なぜ、僕たちは、人類を愛せても、隣人を愛せないのか?|礼儀正しい無関心のススメ
初めての方 👉 こちら
0.今回の記事の切り口やテーマ
遠くの悲劇には涙を流せるのに、身近な家族や同僚のちょっとした事には殺意に近いイライラを覚えてしまったりする。
そんな自分の心の矛盾に気づき、自分は偽善者で、なんで冷たい人間なんだろう、と自己嫌悪に陥ったことはありませんか?
今回は、40代のアリアハンが、なぜ人類は愛せても、隣人を愛すのは難しいのか? という根源的な問いを切り口に、その構造をマユミンが様々な知見から解き明かしていきます。
まずは、今回取り上げる人類愛と隣人愛の正体についての前提について、少し触れておきます。
結論から言うと、人類を愛することは、自分の理想を投影した自己愛の延長に過ぎません。
一方で、隣人を愛することは生々しい他者性の受容と、利害調整を伴うため、後者の方が圧倒的に脳のエネルギーと忍耐を必要とするのです。
① 情報の欠落と過剰
② 期待値のバグとコントロール欲求
③ テクノロジーによる無菌化社会
この3つが、僕たちが隣人を愛せなくなる根本的な原因になっています。
【よくあるケース】
✅途上国に寄付をしているのに、隣の席でキーボードを強く叩く同僚には激しい怒りを覚える
✅SNSで多様性を認めよう、と発信しているのに、親の時代遅れ発言は激しく論破してしまう
✅遠くの被災地にはボランティアに行くのに、同じマンションの住人がゴミ出しの曜日を間違えたことには管理会社に激怒のクレームを入れる
面白いのは、人類を愛していると感じている時、人は実は他者ではなく、自分自身を愛しているだけかもしれない、ということです。
今回の記事は、以下のようなことに心当たりがある方のヒントになるかもしれません。
◎ 家族やパートナーに対して、どうしても優しくなれない時がある
◎ 職場の人間関係に疲弊しやすく、一人になるとホッとする
◎ 隣人を愛せない自分は冷たい人間だ、と自己嫌悪に陥ってしまう
◎ 身近な人との摩擦に、いつも疲れている
1.なぜ、遠くの誰かは容易く愛せるのか?

🟦アリアハン
最近、ニュースを見ていて、自己嫌悪に陥ることがあるんだ。
遠くの国で起きている悲劇や、顔も知らない人たちの辛苦には本気で胸が痛むんだけど、いざ現実だと、隣の部屋の生活音とか、お店のスタッフの態度とか、家族のちょっとした癖に、信じられないくらいイライラしてしまうことがあるんだよ。
そういうことを思うと、まさに、人類は愛せても、隣人は愛せないんだなって思うんだよ。
🔴マユミン
それは、人間の脳の構造上、ごく自然な反応なんですよ。
対象との距離が近くなるほど、防衛本能が働いてしまうようにできているんです。
ポイントは、情報の欠落と過剰です。
遠い場合は、具体的な情報が足りていないので、自分にとって都合の良い理想の他者像を脳内で勝手に補完して見ているんです。
でも、隣人の場合には、食事の音、理不尽な感情、嫌な癖といった生々しい情報が過剰に供給されます。
人間は、こういった情報を自分の領域への侵害と捉えて、警戒モードに入ってしまうんです。
2.なぜ、近くにいる人ほど、憎らしくなってしまうのか?

🔴マユミン
もうひとつ厄介なのは、無意識の期待とコントロールしたい気持ちなんです。
遠くの他人には最初から何も求めていないから、腹も立ちませんよね。
でも、家族や同僚みたいに距離が近いと、どうしても、言わなくても分かってほしいとか、自分の思い通りに動いてほしいって、自分と同じ価値観を求めてしまうんです。
🟦アリアハン
たしかに、これくらい分かって当然なんじゃないって、無意識に考えてしまっているかも。
🔴マユミン
その期待が外れると、強いイライラや嫌悪感を感じるわけです。
身も蓋もないですが、人類を愛していると言う時、人は他者を愛しているというより、大きな理念に共感できている優しい自分に酔っているだけのことも多いです。
遠くの人類を愛するのは、鏡に映った綺麗な自分を眺めるようなものです。でも、身近な隣人を愛するのって、その鏡を叩き割って、生身の人間と泥まみれで取っ組み合うような、ものすごく泥臭い作業だったりするんですよ。
🟦アリアハン
勝手とは言え、期待してるからこそ、裏切られた時のダメージもデカいってわけか。
🔴マユミン
文豪ドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』の中で、まさにこの矛盾を突いています。
作中のゾシマ長老は、人類全体を愛すれば愛するほど、個々の人間を憎むようになると語っているんです。
人類への愛は、すぐに賞賛を得られて自己陶酔に浸れる、いわば空想の愛です。
でも隣人への愛は、見返りのない労働みたいなもので、相手の醜態にも耐えねばならず、かなりの忍耐力が必要です。
🟦アリアハン
さすが、ドストエフスキー。
鋭い洞察だなぁ。
🔴マユミン
さらに、哲学者ショーペンハウアーのヤマアラシのジレンマという考え方があります。
寒い冬、互いを温め合おうと身を寄せ合うと、互いのトゲ(自分勝手さや欠点)が刺さって傷つけ合ってしまうという葛藤です。
近づくと痛い、でも、離れると寒いという中で、試行錯誤を繰り返し、互いを傷つけずに一番暖め合える適切な距離を見つけ出すというものです。

さらにユング心理学の投影という考え方があります。
これは、自分が嫌いな自分の性質や怒りを、目の前の苦手な他者に重ね合わせて激しく嫌悪してしまうことです。
人間の脳って、まだ狩猟採集時代のプログラミングを引きずっているんです。
遠くの部族は脅威にならないから理性的で優しい関わりができます。
でも、目の前にいる近い人は、同じ獲物の肉や、安全な洞窟を奪い合うライバルでもあったわけです。
だからこそ、ルールを破ったり、ズルをしたりすると、扁桃体が反応して、貴重な資源を奪われる危機だって過剰に警報を鳴らしてしまうんです。
つまり私たちが、身近な人に猛烈にイラッとしやすいのは、理性が足りないからではなく、原始的なスイッチが入ってしまうからなんです。
🟦アリアハン
脳には、原始的プログラムがまだ脈々と受け継がれているんだね。
3.なぜ、現代人はどんどん他人に厳しくなっているのか?

🟦アリアハン
感覚的にだけど、昔よりも今の方が、他人に厳しくなってる気がするんだけど……
🔴マユミン
その感覚、すごく当たってますよ。
現代特有の要因が大きく3つ関係しています。
1つ目は、テクノロジーによる無菌化です。
イヤホンで好きな音楽だけを聴き、画面には自分好みの情報だけが流れて、買い物すら非接触で成立する。
自分にとって都合の良い無菌室を簡単に作れる時代だからこそ、コントロール不能な他者に対する耐性が弱くなっているんです。
まるで、温室育ちの植物が、外の少しの風で折れてしまうような状態ですね。
🟦アリアハン
自分だけの快適な世界に慣れすぎちゃってる面は、大いにあるよね。
🔴マユミン
2つ目は、SNSによる人類愛のファストフード化です。
画面を1タップするだけで、世界平和や多様性にいいねができて、手軽にいい人になれる時代です。
だからこそ、泥臭くて思い通りにならない隣人との付き合いが、やたらコスパの悪いものに思えてしまうんです。
そして3つ目が、日本の減点主義です。
他人に迷惑をかけるな、という教育が強すぎて、ちょっとでもルールから外れた人がいると、誰もが自警団みたいに厳しい監視の目を向けてしまうんです。
4.無理に隣人を愛さなきゃいけないのか?

🟦アリアハン
脳の仕組みだったり、現代社会自体が、隣人を愛しづらいようになっているなら、それは無理ってことじゃないの。
所詮、人間なんて分かり合えないし、自分のことしか考えていないものなんだよ。
🔴マユミン
アリアハンさん、それは、極端すぎます。
それだと、大事な前提を見落としています。
そもそも無理に隣人を愛さなきゃいけないのか?という前提です。
🟦アリアハン
えっ、愛さなくてもいいってこと?
🔴マユミン
別に無理に愛さなくても構いません。
そうすれば、愛せない自分は冷たい、なんて自己嫌悪に陥る必要もありません。
特に今の世の中で、近所の人や同僚にまで愛や情を求めるのって、お互いに重すぎるしトラブルの元にもなりかねませんよ。
だからこそ提案したいのが、
愛するのを諦めて、礼儀正しい無関心に切り替えることです。
🟦アリアハン
礼儀正しい無関心って?
🔴マユミン
これは、社会学者アーヴィング・ゴッフマンの考えで、存在は認めるけれど、踏み込まないという絶妙な距離感を表す大人のマナーのことです。
隣人を愛すべき相手と思うから苦しくなるんです。
これからは、天気と同じように、コントロールできない自然現象だと思ってみてください。
そう考えるだけで、少し心が軽くなりません?
5.近い人との距離の取り方とは?

🔴マユミン
今日から実践できる3つのことを紹介します。
① 期待値をゼロに戻す
イラッとしたら、自分はこの人に、自分の思い通りに動くことを期待していたんだなと気づくこと。
分かってくれなくて当たり前をデフォルトにするんです。
② 日本語が通じる宇宙人だと思う
価値観が合わずに腹が立ったら、日本語が喋れる宇宙人だ、と思うことにするんです。
これだけで面白いくらい心に余裕が生まれます。
③ 挨拶のバリアを張る
相手を好きになる必要も、心を込める必要もありません。
おはようございますや、ありがとうございますという形式的な挨拶だけをしっかりする。
日本社会において、このちゃんとした礼儀は、お互いの領土を侵さない最強のバリアになります。
これは、徳川家康が豊臣秀吉との関係において大切にしていたやり方でもあります。
🟦アリアハン
なるほど。
思い返してみれば、僕が介護の仕事をしていた時も、同じことがあったよ。
利用者さんの家族やスタッフに、もっと分かってほしいとか、同じ熱量で向き合ってほしいって期待を押し付けていた頃は、よくぶつかって消耗ばかりしていたよ。
でも、感情を出さなくていい位置に一歩引いて、しっかり挨拶したり、礼儀正しくすることに意識を向けるようになってから、人間関係のトラブルが減ったんだよね。
🔴マユミン
それは、素晴らしい気づきですよ。
まさにそれこそ、実践の中で身につけた礼儀正しい無関心のスキルです。
🟦アリアハン
身近な人を愛せないのは、自分の性格が曲がってるからじゃなくて、脳の仕組みで、仕方のないことだったんだね。
適切な境界線を引いて、お互いに心地よく共存するポイントを探っていけばいいんだね。
なんだか、長年背負っていた肩の荷がスッと下りた気がするよ。
マユミン、ありがとう。
今日も、とりあえずログインだけはしました。
それで十分です。
また、最初の町で会いましょう。
では、今日も良い一日を!***
★この記事のまとめ
✅人類愛は理想を投影した自己愛の空想であり、隣人愛は生々しいノイズの受容と利害調整(現実)であるため、圧倒的に困難。
✅学術的根拠3つ
①空想の愛と実践の愛(ドストエフスキー)
②シャドウの投影とヤマアラシのジレンマ(心理学)
③扁桃体の過剰反応(脳科学)
✅現代はテクノロジーによる無菌化で他者へのノイズ耐性が下がり、SNSで人類愛がファストフード化している。
✅今日からできる実践のヒント
①隣人を愛することを諦める
②期待値を初期化する
③相手を日本語を喋る宇宙人と設定する
④心は込めず完璧な挨拶のバリアを張る(礼儀正しい無関心)
***
いいなと思ったら応援しよう!
応援に感謝!
