2500年経っても人類は救われていない。だから仏教は失敗なのか?
興味深い記事を読んだ。
Monikodoさん、記事を引用させていただきます。
ありがとうございます🤗
その中に、こんな趣旨の言葉があった。
「あらゆる宗教で、人類は微塵も救われなかった」
なるほど。
仏教が説かれてから約2500年。
いまだに戦争はある。犯罪もある。人は争い、憎み、苦しんでいる。
では、宗教は人類を救えなかったのだろうか。
私は、少し違うと思います。
あらゆる宗教について語ることは私にはできませんが、少なくとも仏教について考えてみます。
そもそも仏陀は、「人類」という集合体から苦をなくそうとしたのでしょうか。
少なくとも初期仏教を見る限り、私はそうは思いません。
老いる。病む。死ぬ。
愛するものとも別れなければならない。
そして、思い通りにならない。
その苦を知り、その原因を知り、その滅を知り、そのための道を歩む。
四聖諦です。
問われているのは、
「2500年後、人類から苦がなくなったか」
ではない。
「この道を歩んだ者の苦は本当に減り、そして滅へと向かうのか」
ではないでしょうか。
親鸞も、一休も、それぞれ立場はまったく異なりますが、「人類」という巨大なものを改造しようとした思想家として捉えるのは、少し違うように思います。
だから、
「宗教は人類を救えなかった」
という言葉には、私は少し違和感があります。
そして、もう一つ面白かった。
この記事では、既存の宗教や哲学という「型」から離れ、自分の目で見て、自分の足で歩くことが語られていました。
ところが、その主張を支えているのが、
創世記、仏陀、親鸞、一休、老子、空海、クリシュナムルティ……。
過去の偉人が総出演しています。
しかし、これは必ずしも矛盾ではないのかもしれません。
先人から学ぶことと、先人の言葉にとらわれることとは違う。
私も仏陀の言葉を学びます。
しかし、学んで終わりではありません。
実際に歩いてみる。
戒を守ってみる。
瞑想してみる。
自分の心を観察してみる。
そして確かめる。
この道を歩くことで、私の苦は本当に減っているのか。
そして私は、「人類を救う」という大きな言葉には、少し慎重でありたいと思います。
一つの宗教や思想による「救い」を、全国民、さらには全人類にまで当てはめようとすれば、それは個人の救済とは別の話になってきます。
「これが人類にとって正しい」
「だから、みんなこの道を歩くべきだ」
そこまで進めば、宗教や思想は、ときに全体主義的なものへ近づいてしまう危険もあるように思います。
少なくとも私は、宗教の価値を「人類を救ったか」という巨大な物差しだけで測るより、
まずは自分自身の心と生き方から確かめてみる。
その方に興味があります。
