、一人の子どもにかけるお金が増えている。「マスに多く届ける」モデルから、「一人に深く関わる」モデルへ、市場の重心が移っているようです。象徴的なのが、駿台が2026年度入試から大学別の合格者数の掲載を終了すると発表した例。かつて塾のブランドだった「合格実績」という数えられる価値が、揺らぎはじめています。

これが、少子化の中でも塾市場が微増し続けている理由です。一人にかける深さが、マスへの広さに代わって、市場を支えているのです。


「売って終わり」を、やめたところから

学研は、基本は出版社です。創業者は、本を作って書店に並べれば役割は一区切り、と考えていました。けれど、売った本がその後どう読まれるかまでは、知る由がありません。「売って終わり」では、顧客に価値が本当に届いたのかが見えないのです。

そこに教室を作るとどうなるか。教材という「モノ」を売る発想から、学びという体験と、子ども・保護者との継続的な関係を設計する発想へ――そんな思いから、1980年に学研教室が生まれました。掲げる価値は「認知能力+非認知能力=生きる力」。けれど、この「生きる力」こそ、すぐには数字にならない価値の典型です。これをどう届けるかが、ケースの背骨になります。

なお見落とせないのが、学研教室の多くがフランチャイズだという事業構造です(授業では約8割と紹介されました)。本部の直接の顧客は加盟教室で、最終的に学ぶのはその先生のさらに先にいる子ども。本部は二つの相手を同時に見据えて設計しています。


「明日の一円」にならない活動と、インパクト

学研教室が出した一つの答えが、卒業生インタビューでした。45年前の一期生――いまや50代・60代――に「あのとき学研教室でこういう力がついたから、今こうできている」と語ってもらい、保護者に「20年後・30年後、うちの子はどうなるか」を想像してもらう。担当の方は率直に、「この活動では、明日のお金は一円も稼げません」と話していました。

ここで効くのが、インパクト・パスウェイ(Impact Pathway)という考え方です。事業の成果は、インプット→活動→アウトプット→アウトカム→インパクトという連鎖で生まれます。会員数は手前の「アウトプット」。卒業生インタビューはそれを直接増やさない(=明日の一円にならない)。けれど、それを読んだ保護者の信頼という「アウトカム」を育て、やがて「45年分の卒業生が生きる力を身につけ人生を歩んでいる」という「インパクト」につながっていく。信頼の蓄積こそ、学研教室にとってのインパクトなのだと受け取りました。短期のアウトプットだけを追うと、評価はこの道筋の手前で止まってしまいます。


「徳育」が、海外で際立つということ

後半は海外展開。鍵は「標準化」と「ローカライズ(現地化)」という二つの考え方でした。読み書き計算を世界共通の型にして広げる公文(60を超える国と地域で展開し、海外だけで8,000教室超/2024年12月時点、公文式公式発表より)か、現地へ徹底的に合わせる味の素か――どちらが正しいかではなく、何を変え、何を変えないかの配分の問題です。

学研が「変えない」と決めたものの一つが、徳育でした。挨拶をする、靴を揃える、掃除をする――日本では当たり前すぎて価値と意識すらされなかった所作が、前提の異なる海外では、際立った独自性になった。自社の「当たり前」が、外から見て初めて価値に見える。これは、強みの見つめ直しについて深い示唆を与えてくれます。担当の方が「グローバル展開はまだ試行錯誤の途上」と率直に語り、「最後は現場の肌感の塩梅で決める」と言い切っていたのも印象的でした。数字だけ見ていると外す。データで分析しつつ、現地で見て判断する――そのチューニングこそが難しい、と。


おわりに ―― すべては「数えられない価値の翻訳」に収れんする

国内も、グローバルも、通底していたのは「数えられない価値を、どう相手の言葉に翻訳するか」という問いでした。第7回で出版の実務家が語った「マーケティングとは、自社の価値を顧客の価値に翻訳すること」――今回はその変奏です。学研教室は「生きる力」を卒業生の言葉へ、海外では徳育という体験へと翻訳しようとしている。読み書き計算へ絞る道もあったのに、学研は数えにくい「生きる力」を手放さない。そこに、学研ならではの賭けがあるのだと受け取りました。

この問いは、AIが知識や分析を肩代わりしていく時代に、いっそう重みを増します。数えられること、整理できることは、これからAIが速くこなす。だからこそ、数えられない価値を見定め、相手の言葉へ翻訳する力こそが、人とブランドに残る価値になるのではないでしょうか。これは、自分自身を一つの商品と見たてたときの、私たち一人ひとりのキャリアにも跳ね返ってくる問いだと思います。

明日からの一歩は、難しくありません。自社や自分の「当たり前」を一つ書き出し、「外から見たら、独自の価値になりはしないか」と問い直してみる。そして、「明日の一円にはならないが、長い目で見れば信頼を積み立てている活動」を一つ挙げ、続ける理由を自分の言葉で説明してみる。熱量を信頼へ転換するのは、その地道な活動の積み重ねだと思います。

より深く知りたい方へ。ディープダイブ版(約30分)では、信頼と「3つの過剰」、PESTとファイブフォースによる塾市場の分析、インパクト・パスウェイの循環、グローバル展開のSTP・4Pまでを、じっくり辿っています。あわせてどうぞ。


【今回の3行まとめ】

・子どもが減っても塾市場が微増するのは「一人への深い関与」へ市場の重心が移っているからであり、少子化は市場縮小ではなく構造転換のシグナルである

・売上や合格者数という「数えられる価値」が揺らぐ時代に、卒業生インタビューのような「明日の一円にならない活動」こそが長期的な信頼(インパクト)を積み立てる

・自社の「当たり前」は外から見て初めて独自価値になる――強みを問い直す起点は、慣れすぎて見えなくなった「当たり前」の棚卸しにある


📨 この連載について

本連載「上智大学院ADS講義録」は、上智大学大学院 応用データサイエンス(ADS)学位プログラム寄附講座「学研の実例に学ぶビジネスマーケティング論」(2026年春学期・全14回)を題材に、マーケティング理論の変遷と学研グループの実例を往復しながら、次世代リーダーの「思考のOS」を養うことを目指しています。

毎回、エッセンス版(約5分) と ディープダイブ版(約25〜55分) の二層構造でお届けしています。プロローグ、第1回からの各回も、公式noteマガジンにまとめています。スキ・フォローで次回もお見逃しなく。


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プロローグ:マーケティングは、次世代リーダーの思考OSである
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第1回:マーケティングは、次世代リーダーの思考OSである——コトラー1.0から4.0へ、70年の進化史が示す「顧客を見る解像度」の変遷
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第6回:事実と解釈を分けられないリーダーは、なぜ判断を誤るのか
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第9回:“インパクト”は、どう創られるのか ―― 短期の数字に表れない価値を、マーケティングはどう扱うのか
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【筆者プロフィール:ワタサト(渡辺悟)】

アイクシー株式会社 代表取締役社長/シュハリ株式会社 ファウンダー/株式会社ディーファイブコンサルティング(KDDIグループ)代表取締役社長/上智大学大学院 応用データサイエンス(ADS)学位プログラム 非常勤講師。

PwCコンサルティング(現:日本アイ・ビー・エム)で戦略コンサルティングプロジェクトを数百件以上リード後、シュハリ株式会社を設立。プライム上場の大手教育・福祉サービス企業でCIO・CDO・CHROを歴任した経験から、AIX(AIを利活用した変革)、Z世代の覚醒、経営者人材の創出をテーマに活動しています。

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