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【書道断片】一翳在眼 空華乱墜

一翳在眼 空華乱墜
いちえいまなこにあればくうげらんついす

「一翳在眼 空華乱墜」は、中国・北宋期に成立した禅宗史書『景徳伝灯録』に見える禅語である。
福州芙蓉山の霊訓禅師と帰宗智常禅師との問答に由来する。
霊訓が「仏とは何か」と問うと、帰宗は「即汝便是」、すなわち「お前自身がそのまま仏である」と答えた。さらに霊訓が、それをいかに保つべきかと尋ねた際に示されたのが、この一句である。
「翳」とは、眼を曇らせる小さな塵や障りのことである。
「空華」とは、眼に翳りがあるために、何もない空中に見えてしまう幻の花をいう。
つまり、ほんのわずかな曇りが眼にあるだけで、実際には存在しない花が空いっぱいに乱れ舞うように見えてしまう、という意味である。
転じて、心に一片の執着や妄念が生じれば、それを起点として無数の迷いが生まれ、ありのままの世界を見ることができなくなることを説いている。
禅の眼目は、世界そのものを変えることではなく、世界を見る自己の眼を曇らせないことにある。
不安を抱けば何事も不安の種に見え、憎しみを抱けば相手の言葉のすべてが悪意に聞こえる。
しかし、それは世界が変わったのではない。
自らの「翳」が、存在しない「空華」を生み出しているのである。
ゆえにこの一句は、「妄想するな」という単純な戒めではない。
我々が現実だと思っているものの中に、自らの心が作り出した幻影はないかと問い返す言葉なのである。
眼の翳りが消えれば、空華もまた消える。
そこに残るのは、何も加えず、何も差し引かない、ただありのままの世界である。

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