「察してほしいスタッフ」と「察するのがしんどい管理者」
以前、私は「スタッフを気にかけない管理者」について考える機会があった。
↑↑こちらに書いています。
難しい利用者対応からスタッフが疲弊して帰ってきても、特に声をかけるわけではない。スタッフが「本当に大変でした」と話しかけても、「そうなんだね、お疲れ様」で終わる。そこから深く話を聞くわけでもない。
その姿に対して、現場スタッフは少しずつ不満を募らせていた。
「もっと気にかけてほしい」
「しんどさを分かってほしい」
「少しくらい話を聞いてほしい」
私自身も、管理者には“スタッフ管理”という役割がある以上、現場の空気やスタッフの疲弊に気づき、フォローすることも大切なのではないかと感じていた。
ただ、その一方で、管理者側の話を聞いたとき「なるほど」と思う部分もあった。
管理者はこう言っていた。
「主体的に発信してきてほしい」
「察してほしい、を当たり前にしないでほしい」
その言葉の背景には、管理者自身が育ってきた時代の価値観があるように感じた。
管理者の世代では、“受け身”でいることはあまり良しとされなかった。どちらかというと私もそう。
自分から考え、自分から調べ、自分から発信する。分からないことがあれば、まず自分で調べ、それでも分からないところを質問する。それが当たり前だった。
質問をしても
「その根拠は?」
「自分ではどう考えたの?」
などと聞かれる。答えられなければ
「もう一回調べてきて」
と言われる。
場合によっては、その仕事を任せてもらえないこともあった。
怒られることも普通。
厳しく指導されることも普通。
そういう環境の中で
「自分で考えて動く」
という感覚を叩き込まれてきたのだと思う。
一方で、今いる20代前半のスタッフに対して、管理者はこう感じているらしい。
「なんでもそのまま聞いてくる」
「まず自分で考える、調べる、という部分が弱い」
「こちらから聞くのを当たり前にしないでほしい」
つまり、管理者からすると、“受け身”に見えてしまう部分があると。
ただ、ここで難しいのが、今の時代には今の時代の価値観があるということだと思う。
今は、
「怒ってはいけない」
「強く言ってはいけない」
という空気が強い。
指導する側にも配慮が求められる時代。
相手の気持ちを考える。
傷つけない言い方をする。
威圧的にならない。
心理的安全性を守る。
そういった価値観は、決して悪いものではないと思う。実際、昔のような“怒鳴って育てる教育”で傷ついてきた人も多いはず。
しかしその一方で、管理者側にも苦しさがある。
「どこまで言っていいのか分からない」
「優しく伝えなければいけない」
「察して動くことまで求められる」
「でも、強く言えばパワハラと言われるかもしれない」
そう考えると、管理者が「しんどい」と感じるのも分からなくはない。
結局これは、どちらが正しい・間違っているという単純な話ではないのだと思う。
育ってきた時代が違う。
教わってきた教育が違う。
仕事への価値観が違う。
だからこそ、互いに
「なんでそんな考え方なの?」
となる。
スタッフ側は、
「もっと気にかけてほしい」
「少しは察してほしい」
と思う。
管理者側は、
「言ってくれないと分からない」
「まず自分で考えてほしい」
と思う。
お互い悪気があるわけではない。
ただ、“当たり前”が違うだけ。
でも、だからこそ大切なのは、
「相手の時代背景や価値観を知ろうとすること」
なのではないかと思う。
管理者は、
「今の若い世代はこういう価値観なんだな」
と理解しようとする。
スタッフ側も、
「この人はこういう時代を生きてきたんだな」
と理解しようとする。
その歩み寄りがなければ、職場はどんどん“言えない空気”になっていく。
医療や介護の現場は、ただでさえ心身ともに負担が大きい。
だからこそ、人間関係のストレスはできるだけ減らしたい。
「察してほしいスタッフ」
と、
「察するのがしんどい管理者」
その間にある溝は、想像以上に深いのかもしれない。
でも、互いを“敵”として見るのではなく、
「価値観の違う相手」
として理解しようとすることが、チームとして働く第一歩なのではないかと感じる。
そんな今日この頃。
