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35年ぶりにポルトガルを訪ねた話⑮ 11日目 バス・オリエンテ駅・上の姉ちゃん・ベンフィカ勝利!

前回の話はこちら↓

高速バス
リスボンに帰る。往路は電車だったので、帰りはバスに乗ってみよう。
ポルト・カンパニャン駅からバスに乗り込む。運転席すぐ後ろの見晴らしの良い席だ。ドイツMAN社製の非常にがっちりしたボディーで、乗り心地も素晴らしい。終始ほぼ100㎞/h走行(自動でセットされてたかも)だった。

霧雨で視界はあまりよくない
MAN社製バス

運転手は若いブラジル人のお兄さんで、3時間の走行中30分くらいは電話のスピーカー機能で友人とトーク(笑)。さらに、自分の持っている2台のスマホはじめ、各種電気機器を走行中ずっととっかえひっかえ充電(笑)。まあ、それくらい楽ちんに運転できそうな直線道路だった。

バスは、リスボンの鉄道主要駅の一つ、オリエンテ駅のバスターミナルに到着した。
オリエンテ駅のあるパルケ・ダス・ナソインス地区は、1998年のリスボン万博に合わせて大規模に開発された地区で、このオリエンテ駅もその際に建造された。むき出しの鉄骨そのものが形作る非常に特徴的なこのデザインは、世界で数多くのユニークな巨大構造物を手掛けるスペインの建築家、サンティアゴ・カラトラバ・バイスの手による。哀愁漂う歴史的建造物の多いポルトガルに、こんな現代建築があるのもまた興味深い。

 オリエンテ駅
 

オリエンテ駅の向かいにはショッピングセンターがある。その名もヴァスコ・ダ・ガマショッピングセンター。この地区にはショッピングセンターのほか、ヴァスコ・ダ・ガマ橋、ヴァスコ・ダ・ガマタワー、といくつもヴァスコ・ダ・ガマの名を冠された建造物がある。
そもそも1998年のリスボン万博はヴァスコ・ダ・ガマのインド航路発見500年を記念したものだったというから、ヴァスコ・ダ・ガマ推しぶりがうかがえるというもの。
そういえば、高校生の時のクラスメイトにヴァスコ君がいて、初めてその名を聞いたときに、うわぁ、ほんとにヴァスコって名前の人いるんだ、と感動した覚えがある。だって、600年も昔の有名人と同じ名前って、日本ならさしずめ、信長、とか、秀吉、とかいった感じなんだろうし。。

オリエンテ駅のすぐ向かいにあるヴァスコ・ダ・ガマショッピングセンター
スタイリッシュで明るい店内
前日ポルトで見学したワインセラーのワインが売られていた
電化製品は中国・韓国ものが席巻

近辺は万博跡地らしく、大きくモダンな建造物やモニュメントが多い。

万国旗 
ポルトガルパビリオン跡地
こちらもまたユニークな建築なのに
ホームレスの雨宿りの空間と化してしまっていて
皮肉にも今のポルトガル社会の負の面を展示している
すぐ前はテージョ川
奥に見えるのがヴァスコ・ダ・ガマ橋
川沿いには長い遊歩道が続き
お洒落なレストランが立ち並ぶ

シャナ姉ちゃん
オエイラスの家に戻る最中も、ずっとマティやソフィアと連絡を取り合う。するとどうやらシャナ姉ちゃんが家でお待ちかねだという。

シャナは、高校生の時のホストファミリーの、二人姉妹のお姉ちゃんの方で、私より2歳年上だ。妹であるソフィアの子のマティから見ると、おばさんにあたる。なんとシャナは、ソフィア一家と同じマンションの隣の部屋に住んでいる。
私にとってシャナは、ソフィアのようにいつも一緒にいたわけではないけれど、要所要所で肝心なことを教えてくれる頼もしいお姉ちゃんだった。日本人ならではの優柔不断を露呈してしまった時など、はっきり言わなきゃだめよ、と戒めてくれるのはシャナ姉ちゃんだった。シャナ、は正確にはアレシャンドラの略称で、この名前の頭のAl(アル)は、アラビア語の定冠詞、つまりイスラム文化がかつてポルトガルに入ってきた影響なのよ、と教えてくれたのをよく覚えている。以降、ポルトガルでAlから始まる単語を見るたびに、おお、イスラム、と思ったものだった。

実はシャナはクリスマスの頃からしばらくタイに旅行に行っていて、私たちがポルトにいる間に帰国したので、私はこの日35年ぶりにシャナに会うのだ。
ソフィア一家の企てたサプライズによって、アナお母さん同様、シャナにも私のポルトガル来訪は知らされていなかったのだけれど、ソフィアったら、「近々サプライズがあるのよ。」とだけは伝えてしまっていた。アナお母さんはそれでも何とか堪えていたので、私の登場で見事に驚かすことができたけれど、シャナはその「サプライズ」知りたさに、タイから毎日ソフィアのところに電話をかけてきていた。あまりのしつこさに耐えきれなくなったソフィアは、私のポルトガル到着の翌日、とうとうビデオ通話に私を登場させた。タイのリゾートでのんびりしていたシャナ、ビデオ越しの対面に「あら、Akaneじゃないの!」電話の向こうで驚いて涙ぐむ。
後にその話を聞いたソフィアの夫のジョルジェ、「あなたたちの再会はいつも涙に包まれている。」と自分のことのように感動してくれる。こんなふうな皆の豊かな感情の往来に、こちらもそのたび感動してしまうのだった。

シャナ宅のテーブルで

シャナ宅での再会にはご主人とシャナの息子のヌーノ、そしてアナお母さんも同席してくれた。
アナお母さん、私の連れのY氏に向かって開口一番、
「あなた、シントラでレバー食べたんだって?あんな変わった味のもん、そうそうみんな食べられやしないよ。まさか全部食べたんじゃないだろうね?」「いや、美味しくて全部食べました。」「ほんとかね?こりゃ驚いた。」
ジョルジェに勧められるがままに食したレバーのオリーブオイル煮(いわゆるアヒージョ?)、結構地元の人でも好き嫌いがあるものだったらしい。そしてこのことを、その場にいなかったアナお母さんがあっという間に知っていたというこの家族の伝達能力(おしゃべり力)がこれまた可笑しい。

「ここまでの人生全て話しなさいよ。」とシャナ。と言われても、会えただけで興奮してしまってうまく話せない。「なんで今まで来なかったのよ。」うん、子育ても忙しくて、仕事も忙しくて、お金もなくて…ああ、ごめんなさい、35年もの不義理を許してね。
本当にもっと早くに戻ればよかった。もっと人生でポルトガルに関わってくればよかった。なんなら、ここで生きていたら面白かったのかもしれない。

いやいや、人生にタラレバはありません。いまここで皆と再会できたことをまず喜ぼう。

ヌーノには、私が大学生の時一度会っている。とはいえ、当時まだ1歳の可愛い可愛い赤ちゃんだったのだ。そして今、彼はここポルトガルで柔術のインストラクターをしている。日本に興味を持ってくれていて、日本語も少し知っている。日本食にも詳しい。
17歳の私が「あちょー」とからかわれたあのポルトガルは、どこへ行ってしまったのだろう。ヌーノが日本文化に真剣な関心を抱いている様子から、そんなことを思わずにいられなかった。ぜひ日本に来てほしいな。多少でも興味があるのなら、絶対に自分の目で見てほしい。強くそう思った。

最後の晩餐はサッカー決戦とともに
明日はとうとう帰国だ。最後の夕飯は市内のソフィア一家お気に入りのレストランで食べようとのこと。移動の途中で、「ここどこだかわかる?」と停車する。一瞬なんだかわからずにいると「学校よ、学校。忘れちゃったの?」
そこは私が1年通ったオエイラスの高校だった。

マティもこの高校の卒業生だ
1988年、オエイラスの高校にて
よく見ると校舎は昔と今で変わらない

レストランは、大賑わいだ。なにやらお客さんは皆大声で喚いている。
なにごとかと聞けば、今宵はサッカー国内リーグの決勝で、リスボン市民の人気を二分する人気チーム、ベンフィカとスポルティングの対戦中だったのだ。レストランの中は3つほどのスペースに分かれているのだが、どの部屋にも大きなテレビが左右に1台ずつ設置されている。テーブルのどちらの側に座る人も皆平等にテレビ画面が目に入るというわけだ。さすがサッカー大好きポルトガル。というより、こんな日はこうでないと客も入らないことだろう。

晩餐はこちらで
イカのグリル
これまた美味

最後の晩餐は、そんな騒ぎに囲まれながら、私たち二人のポルトの旅の報告会にもなり、11日間のポルトガル滞在の感想発表会ともなった。
今回の滞在で何が一番印象に残った?との質問に、初ポルトガルだった連れのY氏は迷うことなく、「人々の優しさ」と(翻訳ソフトにしゃべらせて)答えた。

食事の終わる頃、試合はPK戦にもつれ込んだ。お客さんも店員も、皆テレビの前に集まって、ゴール一本一本に、ある人は喜び、ある人は頭を抱える。
そして最後はベンフィカの勝利。ウオーという歓声。ソフィア一家は皆ベンフィカファンなのでしたり顔だ。店のオーナーはスポルティング派なので浮かない様子。でもすぐにY氏に向かって、「でもスポルティングには、日本から来たMORITAがいるぜ。MORITAはナイスだ」。(守田英正選手。2022年よりポルトガル・スポルティング所属。日本代表レギュラー。)
日本のサッカー選手が、ポルトガルリーグで活躍していて、地元の人に愛されている?
最後の最後にあらためてまた、この35年間に大きく変化した(大きく縮まった、と言ってよいだろう)日ポ関係を感じ、胸が詰まる思いだった。

次の話(最終話)はこちら↓


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