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医者に「肺がんかもですね」と言われて1ヶ月が経ちました(上)

医者にガンかもしれないですねと言われてから、1ヶ月が経ちました。思い返せば、いろんな浮き沈みがある1ヶ月でした。この1ヶ月の自分の気持ちの変化を、出来事を遡りながら、だれのなんの参考にもならないかもしれないけど、自分のために記録に残します。


予兆

2024-25年に自分の近い関係性にある人、2人がガンに。自分とほぼ同い年のyoutuberもガンに。自分の父側のじいちゃん、母側のばあちゃんもガンで亡くなっているので、徐々に自分にガンが近づいている感じがして、俺大丈夫か?大丈夫だよな?と思いながらも特になにも検査をせずにいつも通りに過ごす。(検査しろ)

予兆2

2025年の8月。喉に断続的な違和感、腫れを覚える。パートナーにそのことを伝えて、耳鼻科に行く。いつも花粉症を見るために通っている近所の少し古めの耳鼻科。おじいちゃん先生。機材が揃っていないというのもあり、喉を触診。少し触られて「いや〜、大丈夫。〇〇の部分は大丈夫だから。大丈夫。様子見して、もしまだ違和感を感じるようであればまた来て、紹介状を書くから」とあっさり言われて、モヤモヤしたまま帰宅。もっとちゃんと観てもらいたい。


喉のレントゲン

2025年10月初旬。喉の違和感がまだあり、今度は別の新しい耳鼻科へ。喉カメラも含めた診察で「特に問題はない」とのことだったが、心配なら喉のCTを、ということになった。結果は1〜2週間後に、ということで、また日程を予約して往診。


心臓に、しこり?

2025年10月末。CTでも喉に異常なし、と思いきや、「喉は問題ないんですけど、心臓にしこりがあるかもしれないですね。念の為、大きい病院の循環器内科で診てもらったほうがいいので、紹介状を書きますね」と告げられる。え?喉じゃなくて心臓?仕事などでバタバタしているこのタイミングで……。もうこれ以上色々重ならないでほしいと切実に思う。


空白の半年

結局いろんなことを理由に、僕は病院に行けなかった。というか、本当は自分になにか起きるのが怖くて行かなかったというのが大きいと思う。後回しにして、記憶の底に沈めて、いつしかそのことさえも忘れて…。という瞬間もあったけど、ただ、やっぱり覚えている(そりゃそうだ)。そして、ガンと死というキーワードだけが日常に余計目につくようになった。買う本の中でも、それ関連のものが増えていった。ガンを意識して本を買っているというよりも、買った本の中の内容にたまたまガン関連のものが入っているものが多かった。これも自分をビビらせるには十分だった。


「血色悪くない?」

最近会う度に「健康診断に行った?」と父から聞かれる。なんでそんなに聞くのと尋ねたら、「唇の色があんまりよくないから、心臓大丈夫かと思って」と言う。そこでようやく両親に心臓のことを伝えると、案の定呆れられた。「4/22の東京のイベントが終わったら行く」と伝えると、「今すぐ行け」と言われ、渋々病院へ。


4/17 検査日

「ここに30mmほどの影がありますね」
大きい総合病院の呼吸器科医の先生は、その日に取ったレントゲンを指しながらそう言った。心臓関連のレントゲンを撮ったはずなのに肺。はい…?

「心臓じゃなくて肺に影?それって、もう肺がんってことですか…?」
「まだなんとも言えないので、まずは検査しましょう」

1〜2時間終わる予定だった病院が全然終わらない。

心電図、採血、結果説明と続く。採血は人生最多の8本。人間は8本血を抜かれてもまだ生きていられるんだと、妙に感心した。あとから調べてみたら、10mLの採血管で約150本〜200本を一気に抜かれないと大丈夫らしい。8本は誤差。人間すごい。

血液検査の結果は1時間ほどで出た。問題なかった。


ただ、この「問題なかった」ことが問題だった。


先生いわく、血液検査は細菌感染をする検査で、細菌感染していないということは、肺ガンである可能性が高いとのことだった。先生の言葉が重い。

仮にまだ「可能性」であっても、その恐怖を受け止めきれない。タバコも吸わないし、早寝早起きしているし、食生活も健康的だし、運動が少し足りていないぐらいなのに。心臓じゃなくて肺がん?意味がわからん。影は30mm。比較的大きいらしかった。もっと早く病院に来ればよかった。まだ余命宣告されたわけでもないのに、涙が出てきた。

先生は僕に気を配りながらも、冷静に話を進めていく。
「すぐ入院検査してほうがいいと思うので、入院できますか?入院できる一番早いタイミングは4/22(水)ですが、ご都合はいかがですか?」

4/22?その日は僕が都内で主催するイベントがある。半年かけて準備してきた、海外ゲストを招いた会。これまで一緒に準備してきた運用メンバーに頼めばやってくれるだろうけど、本当にそれでいいのか。

「命を優先しなさい。当たり前でしょ」
迷っていると、付き添いに来てくれた母が断固たる口調で言った。

そうだよな、と思いつつも、イベントに行きたい。自分の中で結論が出ないまま母の勢いに押されて、slackで2人の仕事仲間に連絡を取る。

「ごめん、肺がんになったかもしれないから急遽入院検査することになった。4/22の司会進行や会場準備をお願いできるかな……?本当に申し訳ない」

仲間たちもすぐ返信をくれて、心配してくれて、全面OKとのことだった。本当にありがたい。

入院検査日は4/22に確定。その日はトータル5時間ほど病院にいた。その後、知らせを聞いた父も病院に駆けつけてくれた。まだ先のことはわからないけれど、5月からは実家で暮らそうという話になった。


帰宅

帰宅後にはコーチングセッションが待っていた。僕がコーチングをする側として。リスケも考えたが、そのままやることにした。少し瞑想をしてからセッションに入ると、意外とクライアントの話に集中できた。むしろその切り替えがよかった。必要だった。

作業机の壁には、数日前にこうなるとも知らずに書いた「これからの人生でやりたいことリスト」が貼られていた。LAダンス留学、海外移住、中国国内旅行……。

セッションが終わり、それが目に入ると、また心配、恐怖、虚しさが一気に押し寄せてきて、一人でたくさん泣いた。


思い出を作りたい

もし本当にガンだったとして、半年間病院に行かなかったせいで進行していたとして、残りの時間があとわずかだったとしたら。自分はなにを求めるんだろう。この問いが、しっかりと重みを持ちながら頭の中を駆け巡る。

やりきりたい。思い出を作りたい。


未来のことはわからない。ガンかもしれないし、そうではないかもしれない。時間はあるかもしれない。意外と残されていないかも知れない。未来がわからない中、少なくともイベントはやりきりたい。半年引き延ばしたなら、この1週間は誤差だ。病床で「あのイベント、自分でやり切ればよかった」と後悔するぐらいなら、やり切りたい。


実は、都内イベントの前日には別のプログラムの打ち上げがあり、翌日は大阪、その次は岡山でも関連イベントがあり、そのあとは尾道で友達と会う予定もあった。どれも楽しみにしていた。このタイミングで入院して安静にして、もし結果が悪ければ、もう遊ぶこともままならない。であれば、全部が最後のつもりで行ったほうがいいじゃないか。


「やっぱ4/22はイベントを開催する」

もし先が長くないなら、思い出を作りたい。悪い可能性を考えすぎて、そう電話で親に伝えると、親は折れてくれた。入院検査はツアーの翌日、4/27に変更になった。

「もし結果が悪く先が長くないなら、もう思い出を作りたい」これはもしかして、親に対する最強の免罪符で魔法の言葉かもしれない、とも思ったりした(笑)

それからイベントまでの数日は、最終調整に追われた。忙しさは余計なことを考える隙を与えない。ありがたい。

イベントは大盛況だった。準備が念入りだったおかげで、当日は何のハプニングもなく進んだ。参加者も喜んでくれたし、ゲストを含めた運営も満足していた。それを観た自分も満足だった。

やりきったという達成感と満足感が心を満たしてくれる。と同時に、頭の稼働を占めていたメイン仕事が終わったぶん、ここからまた不安と恐怖が強く頭を占めるようになる。いよいよ来週には入院だ。直視したくない現実が近づいてくる。


耐えきれなくなった大阪講演

東京でも登壇してくれた海外教育分野のコーチング第一人者、クリスチャン教授が、大阪でクローズドな講演を予定していた。僕はクライアント役としてデモセッションに参加する予定だった。

当日は電車の乗り間違えからスタートしたが、タクシーに飛び乗りなんとかセーフ。

クリスチャンの基調講演が終わり、デモセッションが始まると、僕はキャリアについての相談を持ちかけた。ところが、未来のことを語ろうとするたびに、「ガンかもしれない、命の時間がそんなにないかもしれない」という思いの影響で、言葉をうまく発することができない。というか、そもそも未来のことを考えられない。

クリスチャンのまっすぐで優しい眼差しを見ていると、唐突に、涙が止まらなくなった。

観ている人たち(とある学校の先生たち)からすれば、何が起きているのか全くわからない状況だったと思う。ヤラセだと思われたら嫌だな、なんだこいつと思われたら嫌だな〜、そんなことを考えながらも、自分の意志とは関係なしに、言葉はつまり、涙は流れ続けた。

そして、ガンかもしれないことをそのまま打ち明けた。この打ち明けるまでに、言葉が出てくるまでにすごい時間がかかった。出たあともただただ泣いた。知らない人たちの前で告白することで、このタイミングで初めて自分でこの「かもしれない事実」を受け入れられた気がした。

クリスチャンはその後、1対1で特別に話す時間を作ってくれた。本当にありがたかった。また周りのコーチ仲間もみなさん暖かいハグをしてくれて感謝だった。

講演はその後も順調に進み、いい形で終えることができた。その日から、僕の心は少し軽くなった。続く岡山・IPU環太平洋大学での100名規模の講演も大盛況で幕を閉じ、僕はクリスチャンと仲間たちと別れ、岡山を後にした。


今の自分を表す一冊の本

岡山から尾道へ。また電車乗り間違えで本来なら1.5時間で着く道のりを、4時間かけるというポンコツぶりを発揮しながらも、友人たちは深夜まで待っていてくれた。駅まで迎えに来てくれて、コンビニ飯をつつきながら遅くまで楽しく話した。

泊まる友人の家には一つルールがある。「今の自分を表す本を持ってきてほしい」というものだ。

僕は2冊で迷った。ヴィクトル・E・フランクルの『夜と霧』か、末期がんと診断されながら10年以上生き延びた樹木希林の語録集『人生一切なりゆき』か。ちなみに樹木希林がガンだったことは全く知らずにこの本を買っているので、やはりなにかの前兆なのかなと思ってしまう自分がいた。

結局、僕は『夜と霧』を選んだ。

フランクルのように、地獄の中でも希望を持ち続けたい。そして、万が一にも生き延びることができるかもしれないという希望を手にし、加えて、フランクルのように自分の心理の変化を記録として残せたら、それが誰かの勇気づけになれば、という思いもあった。

尾道での2日はあっという間だった。たまたま年に一度の祭りの日と重なり、いつも静かな尾道が賑わっていた。ラッキーだった。そして、なにより楽しかった。

そしていよいよ、入院検査である。


下に続く。


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