見出し画像

ある日のノート

私は毎日ノートを取る。その内容は実務的なアイディアである事も、明日買い物する内容だったりもするけど、そのほとんどは私が頭の中で考えてることを吐き出す目的で筆を走らせている。今日はその一部を初めてnoteに書いてみようと思う。(出てくる友人たちの名前はイニシャルで伏せている。)


某月某日(月)のノート

今朝の夢で、まだ数年前の仕事の人たちから逃げている私がいた。もう10年近く経つのだから忘れても良いのに、心の傷はまだ深いのだろうか。私は、今度のイベントの当落が出るまでの間、もっと自分を見つめ直したい、と思っている。他者と自分をつい比べてしまいそうになるけど、そうじゃなくてこの間のインタビュー記事で読んだ長岡亮介さんのいうところの「本当のあなた」で語らないと、と思っている。
この前の原宿で見たヨルシカの二人称展で″引用″について言及してたけど、私のノートにも、たくさんの引用が出てくる。自分のフィルターを通した思いや気分を書くと、とても分かりやすいからだ。
まるで、1つの文章が事象を挟んで過去の私と今の私が対峙しているみたいだ。ただ向かい合っただけだとよく見えなかったものが、机の上に議題を設けて話すように、明確になるのだ。
きっと、物理で言うところの数学がそんなところなのだろう。数学という共通の言語で話すことで、合点がいく、というような。

友人・知人について

私が周囲の人と話しててモヤモヤするのは、比喩表現をするのが当たり前ではない人と話した時だ。できれば向こうも言ってることを比喩で返してみてほしかったり、その人にしかない視点で例えてみてほしいのだ。
私の中に友人たちの持つようなバックボーンがなくても、″そういう世界もあるのか?!″って思ってビックリしたいのだ。
荻上チキさんがラジオでそういう話をするときに、比較する対象がラジオの向こうの人に伝わるよう、しかも限られた時間でざっくりとした前置きを置きつつ、例えをしようとした自分の意思を諦めずに説明しようとする職人技みたいなのが面白い。
その話した相手が宇多丸さんとか砂鉄さんとかジェーン・スーさんだと、話の転がり方がとんでもない方向だったり、でも総じてみると1つの番組として成立しているのが痛快だ。ああ、生きてるな、って感じる。
私の周囲の人と話してても、そういう生きてる醍醐味みたいなものが全然無い。それでもAさんやBさんは凡庸な人より多少考えられる人なんだろうけど、それでも私にとっては解像度が荒い。

NEXUSのこと

ユヴァル・ノア・ハラリさんのNEXUSを読んでて、人が愚かなのは、人の特徴である″物語″、もっというと共同主観的現実を信じている者同士で結束してしまうからだ、とあった。人は、神とか金ってだけじゃなくて家族観や倫理観・死生観が共有できる人と親密になる。言語を使い分けるように、私は友人たちに向かって、その人が心地いいと思う共同主観的現実を察して、話すことができる。
多言語を話すユーチューバーのカズさんのように、私は色んな人の共同主観的現実を読み解いて話を合わせられる。
私は、その人が普段、何をどれだけ深く考えてるのか?が対話の中で分かってしまう。
それはとどのつまり、毎日何に悩んでいるのか?だと思う。毎日毎日、自分の中にある課題や苦悩と闘っているかどうか。
私に対して、私がどのように紆余曲折して今の結論に至ったのか、の過程を同じように頭を悩ませつつ聞いてくれる人と今までほとんど会ったことがない。
友人たちは、熟考と思考停止を同じだと思ってしまっているところがある。結論を急いだり、分かりやすい結末にすぐにでも繋げられないとつまらなさそうな顔をしたり、うとうと眠そうにしたりすることがある。私の話を聞きながら、自分の経験の中で何か共通点ないかな?とか能動的に聞いてれば寝る暇はないんだけど。

女性たちの社会的トラウマについて

大概の人は自分の話を聞いてもらうために人と会う。話を聞く側になると途端につまらなさそうにする。でもそれでコミュニケーションは成立しているつもりなのだろう。
それも、″友人なのだから私をわかってくれてるはず″という呪いにかかっていて、本当は全然理解されてないことに気付いていない。気付きたくないのかもしれない。
多分AさんもBさんも″自分のことを分かってくれてる感″を味わうために生きている。
子育てをしながら、夫婦関係を良好に保ちつつ、仕事やその組織の維持にどれだけ貢献してるかを褒めてほしいとか、そういう自分は他の人よりも価値がある、ということを指摘されるための時間として、友人と会って話したい、と思っている。
でもそれでいくら話したところで彼女らの人生は良くならないし、一番大事なところをおざなりにして無駄に時間を過ごして帰ることになる。彼女らは家に帰って、なんかモヤモヤして、なんか寂しくて虚しくなって、不安になって、余計子育てを頑張ったり、夫へのサービスを手厚くしたりして誤魔化すことになる。
悩んだり、不安になったりするのは悪いことだからだ。
私が今現在悩んだり苦しんでいることを話すとしよう、彼女たちは決まって″そんなことに悩むなんて、まだまだね!″とか″私ならそんなことに落ち込まないわよ!″と言うかのように、余裕の笑みで″わかる、わかる〜!″を連発する。
それこそ、日常で彼女たちがどれほど″悩んだり苦しんだりすること″をタブー視されているか、の表れだろう。
早く問題を解決して、丸をつけてもらうことを目的とした日本の教育の弊害とも言えるし、女性は明るくニコニコ、男性を支える″母″的存在になることが求められている、社会的トラウマのせいかもしれない。
彼女らはそれを″包容力が高い″と言うレッテルを貼られ、それはむしろ良いことだと思わされている可能性が高い。
小さいことに躓き、違和感に口答えし、グチグチと瑣末な事象の多くをいつまでも根に持つ女は″重い″と捉えられる。
ずっと悩みが解決しない女は欠陥が多い人間として点数が低くなる。AさんもBさんも、一様に明るく、ポジティヴで素直で友達が多く、そしてどこか報われない顔をしている。それは、自分の苦悩を表に出すことを否定されて社会に受け入れられてきた、呪いにかかった人の姿なんじゃないか?
そしてそういう″明るくて前向きで頑張ってる女の人″はこの世に無数に存在し、この社会を動かしている。

不吉なことを考える素敵さ

「家族や友人も大切だけど、私の人生それだけで良いのかな?」って考えがあるとしたら、それは″ゆらぎ″だと思う。とても良いことだ。そんな言葉がAさんやBさんから出てきたら、大いにワクワクする。
細野晴臣さんは本の中で″揺れ″や″波があって変わりやすい″のは人間の本質だと言った。″ぶれない人″とかってことの方が良いかのように思われてるけど、変わらないことの方が本来おかしいんだと。
変化の兆しはいつの時代も不吉なものだ。子供を育ててる人が「こんなに大事に育てているのに死なれたらどうしよう。」(でもせっかくだから、そうなったらもっと自由に仕事に打ち込めるのかな・・・)と思っちゃっている自分がいて、すごく罪悪感だけどちょっとワクワクしている、みたいな人がいたらすごく良いな、素敵だな、と思う。でもとても不吉だ。
きっと、細野さんの音楽性に変化が激しくて、それを叩く人や変化を良しとしない人たちは、それが″不吉″だからじゃないだろうか。

タブーは犯す、が人としての命題

スターリンやヒトラーが命令したことに対して、「それっておかしくないですか?大丈夫なんですか?!」って思うことは不吉だったと思う。だから、″そんなこと思っちゃだめだ″ってなったんだと思う。
自己修正メカニズムは、そういう1つ1つの不吉さに恐れず立ち向かう態度だと思う。だから変えようとする本人はすごく大変な思いをしているのに叩かれる。細野さんは「よく周りの人間が″楽そうで良いね″と言いやがる」って書いてあった。私も同じこと言われてきた。
でも本当に楽なのは、スターリンやヒトラーに逆らわず、無感情でガス室のスイッチが押せる人だと思う。
音も″不協和音″があの世と繋がってるとか、異音やノイズとして人間が認識する事の哲学的な意味とか科学的な役割についての研究がいっぱいあるし、細野さんは日本の土着の信仰とかにも造士が深そうだから分かるだろうけど、要するに「タブー」とされるものの中に大事なことがある。
例えば死にたい、殺したい、死ねばいい、もう生きていたくない、こういう究極のタブーと、人間の本質は密接に繋がっている。
生き物を殺すはずのウィルスの仕組みを使って、生命は繁殖することを学んだ。タブーの中に本質があり、悩んだり迷ったりすることで″生きる″事の道筋が見えてくる。
だからAさんもBさんも、自分の心の中の″タブー″に向き合っていないのは社会的な洗脳の中でとても上手く順応して生きているからなんだと思う。
彼女らが、″子供がいなけりゃもっと充実した人生だったのに″とか思ったとして、そう思ってしまっている自分に気づくのはとても「苦しい」。
ヒトラーやスターリンに、人殺しをさせられていたのだ、と気付くのも本当に死にたくなるほどのトラウマだと思う。
天皇がただの人です、って言われて、兄弟や夫を万歳して見送ってきた人の絶望感と大差ない。

でも、その「苦しみ」こそが人としての「醍醐味」だろう。

人が苦しそう、辛そう、ってことにショックを受ける感覚。それは苦痛でもあり、快楽だと思う。
ユダヤ人がガス室で苦しんでいる様子、朝鮮人が腕を切られてもがいている様子、その様に衝撃が走ることが、本来の人間の″生きてる感覚″だ。それが彼女らにはないのかもしれない。
多分そのタブーを犯して苦悩と快楽を得ようとする人は、頭のネジが何本か外れているんだと思う。私はそう言う人が好きだし、そう言う人になりたい。
恐らくヒトラーに「お前の言ってること変だよ」って言える人は頭おかしいのだろう。
多分私の友人たちである彼女らは、スターリンやヒトラーに命令されたらガス室のボタンが押せると思う。優しくて誠実で一生懸命やってる素敵な女性として社会で活躍しているのだから。

こんなことを1日3ページから5ページくらい書く


いいなと思ったら応援しよう!