人生は「山登り」?私を救ってくれた「川下りのキャリア」という考え方
人生、いつ何があるかわからない。
そんな当たり前のことを、今回あらためて実感しています。
昨年の秋。
思いがけないタイミングで辞令を受けて、希望していた人事の仕事に着任。
配属から2か月。
慣れない業務に奮闘しながらも、
「この仕事おもしろい、結構好きかも」
ーーそんなふうに思いはじめたころ、第二子の妊娠が発覚。
(ずっと望んでいたので嬉しいサプライズ!)
6月上旬まで働くつもりで、
それまでに「これはやりきる」というタスクや引き継ぎの段取りも、
産休に入ってから会いたい人ややりたいことも、なんとなく頭の中では描いていました。
でも現実は、切迫早産で突然の手術、入院、そして2か月半も前倒しでの産休。
しかも、トイレと食事以外はずっと横になっていなければいけない。
思い描いていたスケジュールは、あっけなく崩れてしまいました。
もちろん、不安もあります。
でも不思議と、
「まあ、こういうこともあるよね」
「じゃあ、この流れの中で私はどうしようか」
そんなふうに思えている自分もいます。
もしかしたらそれは、
若手のころに出会った「川下りのキャリア」という考え方が、
ずっと自分の中に残っているからかもしれません。
社会人になってからずっと、
「今後やりたいことは?」「どんなキャリアを歩みたい?」と聞かれることが苦手でした。
そもそも、どこを目指したいのか、というゴールも描けていないのに、
「5年後・10年後の姿」と言われても。
そのころには、結婚しているかもしれないし。
もし、結婚相手も転勤族だったらどうなる?
子どもができたら生活のバランスがガラッと変わるんでしょ?
とか言って、蓋を開けてみたらずっと独身という可能性だって…。
自分の努力や意志でコントロールできないことが、人生にはたくさんある。
なのに、キャリアだけは「全部自分で設計できるもの」みたいに語られることに、
どこか違和感を持っていたんだと思います。
変にまじめな性格もあり、
こんなに不確かなことだらけなのに、将来のプランなんて描けないよ!
と、半ば開き直っているような感じだったかもしれません。
男性の先輩がビールジョッキを片手に、
「◯歳でこれがやりたい、◯歳でここに行きたい、って、ちゃんと描いておかなきゃダメだぞ。
強くイメージしてはじめて、成し遂げられる。
俺は、そうやって全部叶えてきたんだから」
と武勇伝を語っているのを聞きながら、
(いや、それは奥さんが専業主婦で、転勤もずっと家族帯同でここまで来れたからでは…?)
なんて、少しひねくれた気持ちで枝豆をつまむ日々…
それでも心の中には、
キャリアを描けていない自分はダメなのかな?
という不安や焦りの気持ちが、重く沈んでいました。
そんなある日、若手女性社員向けの研修に参加する機会がありました。
どんな内容だったか、もうほとんど覚えていないのだけれど、
ここで出会ったある言葉だけは、はっきりと心に残りました。
「キャリアは、必ずしも『山登り』じゃない。
『川下り』みたいなもの、
ととらえることもできます」
山登りは、
頂上(目的地)を決めて、そこから逆算してルートを決めて、計画どおり登っていくもの。
でも川下りは、
流れは読めないし、岩にぶつかることも、遠回りすることもある。
それでも、そのときどきで舵を切りながら進んでいく。
ああ、そんなふうにとらえてもいいんだ。
肩に入っていた力が、ふっと抜けたような感覚でした。
キャリアを描けない自分はダメなんじゃないか。
ずっとどこかで抱えていた焦りが、
少しだけ軽くなった気がしたのを覚えています。
この先きっと、
思わぬハプニングも、偶然の出会いも、予想もしなかった分岐点も、たくさんある。
そのたびに、
「計画と違う!」と慌てるんじゃなくて、
(そもそもカチッとした計画なんて立てていないんだし)
その流れの中で、
自分はどう進みたいのか。
何を大事にしたいのか。
その都度、舵を切っていけばいい。
もしかしたら、思ってもみなかった場所にたどり着くこともあるかもしれない。
でもそれは、
ただ流された結果じゃなくて、
そのときどきの自分が選んできた結果でもある。
大きな流れに身を任せていい。
でも、ただ流されるだけじゃなくて、
舵はちゃんと、自分が握っている。
このバランスが、当時の私には、とてもしっくりきたんです。
振り返ってみると、それからの私のキャリアも、まさに川下りでした。
大阪から仙台へ転勤。
そこから東京へ転勤。
グループ会社への出向。
結婚。
管理職への昇格。
第一子の妊娠、出産、育休。
時短勤務での復帰。
はじめての経営企画業務。
人事部への異動。
第二子の妊娠。
切迫早産のため、産休を前倒し。
あらかじめ計画していたことはほとんどありません。
でも、
その場その場で、「ここで何を学べるか」「どう意味をつくるか」を考えてきました。
起きることは、選べない。
でも、その出来事に
どんな意味を与えるかは、自分で選べる。
「今は、川下りの途中なんだ」と思えていたから。
「勘弁してよ…」とその当時は受け入れがたく感じた転機や、
どう考えても向いていない仕事に悪戦苦闘した日々のことも、
後から振り返って、
「今の自分の糧になっている」
「ちゃんと、キャリアを重ねられている」
と実感できているのも大きいかもしれません。
今回の安静生活も、それこそまったくの想定外です。
何よりも、無事に元気な赤ちゃんを産めるのか?という不安。
急に仕事を離れざるをえなかったことへの罪悪感もあるし、
小さな心残りだって、たくさんあります。
買ったばかりの春夏用のマタニティ服を、ほとんど着られなかったこと。(毎日ほぼパジャマ)
産休に入ったらやろうと思っていた、
ひとりカフェとか、ヨガとか、ちょっとした楽しみが、いったん全部白紙になったこと。
でも、しかたない。
川の流れが変わっただけ。
そうきたか。
じゃあ、ここで私は、
どんなふうに舵を切ろうかな。
その先では、どんな景色が見られるかな。
とりあえず今は、ベッドの上でパジャマのまま。
でも、これもきっと川下りの途中です。
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