「死にたい」と「生きたい」の間
先日、ちいかわの映画の感想を書いた記事に、
「罪と罰」というタイトルを付けた。
それで、そういえば『罪と罰』についても書きたいことがあったと思い出して、
本棚から引っ張り出してきた。
ここにも何度か書いてきているが、私は生きることに対して、あまり前向きではない。
子どものころから、精神的に落ち込むと、死にたいと思うことはよくある。
なのに、そうやって生を軽んじているのに、
やはり死ぬのが怖いんだなと、自分を笑いそうになることがある。
リアルな生活でそう感じた例を示すことができればいいのだが、
そんな場面があまり思い浮かばない。
私が最近それを経験したのは、読書の中でだ。
夕木春央さんの『方舟』、みなさん読みました?
最高に面白いのでぜひ読んでください。
それで、その『方舟』を読みながら、
私はめっちゃ怖かったのです。
死が周りに蔓延して、自分にもそれが迫り来ていて、
怖くて、怖すぎて、「なんや私めっちゃ死ぬの怖いやん」と思った。
(記事とは関係ないけど、私はあの密室感がめっっっちゃ怖かったです。一人でトイレ行けんくなるわ。)
私の「死にたい」は、所詮「死」を自分から遠いものとして、フィクションかなにかだと思っているからこその、簡単な「死にたい」なのだろうなと。
『方舟』ももちろんフィクションなのだが、
「死」そのものよりも、「死の恐怖」を感じることが怖かった。
実際の「死」を身近に体験した経験があったとしても、
「死が近づいてくる恐怖」を感じることって、あまりないのではないだろうか。
今まさに死に向かっていっている人が、その恐怖をありありと語ることはあまり多くはない気がする。
彼らは、必死で耐えて、必死でその恐怖と戦っているのだろうと思う。
一方で、今まさに死と隣り合わせになっている人が書いている文章には、その恐怖がありありと見てとれる。
実際にその恐怖の詳細は分からなくても、「怖い」ということが十二分に伝わってくる。
そして、それはフィクションという物語を通してであっても、なお怖い。
「死」そのものよりも、「死の恐怖」に直面するのが怖い。
その恐怖を越えられないから、私は死ねない。
そのくせ簡単に死にたくなる私が、情けなくて仕方ない。
そして、そんな情けなさを感じたとき、ドストエフスキーの『罪と罰』に出てくるあるお話を思い出す。
これは、主人公のラスコーリニコフが何かで読んだことがある話として、作品の中に登場する文章である。
以下、少し長いですが引用するので、ぜひ読んでみてほしい。
ある死刑囚が、死の一時間まえに、どこか高い絶壁の上で、しかも二本の足をおくのがやっとのようなせまい場所で、生きなければならないとしたらどうだろう、と語ったか考えたかしたという話だ、――まわりは深淵、大洋、永遠の闇、永遠の孤独、そして永遠の嵐、――そしてその猫の額ほどの土地に立ったまま、生涯を送る、いや千年も万年も、永遠に立ちつづけていなければならないとしたら、――それでもいま死ぬよりは、そうして生きているほうがましだ!生きていられさえすれば、生きたい、生きていたい!どんな生き方でもいい、――生きてさえいられたら!……なんという真実だろう!これこそ、たしかに真実の叫びだ!
みなさんの頭にも、真っ暗な崖の上、猫の額ほどの足場に立つ自分の姿が浮かんだだろうか。
まさか、と思ってしまう。
まさかこんなひどい状況でも、生きたいなんて、
そんなふうに思うだろうかと。
助けが来ないかと、数日は待ってみたとしても、
いつか孤独や恐怖に耐えきれず、崖から飛び降りてしまうのではないかと。
しかし、ここでドストエフスキーが信頼できるのは、
彼自身、死の間際に立たされた経験があるということだ。
彼は、死刑宣告を受け、刑場に立たされ、
今まさに銃殺されようとしたそのときに特赦により刑を免れた。
おそらく、上記の『罪と罰』の一節も、その経験に基づくものだろうと思う。
今まさに殺されようとしているそのとき、
彼は、死から免れることができるなら、たとえどんなひどい状況に置かれたとしても、それでも生きたいと思っていたのだろう。
なんて、第三者は簡単に言ってしまえるが、
彼の心情は想像を絶するものであっただろうし、
手を伸ばせば触れる距離まで死が迫り来た経験をしなければ、
感じられない「生」の絶対性があったのだろう。
先の『罪と罰』からの引用は、生きることへの賛美ではない。
こんな状況に追い込まれてもなお生きたいと思ってしまう、
人間の生への執着を嘆いているように見える。
こんなにつらい苦しい思いをするのなら、
死んだ方がましだと思えるような状況でも、
人間はなおも生きることを望んでしまう。
簡単に死ぬことは選べない。
つらくても、苦しくても、生きるしかない。
きっとまた私は、精神的に弱ってくると、
簡単に「死にたい」と思い始めて、
でもやっぱり「死ぬのは怖い」と生きることを選ぶのだろうと思う。
きっとそんな人間すぎる矛盾だらけの私は、
今ここでもし銃を突き付けられたりなんかしたら、
「どんなひどい生き方でも、生きてさえいられたら」と必死に願うのだろうと思う。
矛盾しているように見えて、
「死にたい」と「生きたい」はそんなに正反対のものでもないような気がする。
そうは言いつつも、死を選んでしまう方もいる。そちらについては、↓この記事で少し触れます。
