相手の問題と自分の問題を分けてみた。
最近、職場の管理者について考えることがありました。
以前管理者のことについては記事でも書かせていただいていますのでこちらも併せてご覧ください。
管理者は訪問看護と別事業の兼務。
別事業の方は人手不足やスタッフ対応などでかなり大変そうで、疲労困憊しているのが見ていてもわかる状態。
機嫌も悪く、余裕もなさそうなことも多々。
正直なところ、その影響は訪問看護の私たちにも及んでいた。
「大変なのはわかる。でも、こっちまで巻き込まれるのはしんどい。」
そんな気持ちがずっとあった。
私はずっと、
「どうしてこんなに周りを見ないんだろう」
「どうしてスタッフのフォローをしないんだろう」
と思っていた。
でも振り返ると、その管理者は以前からそういう人だった。
本人も「人に興味がない」と言っていたし、その価値観は仕事にも表れていた。
一方で、私は人との関わりを大切にしたいタイプ。
利用者さんとの関係もそうだし、一緒に働く仲間との関係も大切にしたい。
だから余計に、その管理者との間に違和感があったのだと思う。
最初は、
「もう少しスタッフを見てほしい」
「もう少し寄り添ってほしい」
そう思っていた。
でもある時、気づいた。
もしかしたら私は、管理者を変えようとしていたというか、管理者が私の望む管理者になってくれることをどこか期待していた部分があったのかもしれないと。
でも人はそう簡単には変わらない。
特に価値観は。
相手が悪いとか、私が正しいとかではなく、ただ仕事観が違った。それだけのこと。
そして今回、一番大きな気づきがあった。
それは、
「管理者の問題」と「自分の問題」は別だということ。
私はこれまで、管理者が機嫌悪そうにしていると気になったし、余裕がなさそうだと心配にもなった。
別事業のスタッフとの板挟みになっている話を聞けば、
「大変なんだろうな」
とも思った。
でも、そこで私は気づいたことがある。
管理者がしんどいことと、私がしんどいことは、
別々に存在していいんだ、と。
管理者が疲弊しているのは管理者の問題。
別事業の管理を引き受けた経緯も管理者の人生。
そこに事情があることは理解できる。
でも、その結果として私は働きづらさを感じていることも事実。
以前の私は、相手の事情を理解しようとするあまり、自分のしんどさを後回しにしていた。
もしくは、感情的になっていたりした。
「大変なんだから私は我慢しないといけない」
「腹が立つからもう無理」
など。
そんなふうに考えていた部分もある。
でも今は少し違う。
相手を理解することと、自分が我慢することは別。管理者に事情があることと、私がその環境を心地よいと思えるかどうかも別。
そうやって冷静になって切り分けて考えられるようになった時、不思議と頭の中が整理され始める。
そして改めて自分に聞いてみる。
「もし管理者が今後も変わらないとしたら、この職場で1年後も働きたい?」
答えはNOだった。
その答えが正しいかどうかはわからない。
でも、その答えは今の私の本音だったと思う。
相手を変えるためではなく、自分の本音を知るための問い。
それが今回、私にとって一番大きな収穫だったように思う。
同じようにお悩みの方の参考にもなれば幸いです。
