文章を書くとき #041 | 万人ウケする小説を書くべきか (書けるのか)
『子供から大人まで楽しめる』
という煽り文句がある。アミューズメント施設とか、映画の宣伝文句とかでたまに見たり聞いたりするんだけど、僕にはどうにも納得できない。そういうのは大抵、子供向けなのである。
『子供から、子供っぽい大人まで楽しめる』
じゃ、ないんだろうか。
いや、いいんですけどね。僕もサーフィンとか釣りとかで、ガキっぽくキャッキャしてるし。うっひょー!たっのしー!(おっさん)
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たまに小説の批評とかで『読む人を選ぶ』とか『好みがわかれる』という一文を見かけます。
いや、そりゃそうだろ。エンタメ小説でも純文学でもなんでもいいけど、万人ウケする小説なんてあるんでしょうか。
万人ウケとはなにか。考えてみましょう。えーと、『誰も不快にならない』『大勢が楽しいと思う内容』『いろんな表現に気を使っている』みたいな感じでしょうか。
まぁテレビだよね。民放テレビ。
公共の電波を使っていて、老若男女いろんな人が見るから、放送禁止用語とかいっぱい作って、そういうコンプラを自分たちで守って、なれ合いと作り笑いと、お約束の方程式で作られた...って、面白いかそれ?
面白いかどうかは人それぞれでしょう。身も蓋もない言い方しちゃうと、『人による』。
面白いと思う人は面白いし、そう思わない人は思わない。
って、アレ?結局『観る人を選ぶ』とか『好みがわかれる』にならないか?
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つまり、全ての創作物が面白いかどうかは、『人による』。ものなのです。ユーザーに刺されば面白いと思ってもらえるし、刺さらなければツマラン、と、こうなるわけ。
何を当たり前のことを、と言うなかれ。
これは凄く重要な問題です。
著者は『面白い』と思ったものを書きます。当然です。自分がつまらないと思った話は書かないし、そもそも書く気にもならないでしょう。つまりnoteなどのSNSにおいてフェイバリットを多く集める記事は『多数派』ということになります。著者と読者の面白いと感じるものが一致しているというわけです。
しかし、やはりそういうものは、なぜか『平凡』なものが多いという印象です。あまり個性が感じられません。民放テレビと一緒。テレビは多くの人が見ます。当たり障りのないように、不快にならないように気を付けて作ってあります。数々の『お約束ごと』があって、様式化された笑いや感動が、パターンとして準備されており、どこかで見たような『安心感のある』コンテンツとして提供されています。
確かに多くの人にフェイバリットボタンを押してもらうというのも、才能でしょう。素直に凄い!と思う。でも、僕はそれを選びません。
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僕は、万人ウケするっていうのは『誰も何とも思わない』に等しいと考えているので、そういうものは書きません。っていうか書けません。
今、連載している『あなたと出会う前の、19歳』はけっこうエグめの話(ラストまで公開してませんが、ラストまで読めばわかります)だし、先日第1話を公開した『エーデルワイス』なんかさらにエグい。
『エーデルワイス』は恋愛小説などのベタな設定である、『学園モノ』『幼馴染』を、僕の歪んだ価値観で再定義した恋愛小説。
主人公の美少年『こーちゃん』は、学校でいじめられています。しかし、彼はドMの変態野郎で、幼馴染の『リコ』と協力して、自分がいじめられるように仕向けているのです。
『リコ』は『こーちゃん』が大好きだから、いじめグループに加わり、いろんな方法で主人公をいじめようとします。
『リコ』にとっては、いじめっ子のリーダーの男子もただの駒。彼女は愛する『こーちゃん』の歪んだ快楽を最大化してあげるために努力しますが、そんなことをしているうち『リコ』にもサディスティックな感覚が芽生え初めて…と、いうあらすじ。
『こーちゃん』の1人称と、『リコ』の1人称で、交互に物語が語られていき、ストーリーが進みます。
ちょっとだけ、いじめの描写を引用してみましょう。(こーちゃんの1人称パート)
心臓の鼓動と暴力がリンクしてヘンなリズムになる。ずんたったーずんたったー。3拍子。
エーデルワイス
エーデルワイス
かわいい花よ
アルプス山脈みたいにそびえ立つ校舎に咲く沢山の白い花。教室や体育館に並ぶ白い夏服シャツの有象無象。花びらの真ん中にグロテスクなイボ状の花芯がボツボツしてて、その中の顔が笑ったり怒ったり泣いたりしている。右から風が吹けば左。左から風が吹けば右。白い花が一斉に揺れる。みんなで仲良く右向け右。起立。礼。では観音崎くん、隣の者を殴れ。
ずんたったーずんたったー。
ひときわ大きな衝撃が、顔の左側に炸裂する。観音崎のハイキック。
よろめく。転倒。掌に感じる乾いた地面。砂、土、小石、じゃりじゃりじゃり。
はい、『読む人を選ぶ』。です。
テーマは『いじめと愛の純文学』『想い人の要求に応える盲目的な愛』。まぁ純文学系の小説テーマとしては悪くありません。
だけど、嫌悪感を抱く人は多いでしょう。きっと、そういう人には、ものすごおく嫌がられるでしょう。望むところだ、かかってきやがれ。
過去にいじめを受けてしまった方、それらの問題解決に携わる方々にも嫌われるでしょう。でも、仕方がない。小説とはそういうものです。表現の自由とはそういうものです。
テレビのコンプラでもあるまいし、そんなことにいちいち気を使っていたら、何も書けなくなってしまいます。
オリジナリティやメッセージ性の強いものが何も作れなくなってしまうのです。
でも、刺さる人には(たぶん)刺さる。
そして、この小説はいじめを肯定なんかしていません。かなり深いテーマがあって、いじめを強く否定しています。ラストまでちゃんと読めばわかります。
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たぶんだけど、『万人ウケする小説』なんてものはありません。『万人ウケする映画』や『万人ウケするマンガ』とかが無いのと一緒。
もちろん、『売れている小説』はあるし、『万人にウケぎみな小説』も存在します。けどねー、なんかつまんないんだよね。やっぱりトゲも闇も感じられないテレビみたいなコンプラまみれのものはつまらない。
作品の『個性』を大切にするなら、批判を恐れるのはやめましょう。むしろ批判を歓迎すべきです。当たり障りのない『誰も何とも思わない』作品を作るよりも、自分のアイデアや個性を出した『尖った』作品を書く方がずっといいんじゃないでしょうか。
僕は、読んでくれた人の1人か2人くらいに刺さればいいや、くらいの気持ちで書いています。
だって、ほら、その1人が、なんかコンテストの審査員とかかもしんないしー!
