【掌編】追伸:紗帆に捧ぐ (波音の映像付き)
これでも、波は静かだという。
「天気図の端に台風が一つでもあったら、こんなもんじゃないよ。」
土地の人は、こともなげに言う。
それでも熊野灘から直接打ち寄せる波は、遠く、
玉砂利の浜に大太鼓のような地響きを轟かせている。
この海は、紗帆にはどんな香りがするのだろう。
この波音は、空の上にいる紗帆の耳に届くだろうか?
紗帆にはどんな音ととして聞こえるのだろうか?
この大海原は、僕にも話かけてくれるだろうか?
火葬場の煙突から立ち上る煙は、まるで紗帆のように細く儚げだった。
ひょろりと天上に向けて昇ってゆく薄い煙の中に、紗帆の無邪気な笑顔が見えたような気がした
そうか、紗帆は天上でカニやフジツボと会えるんだよね。
天上では、きっとその大きな瞳で全てが見えるから、フジツボのおしゃべりやダンスに見惚れているだろうね。
「灯台の海、楽しかった!ありがとう!おにいちゃん。」
熊野の七里御浜は、もっとスケールが大きいんだ。海岸全体が玉砂利の浜で、地響きのような波音がするよ。青い波の中に、魚が泳いでいたりすることもあるんだ。
「じゃあ、次は熊野の海に連れてって!」
「よし、じゃあ、ちゃんと身体を治したら一緒に行こう!」
「うんっ!約束!」
僕は、どうしてあんな約束をしてしまったのだろう。
勇気づけることが、希望を与えることが、少しでも紗帆の延命につながるのではと、愚かな僕は思ってしまった。
神さまは、残酷だ。
愚かで浅はかな希望は簡単に打ちのめされる。
それでも、僕は来ないではいられなかった。
地元の人しか知らない小山に、転びまろびつ登った。
「ほら、紗帆、これが熊野の七里御浜だよ。」

この日の七里御浜は、紗帆の心のように穏やかに見えた。
「もっと近く。」
紗帆の声に促され、僕は小山を傷だらけになって降り、
七里御浜の砂利浜を、波打ち際に近づいた。
凪のように見えた熊野灘が、近づくと野生の牙をむいた。
急深になっているから、波打ち際に近づいちゃダメだよ。
地元の人に言われたが、僕は近づかずにはいられなかった。
間近に聴く熊野灘の怒涛は伊勢湾とはスケールが違う。
「ねえ、おにいちゃん。私を海に放して。」
紗帆の声に促され、僕は波打ち際に歩を進めた。
渚で砕けた太平洋の塊が、玉石を転がしながら引いていく。
「ほら、気持ちよさそうなため息してる。」
本当だ、浜の砂利が気持ちよさそうにため息してるね。

僕は波が打ち寄せるギリギリまで進んだ。
寄せる波は、ボクの足許を掬いそうになる。
足許を引きずり込むように引いてゆく波に、
僕は、紗帆の真っ白な骨の粉をふりまいた。
浜のため息が、一層深く大きく響いた。
それは、長い病から解放された、
紗帆のため息だった。
< 了 >
このお話はフィクションです。
そして、前作のスピンアウトです。
ご参考までに。
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