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荘子 雑篇 列御寇 — 人に慕われるほど、身は危うくなる

人に慕われるほど、
人は自由を失う。
龍の珠を拾った者は、
龍の眠りに命を預けている。

人から認められること。
国に用いられること。
富や車を得ること。
それらは、ふつうは喜ばしいことに見えます。
けれども、この篇では、
それらのすべてが、危ういものとして語られます。
人に頼られる者は、人に囲まれます。
王に近づく者は、王の気分に命を預けます。
大きな技を身につけても、
使う場がなければ、どこにも置きどころがありません。
手厚い葬りを願う弟子たちにさえ、
荘子は、天地そのものを棺と見る目を返します。
ここで問われているのは、
どうすれば人に評価されるかではありません。
人の評価、名声、功績、知恵の中で、
その中で、どうすれば自分の本来のところを失わずにいられるかです。


荘子 雑篇 列御寇 一
列御寇(れつぎょこう)が、斉へ行こうとした。
けれども途中で引き返した。
その帰り道で、伯昏瞀人(はくこんぼうじん)に会った。
伯昏瞀人はたずねた。
「どこへ行こうとして、引き返してきたのか」
列御寇は答えた。
「私は、驚いたのです」
伯昏瞀人は言った。
「何に驚いたのか」
列御寇は言った。
「十軒の漿屋(しょうや)で食事をしました。
そのうち五軒では、こちらが頼む前に、食べ物を出してくれたのです」
伯昏瞀人は言った。
「それなら、どうして驚くのか」
列御寇は言った。
「内にあるまことが、まだ外へ出ていないのに、
姿かたちが先にそれを漏らしてしまう。
光がもれるように、人の目に映ってしまう。
すると、人の心を圧します。
人は軽々しく私を尊び、年長の者のように扱う。
それが、かえって私の憂いを増やすのです。
漿屋は、食べ物や汁を売るだけの商いです。
余分に得るものがあっても、その利は薄く、権勢も軽い。
それなのに、なおこのように扱う。
まして万乗(ばんじょう)の君主なら、どうでしょう。
その身は国の政で疲れています。
その知は、政治に使い尽くされています。
その人はきっと私に事を任せ、功績を求めるでしょう。
だから、私は驚いたのです」
伯昏瞀人は言った。
「見方はよい。
だが、そのままの身の置き方では、
人はきっとあなたを頼って集まってくるだろう」
プチ解説
列御寇
列子(れっし)とも呼ばれる人物です。
ここでは、道を知る者として出てきます。
ただし、人から慕われることの危うさも背負っています。
伯昏瞀人
列御寇に忠告する人物です。
名声や人の集まりが、かえって人を縛ることを見抜いています。
漿屋
飲み物や汁物を売る店です。
身近な商人でさえ列御寇を特別扱いした、という例として出ています。
万乗
多くの戦車を持つ大国の君主を指します。
ここでは、大きな権力を持つ王のことです。

荘子 雑篇 列御寇 二
それから、いくらもたたないうちに、
伯昏瞀人は列御寇の家を訪ねた。
行ってみると、門の外は履(くつ)でいっぱいだった。
伯昏瞀人は北を向いて立った。
杖をあごの下に立て、あごを押しつけたまま、
しばらく何も言わなかった。
そして、そのまま出ていこうとした。
門番が、そのことを列子に告げた。
列子は履を手に取ると、裸足のまま走り出した。
門のところで追いついて言った。
「先生は、せっかく来てくださったのに、
私に薬となる言葉を一つも残してくださらないのですか」
伯昏瞀人は言った。
「もうよい。
私は前に言ったはずだ。
『人はあなたを頼って集まるだろう』と。
そのとおり、人は集まった。
あなたが人を集められる、ということではない。
けれども、あなたは人が集まらないようにもできていない。
それなのに、人と違うものを外に現し、
人の心を喜ばせている。
それに何の役があるのか。
人の心を動かすものがあれば、あなたもまた動かされる。
そうなれば、もとの才も揺らぐ。
もう語るべきことはない。
あなたと交わる者たちは、
そのことをあなたに告げない。
彼らの小さな言葉は、どれも人にとって毒である。
あなたは気づかず、悟りもしない。
それで、どうして彼らと深く向き合えるのか。
巧みな者は疲れる。
知恵のある者は憂える。
何もできない者には、求めるものがない。
腹いっぱい食べて、ただ遊び歩く。
つながれていない舟のように、水に浮かんでいる。
虚(うつ)ろなまま、遊び歩く者なのだ」
プチ解説
列子
列御寇の別名です。
ここでは、同じ人物を指しています。
薬となる言葉
病を治す薬ではなく、心や生き方を正す忠告のことです。
伯昏瞀人の言葉は、列子にとって薬となる忠告です。
つながれていない舟
どこかにつながれず、流れにまかせている舟です。
ここでは、求めるものを持たず、身を固めない生き方のたとえです。

荘子 雑篇 列御寇 三
鄭(てい)の人に、緩(かん)という者がいた。
緩は裘氏(きゅうし)の地で、声に出して書物を学んだ。
わずか三年で儒者となった。
その恵みは、河が九里を潤すように、三族にまで及んだ。
そして緩は、弟には墨(ぼく)の教えを学ばせた。
儒者となった兄と、墨者となった弟は、たがいに議論した。
父は、弟の側についた。
十年たつと、緩は自ら命を絶った。
その父は、夢の中で緩を見た。
緩は言った。
「弟を墨者にしたのは、私です。
どうして、そのよい働きを見てくれなかったのですか。
私はもう、秋の柏(かしわ)の実になってしまいました」
そもそも造物者(ぞうぶつしゃ)が人に報いるとき、
その人のつくった功に報いるのではない。
その人の中にある天に報いるのである。
だからこそ、弟はそのようになった。
ところが人は、自分には人と違う何かがあると思う。
そのために、親を軽んじる。
それは斉の井戸で、水を飲む者同士が、
たがいに引き倒し合うようなものだ。
だから言う。
「今の世は、みな緩である」と。
このことから見れば、
徳のある者でさえ、自分で知っているとは思わない。
まして道のある者なら、なおさらである。
古の人は、これを、
「天の刑を逃れた者」と呼んだ。
プチ解説

春秋時代の国の名です。
儒者
孔子の流れをくむ教えを学ぶ者です。
ここでは、緩が身につけた立場として出ています。

墨子(ぼくし)の教えを指します。
儒家とは異なる立場として、弟に学ばせたものです。
造物者
万物を生み出す大きなはたらきのことです。
人格を持つ神というより、ものをそのようにあらしめる力として読めます。

ここでは、人の内にある自然な本来のはたらきです。
人が自分の力で作ったものとは違います。

荘子 雑篇 列御寇 四
聖人は、
安んじるべきところに安んじる。
安んじるべきでないところには、安んじない。
ところが多くの人は、
安んじるべきでないところに安んじ、
安んじるべきところには安んじない。
プチ解説
安んじる
心を落ち着け、そこに身を置くことです。
ここでは、何をよりどころにするかが問題になっています。

荘子 雑篇 列御寇 五
荘子は言った。
「道を知ることは、やさしい。
それを言わずにいることは、難しい。
知っていて言わないのは、天へ向かう道である。
知っていて言うのは、人へ向かう道である。
古の人は、天に従い、
人為には寄らなかった」
プチ解説

万物がそこから生まれ、そこに従って動く大きなあり方です。
ここでは、知識として語るものではなく、身の置き方として扱われています。
天へ向かう
自然な本来のあり方に近づくということです。
人に見せるための言葉から離れる向きがあります。

荘子 雑篇 列御寇 六
朱泙漫(しゅへいまん)は、
支離益(しりえき)から龍を屠(ほふ)る術を学んだ。
千金もあった家の財を、すべて使い尽くした。
三年たって、その技は完成した。
けれども、その巧みな技を使うところは、
どこにもなかった。
プチ解説
朱泙漫
龍を屠る術を学んだ人物です。
大きすぎる技を身につけても、使う場がなければ意味を持たない、という話に出ています。
支離益
朱泙漫に龍を屠る術を教えた人物です。
龍を屠る術
現実にはほとんど使いどころのない、大げさな技のたとえとして読めます。

荘子 雑篇 列御寇 七
聖人は、
人が必ず必要だと思うものを、
必ずしも必要とは見ない。
だから、争いを起こさない。
多くの人は、
必ずしも必要でないものを、
必ず必要だと思い込む。
だから、争いが多い。
争いに従って動く者は、
何を行うにも、求める心を起こす。
争いを頼みにすれば、滅びる。
プチ解説
争い
ここでは、武器を取る戦だけではありません。
心の中で何かを奪い合うようなあり方も含みます。
必要
人が「これはなくてはならない」と思い込むものです。
荘子は、その思い込みそのものを危ういものとして見ています。

荘子 雑篇 列御寇 八
小さな人の知恵は、
贈り物や書きつけのことから離れない。
浅く狭いことに心をすり減らしながら、
それでいて、道と物事をともに整えようとする。
さらに、太一(たいいつ)の形なき虚ろさにまで届こうとする。
このような者は、宇宙の中で迷い惑い、
形ある身に縛られて、太初(たいしょ)を知らない。
あの至人(しじん)は、
精神を無始(むし)のもとへ帰し、
何もない郷のほの暗さを、甘んじて楽しむ。
水は形のないところを流れ、
太清(たいせい)へと広がり出る。
悲しいことだ。
あなたは毛の先ほどの知にかかずらい、
大いなる静けさを知らない。
プチ解説
太一
すべてをひとつに含む大きな根源のようなものです。
ここでは、人の小さな知恵では扱いきれないものとして出ています。
太初
物事がまだ分かれる前の、はじまりのはじまりです。
至人
道に近く、人為のこだわりを離れた人です。
無始
始まりさえないところ、という意味です。
時間の前にあるような深い根源として出ています。
太清
澄みきった大きな世界を指す語です。

荘子 雑篇 列御寇 九
宋(そう)の人に、曹商(そうしょう)という者がいた。
宋王の使いとして、秦へ行った。
出発するときには、数台の車を与えられていた。
秦王は曹商を気に入り、さらに百台の車を加えた。
曹商は宋へ帰ると、荘子に会って言った。
「貧しい村の狭い路地に身を置き、
苦しみながら履を編み、首は枯れ、顔は黄色くやつれている。
そういうことは、私の苦手なところです。
けれども万乗の君主にひとたび認められ、
従う車を百台も得る。
これは、私の得意なところです」
荘子は言った。
「秦王に病があって、医者を呼んだとしよう。
腫れ物を破り、吹き出物をつぶす者は、車一台を得る。
痔(じ)をなめる者は、車五台を得る。
治す場所が下るほど、得る車は多くなる。
あなたは、まさかその痔をなめたのか。
どうして、そんなに多くの車を得たのだ。
行きなさい」
プチ解説
曹商
宋の使者として秦へ行き、多くの車を得て戻った人物です。
荘子の前で、それを誇ります。
宋王
宋の国の王です。
曹商を秦へ使いに出しました。
秦王
秦の国の王です。
曹商に多くの車を与えました。

ここでは、低く卑しい仕事のたとえとして強く出されています。
荘子は、得た車の多さをそのまま功績とは見ていません。

荘子 雑篇 列御寇 十
魯哀公(ろのあいこう)が、顔闔(がんこう)にたずねた。
「私は仲尼(ちゅうじ)を、国のまっすぐな支えにしようと思う。
そうすれば、国の病は癒えるだろうか」
顔闔は言った。
「危ういことです。
たいへん危ういことです。
仲尼は、これから羽に飾りをつけ、
その上に絵を描こうとするでしょう。
政にあたれば、華やかな言葉を使います。
枝葉を主なものとし、
人の性を押し曲げて民に示しながら、
それがまことでないことを知らない。
自分の心で受け取り、
自分の精神でさばいているだけです。
そのような者が、どうして民の上に立つに足りましょうか。
あの人は、あなたにふさわしいのでしょうか。
民を養わせるに足りるのでしょうか。
過ちとしてなら、一時はあるかもしれません。
けれども今、民を実から離れさせ、
偽りを学ばせるなら、
それは民に示すべきものではありません。
後の世のことまで考えるなら、
やめるに越したことはありません。
治めるのが難しくなります」
プチ解説
魯哀公
魯の国の君主です。
ここでは、仲尼を用いるべきかを顔闔にたずねています。
顔闔
魯哀公に答える人物です。
飾った言葉や教えが、民を実から離すことを危ぶんでいます。
仲尼
孔子の字です。
ここでは、孔子を指しています。
羽に飾りをつけ、その上に絵を描く
羽に、さらに余計な飾りを加えるたとえです。
余計な飾り立てを示しています。

荘子 雑篇 列御寇 十一
人に施して、
そのことを忘れない。
それは、天が広く恵みをほどこすあり方ではない。
商人や物売りは、
本来、位ある者の列には入らない。
たとえ事の都合でその列に入れても、
人の奥の心は、それを認めない。
外の刑となるものは、金属と木である。
内の刑となるものは、心の動きと過ちである。
小さな人が外の刑にかかれば、
金属と木がこれを取り調べる。
内の刑にかかれば、
陰陽(いんよう)がこれを食い尽くす。
外と内の刑を免れることができるのは、
ただ真人(しんじん)だけである。
プチ解説
天が広く恵みをほどこす
天は何かを与えても、それを功績として覚えておかない、という見方です。
金属と木
金属の刑具と、木の枷(かせ)を指します。
外から加えられる刑罰の道具です。
陰陽
万物を動かす二つの気のはたらきです。
ここでは、内側の乱れが身を食い尽くすものとして出ています。
真人
道に従い、外の罰にも内の苦しみにも縛られない人です。

荘子 雑篇 列御寇 十二
孔子(こうし)は言った。
「人の心は、山川よりも険しい。
天を知るよりも難しい。
天にはなお、春、秋、冬、夏、朝、夕という定まった時がある。
しかし人は、外の顔つきで厚く覆い、
内の思いは深く隠れている。
だから、外見はまじめそうでいて、かえって度を越す者がいる。
すぐれた力を持ちながら、できない者のように見える者がいる。
従順で身軽そうに見えて、遠くまで通じる思いを持つ者がいる。
堅そうに見えて、実はゆるい者がいる。
ゆるやかに見えて、実は鋭い者がいる。
だから、義へ向かうときには、渇いた者が水を求めるように急ぐ者も、
義から去るときには、熱いものから逃げるように離れる。
そこで君子は、
遠くへ使いに出して、その忠を観る。
近くで使って、その敬を観る。
面倒なことをさせて、その能力を観る。
突然たずねて、その知恵を観る。
急な期限を与えて、その信を観る。
財を任せて、その仁を観る。
危険を告げて、その節を観る。
酒に酔わせて、その乱れを観る。
人々の中に交じらせて、その顔色を観る。
この九つの徴(しるし)がそろえば、
ふさわしくない者は見分けられる」
プチ解説
孔子
儒家の祖とされる人物です。
ここでは、人を見分ける難しさを語っています。
君子
徳を備え、物事を正しく見ようとする人です。
九つの徴
人を試す九つのしるしです。
外見だけでは分からない心のあり方を見ようとしています。

荘子 雑篇 列御寇 十三
正考父(せいこうほ)は、
一度目の任命を受けると、身をかがめた。
二度目の任命を受けると、背を曲げた。
三度目の任命を受けると、深くうつむき、
壁に沿って小走りに進んだ。
誰が、これに従わないでいられようか。
ところが、あのような者は、
一度目の任命で大またに歩き、
二度目の任命で車の上で舞い、
三度目の任命で父方のおじたちを名で呼ぶ。
どうして唐や許のような人々と、
響き合うことがあろうか。
プチ解説
正考父
古くから慎み深い人物として語られる人です。
位が上がるほど、かえって身を低くしたとされています。

ここでは堯(ぎょう)を指します。
古代の理想的な君主として出ています。

許由(きょゆう)を指します。
堯から天下を譲られようとしても受けなかった人物として知られます。

荘子 雑篇 列御寇 十四
人を損なうものの中で、
自分には徳があると思う心ほど大きなものはない。
その心に、ものを見る目ができると、
ついには内側までのぞき込む。
内側をのぞき込めば、敗れる。
悪い徳には五つあり、
その中で中徳(ちゅうとく)が第一である。
中徳とは何か。
自分のすることだけをよいと思い、
自分のしないことをそしるものである。
人が行き詰まるものには、八つの極みがある。
通じるものには、三つの必ず通るものがある。
人の身には、六つの府(くら)がある。
美しいこと。
ひげが立派なこと。
背が高いこと。
体が大きいこと。
壮(さか)んなこと。
麗しいこと。
勇ましいこと。
思い切りがよいこと。
この八つがすべて人より抜きん出ていれば、
それによって行き詰まる。
人に従うこと。
身を低くすること。
人に及ばないと畏れて慎むこと。
この三つがそろえば、通じていく。
知恵が外のことに通じすぎれば、
勇気ある動きは怨みを多くし、
仁義は責めを多くする。
生の実情に通じた者は大きく、
知に通じた者は似たものにとどまる。
大きな命に通じた者は従い、
小さな命に通じた者は、出会うものを受ける。
プチ解説
中徳
ここでは、まん中にかなった徳というよい意味ではありません。
自分の善を中心に置き、他人をそしる危うい徳として出ています。
八つの極み
美しさや勇ましさなど、人より抜きん出た特徴です。
目立つ長所が、かえって行き詰まりを生むことがあります。
六つの府
人の身の内にある、働きの集まりのようなものです。
ここでは、知恵、勇気、仁義、生、知、命に関わる働きとして読めば足ります。

荘子 雑篇 列御寇 十五
ある人が宋王に会い、車十台を賜った。
その人は、その十台の車を、
荘子に得意げに見せびらかした。
荘子は言った。
「河のほとりに、貧しい家があった。
その家は萑(おぎ)を編む仕事で暮らしていた。
その子が深い淵に潜り、千金の珠を得た。
父はその子に言った。
『石を持ってきて、その珠を砕きなさい。
千金の珠は、必ず九重の淵の底、
驪龍(りりょう)のあごの下にある。
おまえがその珠を得ることができたのは、
きっと驪龍が眠っていたからだ。
もし驪龍が目を覚ましたなら、
おまえなど、ほんのわずかも残らないだろう』
今、宋という国の深さは、九重の淵どころではない。
宋王の猛さは、驪龍どころではない。
あなたが車を得ることができたのは、
きっと宋王が眠っていたからだ。
もし宋王が目を覚ましたなら、
あなたは粉々にされるだろう」
プチ解説

水辺に生える草の名です。
ここでは、それを編んで暮らす貧しい家の仕事として出ています。
驪龍
黒い龍です。
深い淵にいて、あごの下に貴重な珠を持つものとして語られます。
九重の淵
非常に深い淵のことです。
危険な場所のたとえとして出ています。

荘子 雑篇 列御寇 十六
ある人が荘子を招こうとした。
荘子は、その使者に答えて言った。
「あなたは、祭りに供える牛を見たことがあるか。
その身には美しい刺繍の衣を着せ、
まぐさや豆を食べさせる。
けれども、いざ引かれて太廟(たいびょう)に入るとき、
たとえ一頭の子牛に戻りたいと思っても、
それができるだろうか」
プチ解説
祭りに供える牛
祭祀のために大切に養われる牛です。
よく扱われていても、最後は犠牲として捧げられます。
太廟
祖先をまつる大きな廟です。
ここでは、犠牲の牛が引かれていく場所として出ています。

荘子 雑篇 列御寇 十七
荘子が死を迎えようとしていたとき、
弟子たちは手厚く葬ろうとした。
荘子は言った。
「私は天地を棺と外棺にし、
日月を対の璧(たま)とし、
星々を珠玉とし、
万物を葬送の贈り物とする。
私の葬りの道具は、もう備わっているではないか。
これに何を加えるというのか」
弟子たちは言った。
「私たちは、烏(からす)や鳶(とび)が先生を食べるのを恐れています」
荘子は言った。
「上に置けば、烏や鳶に食べられる。
下に置けば、螻蟻(ろうぎ)に食べられる。
あちらから奪って、こちらに与える。
なんと偏ったことだろう」
プチ解説
棺と外棺
遺体を納める内側の棺と、それをおおう外側の棺です。
荘子は天地そのものを葬りの器と見ています。

円い玉のことです。
ここでは、日と月を葬りの飾りに見立てています。
螻蟻
けらや蟻のような小さな虫です。
地中に葬れば、それらに食べられると言っています。

荘子 雑篇 列御寇 十八
平らでないものによって平らにしようとすれば、
その平らさは、平らではない。
確かでないものによって確かめようとすれば、
その確かさは、確かではない。
目の明るさに頼る者は、
ただ外のものに使われる。
神(しん)なるものは、
その内から確かめる。
目の明るさが、神なるものに及ばないことは、
もう久しい。
それなのに愚かな者は、
自分の見たものを頼みにして、
それを人にまで及ぼそうとする。
その働きは、外側にとどまるだけである。
悲しいことではないか。
プチ解説
目の明るさ
ここでは、ただ目で見えるものに頼る知り方です。
外に見える形だけを根拠にする危うさを指しています。
神なるもの
人の奥にある、形だけでは測れないはたらきです。
ここでは、外から見える知識より深い確かめ方として出ています。

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タオ ここまで読んでくださり、ありがとうございます。 古い言葉を、今の人にも届く形で残していきたいと思っています。 応援していただけたら、とても励みになります。