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エッセイ「鮎への心と夏の空」

    少し前に草稿だけ残していた記事があったのを思い出してね、なんとか読めるようにはしたんだ。わずかばかり季節外れなのだけれど、一読していただけると幸いである。


    気分転換のために近くを散歩することがあります。わざわざ、こんな地獄の釜のような暑さのなかを歩くなんて、という声もあるだろうけどね、そのあとの水風呂で生き返るんだよ。

​ それで、ふと空を見上げるとね、山側にはまだ夏の名残のような積雲がモコモコと見事に湧き立っているけれど、頭上から海に向かう青空には、まるで刷毛でさっと引いたような秋のすじ雲がもう広がっている。



    その二つの季節が同居した空をぼんやりと眺めていたらね、「ああ、そろそろ夏の終わりだな」という寂しさと同時に、そういえば今年はまだロクに鮎を食べていないことに気づいたわけなんです。

​ こりゃあいけない。

    夏の締めくくりにもう一度だけ七輪を出してきて、香ばしい鮎の塩焼きを食べなきゃおさまりがつかないぞと思い立ったんだね。

​ 昔から川魚が好きなものだから、鮎に限らず、鱒、機会に恵まれればヤマメなんかもね、そんなものに舌鼓を打ちましたよ。

    まあ、昔はヤマメやイワナなんて言ったら山奥の清流、それこそ足場の悪い源流近くまで行かなきゃお目にかかれないような「幻の川魚」だったでしょう。それが今じゃあ養殖技術が進んでね、いつでもどこでも手軽に食べられてしまう。美味いものが手軽に手に入るのは結構なことなんだろうけれどね、何だかありがたみが薄れてしまって、すっかり風情がなくなってしまった気がするんだよ。

​ そう考えるとね、やっぱり昔から日本の夏にそっと寄り添い、季節の移ろいを教えてくれる庶民の川魚と言えば、鮎しかいないんです。

​ 物置の奥から七輪を引っ張り出して、炭を熾す。鮎のヒレにたっぷりと化粧塩を施したら竹串を打ち、強火の遠火でじっくりと焼き上げていくんだ。

​ やがて皮がパリッと香ばしく狐色に染まり、かすかに落ちた脂が炭に触れてジュッと白い煙が立ち上る。鮎の脂なんてあってないようなものだからね、運良く煙が立てばその香ばしい煙の匂いだけでね、もう酒が一杯飲めてしまうくらいですよ。熱々をガブリとかじりつけば、焼き目も香ばしい皮の下からふっくらとした白身が現れてね、鮎特有のあの爽やかな香りと、内臓の品のあるほろ苦さが口いっぱいに広がるんだ。まさに清流の香りをまとった味がする。いい鮎はいい苔を食べて育つからね、川魚特有の味のクセさえ、美味さのアクセントになるんです。

   そういうことだから「日本最後の清流」なんて呼ばれる四万十川の苔で育った鮎を食べるのは、川魚に目がない男としては憧れなんだよ。

​ この苦みと香ばしさに合わせるならね、キリッと冷やした新潟の「緑川 純米」あたりが実にしっくりくるね。淡麗で綺麗な米の旨味が、鮎の苦みをふんわりと包み込みながら油分をすっきりと流してくれる。これ以上の組み合わせはないと思うね。

    これで骨酒をこしらえるのもいい。

​ 西の空が茜色からしっとりとした薄紫へと移ろう薄暮の刻、縁側に腰掛け、涼しくなり始めた風を感じながら冷酒をちびちびと傾ける。口の中に残る鮎の風味と酒の余韻に浸る時間は、まさに晩夏の至福ですよ。

​ だけどね、この夏の終わりを惜しむ寂しさも束の間なんだ。秋になればね、今度は脂の乗った秋刀魚が海からやってくるでしょう。七輪の炭を片付ける暇もなく、また次の美味いものが追いかけてくるんだから、まったく、うれしい忙しさが待っているわけですよ。

    あとはそれに合わせる地酒を考えないといけないからね。ああ、忙しくて気が重いね。



​了


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山下静希 自分の記事の価値を知りたいと思っています。 いただいたチップで一杯の美味しいコーヒーを飲ませていただきますので、応援よろしくお願いします。