小説家になるのはプロハンターになるより難しい②
最近、色々調べ物をしていて、やはり、小説家になるのは難しいことだと、色々思ったので、駄文を書く。
まず、小説家になるには、念能力と同様、ゆっくり起こすか、無理やり起こすかの2択のように、①新人賞ルートを通る、②それ以外のルートを通る(コネ、別業界で有名になってから、持ち込み、同人誌からなど)が、あり、意外に、②のパターンの方が生き残りが多い気がする。
①は正規ルートだが、例えば、20年間、2007年から2026年までで考えると、群像、すばる、新潮、文學界、文藝、の、所謂、5大新人賞で、一つの賞に1000〜2000の公募作品が集まる。重複はNGだが、重複もあるだろうし、複数募集、同一人物が5つ全てに別作品を送るパターンもあるだろうし、毎年の常連もかなりいると思うので、一つの賞に1000人、と、大雑把に括るとしても、毎年5000人のワナビーが、いる(これでも少ない見積もりだろう)。
これで、最終候補作に残るのが各賞3〜5名ほどで、最大25名くらいだとして200人のうち1人だけ選ばれるわけだ。なので、20年だと、大体、100000人のワナビーになり、その中で、500人だけ選ばれる。ここまでいけば、筆力的には申し分無し、なのだろう。
で、その中で、毎年各賞1人〜2人だけ、なので、20年で150人くらいとして、華々しくデビューする。
が、150人、当然、全てが生き残れるわけではなく、他の様々な賞からも数十名の新人作家が、さらには、②のルートで動き出す数十名の作家が、そして、②に限りなく近い形で動き出す、候補生の中からも、ライバルがいるわけだ。そこで生き残りをかけたサヴァイバルレースを勝ち抜かなくてはならない、斜陽といわれる業界でだ。
当然、ライバルは現役作家もいるわけだし、彼らも必死だし、新人を潰す人間もいるだろう。自分の立ち位置を確固たるものにすべく、様々な副業に手を出したりする作家、ブランディングに成功した者こそ生き残る構造もあるだろう。
何より、読者という最大の敵がいるわけで、自分の作品が彼らに御目通り叶わなければ、容赦なく切り捨てられていく。つまり、迎合する必要性が出てくる場合もあるだろう。そのうえ、ネットが発達し、可処分時間の奪い合いが熾烈になっている。スポーツ観戦、スポーツ、音楽、マンガ、映画、アニメ、芸術、娯楽施設、SNSなどの、大量のライバルたちに勝たなくてはならない。サブスクは、安価で大量の暇つぶし映像を垂れ流している。
消費のスピードは凄まじい勢いだ。スポーツも、ワールドカップは終わったとは言え、サッカーの話題は早々に終わり、甲子園にシフトした。熱が冷めると、もう顧みられることがなくなる。
すばる文学賞を調べていて、まず、大泉芽衣子さんという作家さんが、2001年に受賞して、『夜明けの音が聞こえる』という作品が単行本として刊行された。彼女の単行本はこれ1作である。
Wikipediaによると、他にも3作ほど、すばるで作品を発表されているが、単行本化はされていない。
現在は家庭教師をされているそうで、2025年に別サイトでインタビューがあった。
こちらに寄ると、賞を受賞されてから、現実は甘くなく、渾身の1作を書いて、出版社に自分の受賞歴を伝えて売り込んでも相手にされなかったと述べている。
あの、1000人以上の志望者が、穫れば何かが変わるはず!と、仰ぎ見るすばる文学賞、という冠を持ってしても、このような扱いを受けることに、まさに震えるわけだ。
また、1997年のすばる文学賞を受賞した(W受賞)の岩崎保子さんも、1作だけしか刊行されていない。
私は、この年の受賞作品の選評を読んだ。島田雅彦(野間文芸新人賞・読売文学賞他多数)、髙樹のぶ子(芥川賞他多数)、川村湊(群像新人・伊藤整文学賞他多数)、三木卓(芥川賞他多数)、奥泉光(芥川賞他多数)の5名が審査員の先生方だ。島田雅彦先生は芥川賞候補だったので、3名の芥川賞受賞者と1名の芥川賞候補者だ。
で、この選評で、岩崎保子さんの小説は、髙樹のぶ子さんが褒めてはいたが、残りに選考委員も、結構辛辣で、三木卓さんは比較的優しかったが。
私は推さないなぁ、文章力も構成力も低い、的な感じで、え、じゃあ選ぶなよ!何この公開処刑、と、思ったのだが、まぁ、下読みを経て、絞りに絞られた5作品なので、審査員の先生方は、上がってきたものを読むしかないので、なんじゃこりゃ、と、思うときもあるのだろう。
高樹のぶ子さんが強烈に、強烈に、もう1人の受賞者の清水博子さんの小説を全否定していたので、そういうのもあるかもしれない。
以前、津原泰水の『小説教室』を読んでいて、こんな一文があった。
最終選考に関しては、はっきり言って水物です。分かりやすいお話をしますと、審査員が四人から五人いますと、一人が強硬に反対すると絶対に通りません。大体合議制なんで、点数制じゃないんです。一人でも「こいつにだけは獲らせない」と反対したら、通りません。一番手、二番手がお互いに譲らなかった場合、三番手、四番手が通ってしまいます。人間のやることなんでね、帰りたくて、仕事もあるし、もうそれでいいやってことになります。
皆さんもお仕事をやってらして、まぁ、今日は妥協してもう帰りたいなってことがあると思います。同じなんですよ。本選は水物ですが、編集者は全部読んでます。
もうそれでいいや、って(笑)、まぁ、作家、而も、実績のある、自分の文学観のある人なら、意見のぶつかり合いもあるだろう。
で、髙樹のぶ子さんが、清水博子さんを全否定していて、残り4名、特に島田雅彦は、清水博子さんを推していた。上の津原泰水の話を当てはめると、折衷案としてのW受賞、といったところだろうか。
審査員としても、どうしても自分が認め難い人が獲った場合、それは自分が認めた実績になってしまうし、まぁ、審査をする側は苦悩が多いということだろう。苦悩しすぎて、もうそれでいいやっ、と、なるのかもしれない。
で、岩崎保子さんは、受賞のインタビューで、これからは趣味の範囲で書いていけないから怖いです、と述べていたが、その後の著作はなかった。
彼女のその後の動向は不明なので、作品が出ない理由は他にもあるのかもしれないが、然し、受賞が必ずも良い結果を招くとは限らないこともあるということだろうか。私は、審査員の選評を読んで、彼女の作品は受賞に値しないのに、受賞してしまった、そんな不幸を見る思いだった。
然し、候補作に選ばれる、受賞する、というのは、曲がりなりにも読みのプロたちのお墨付きのわけだし、他のワナビーとは比べ物にならないほど、良い作品を書ける能力がある、と、いうことだろう。然し、だからとはいえ、文章だけで渡世できるほど、文壇という世界は甘くないのだろう。
