【書道断片】雲開山嶽露

雲開山嶽露
くもひらけてさんがくあらわる
雲が晴れれば、それまで覆い隠されていた山々が自然と姿を現す。
ここでいう「雲」は、迷いや執着、分別、欲望など、人間が自ら作り出す心の曇りにたとえられる。
一方、「山嶽」は、本来そこにある真実、あるいは仏性を象徴すると読むことができる。
重要なのは、雲によって山そのものが消えていたわけではないという点である。
見えなくなっていただけで、山は初めからそこに存在している。
禅における悟りもこれに似ている。
悟りとは、どこか遠くにある特別な境地を手に入れることではない。
妄想や執着という雲が晴れた時、もともと眼前にあった世界が、そのままの姿を現すのである。
したがって「雲開山嶽露」は、何かを付け加えることよりも、余計なものを取り除くことの大切さを説く言葉といえる。
心の雲が去れば、山は山として現れる。
真実は新しく生まれるのではない。 覆いがなくなった時、ただ露わになるのである。
