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体験的「日本人の洋楽離れ」 1990年代に起こったこと

昨日は、「1980年代らしい楽曲」選びをしていて、楽しかった。


80年代はいい曲が多かったなあ、楽しかったなあ、と思う。

でも、90年代になると、ガラリと変わる。


80年代、90年代という人為的な10年区切りの分類に、歴史的必然性はまったくないにもかかわらず、80年代と90年代の交替に関しては、この10年区切りがぴたりと当てはまる。

世界的には、冷戦時代と、ポスト冷戦時代の分岐点だった。

そして日本では、昭和の終わりと平成の始まり、さらにバブルの終わりにも重なりました。


90年代になって、世の中は激変しました。

私のいた業界に関して言えば、新聞も本もCDも売れなくなった。

その現象の中の一つに「日本人の洋楽離れ」があります。


実際、私も、90年代に入ると、洋楽をあまり聞かなくなります。

90年代には、私は30代になっていた。もう大人だから、ロックなんか聴いてる暇はない、そんな若さもない、ということだろうと、そん時は思っていました。

でも、それは、世の中の「洋楽離れ」と私の個人史が、たまたま重なったというだけでした。


この洋楽離れは、のちに「J化」と呼ばれることになります。


洋楽はあまり聴かなくなったにしろ、クラシックは好きだったので、90年代に入っても、私は毎日のように新宿のタワーレコードに通っていました。

そこで、10年以上にわたり、洋楽コーナーが縮小しつづけ、かつての「邦楽」であるJ-POPやアイドルのコーナーが拡大しつづける、不可逆的変化を目撃しました。

物理的面積では、90年代の初めには「洋楽」のコーナーが「邦楽」より明らかに広かった。

それが、2000年を超える頃になると、完全に逆転します。


この「洋楽離れ」については、すでにいろいろ解説や分析がなされています。

たとえば、私は昨日、たまたま以下のYouTube動画を見ました。


1989年に起きた日本音楽の全て、こんな時代2度と来ない。(音楽語りカセットくん 2026/7/8)


この動画では、1989年、昭和から平成への代替わりとともに、日本の音楽界に以下のようなことが起こった、と解説しています。


・美空ひばりの遺作「川の流れのように」と、昭和歌謡の終わり
・中森明菜の活動休止、そして12年続いた「ザ・ベストテン」の最終回
・「イカ天」が巻き起こしたバンドブームと、たま「さよなら人類」の衝撃
・「Diamonds」「世界でいちばん熱い夏」で年間1位・2位を独占したプリンセス プリンセス
・吉川晃司と布袋寅泰が組んだCOMPLEXと、デビュー1ヶ月での武道館
・DREAMS COME TRUE、X、LUNA SEA、のちの時代を作る才能たちのデビュー
・フリッパーズ・ギターと小室哲哉、渋谷系とJ-POPへ向かう源流
・笑わないアイドルWinkと、「淋しい熱帯魚」のレコード大賞
・ラジオ局J-WAVEから生まれた「J-POP」という言葉の誕生秘話
・CDレンタル店6213店、ドラマ・CMで売る新しいヒットの作られ方

(YouTube概要欄より)


私は、美空ひばりの「川の流れのように」で「昭和の終わり」を演出したのは秋元康であり、例によって国民は秋元に騙されてると思いますが、それはまた別に取り上げたい。

それ以外については、大きな流れの転換点となった事象を取り上げていると思います。

GoogleのAIに聞いても、「日本人の洋楽離れ」の主な要因として、


・J-POPやK-POPの品質向上

・英米文化への憧れの低下

・音楽の好みの多様化 


ーーを挙げています。上の動画は、主に「J-POPの品質向上」の部分を解説していると言えるでしょう。

とくに小室哲哉が打ち込みで「踊れるビート」を日本のポップに導入したのは大きかった。これは、広く認められていることではないでしょうか。


別の角度からの「洋楽離れ」の解釈としては、批評家の佐々木敦さんのものがあります。

彼は、noteで、以下のように書いています。


では、なぜ「洋楽離れ」は起きたのか? 身も蓋もなく述べてしまえば、洋楽は、ただ単に聴かれなくなったのである。むしろ歌詞の意味もよくわからないのに洋楽ファンがそれなりに存在していた昔の方が、ある意味でおかしかったのだ。日本の音楽受容は、やっと身の丈に合った状態になったとも言える。

(佐々木敦「『洋楽離れ』から遠く離れて」2025/3/31)



以下、私の「体験的」な解釈ですが。


私が、「90年代」、つまり洋楽の新しい時代をはっきり意識した楽曲があります。

この曲です↓


M.C. Hammer - U Can't Touch This(1990)


当時、とんねるずの石橋さんが、このダンスをテレビで必死に真似てたのを覚えています。

それはまさに新しい洋楽の時代を告げていました。

この曲は、1991年のグラミー賞で、ラップ楽曲として初めて「年間最優秀レコード賞」にノミネートされました。

ヒップホップ、ラップの流行は、1970年代から始まっていましたが、まさにこの1990年の時点で、トレンドの前面に出てきたんですね。


ヒップホップやラップの流行が、日本人の洋楽離れと関係があることは、なんとなくみんなわかっていると思います。

ただ、その深層をあらわにするのは、なかなか難しい。


まあ、ぶっちゃけ言っちゃえば、これまでの「洋楽好き」の深層にあった「白人崇拝」が、この時点で壊れちゃった、というか。

あるいは、これまで「白人」の音楽と思って聴いていた音楽の本質が、「黒人」のものだとわかった衝撃、というか。

だからそれは、「白人崇拝」「欧米崇拝」の終わりとも言えるけど、それだけにはとどまらないと思うんですね。


そもそもロックは、白人が黒人音楽を真似たポップだったのですが、それはなんとなく誤魔化されていました。

そして、黒人のポップは、そっちのほうが本物の「ロック」なのに、R&Bとか別カテゴリーにされて「差別」されてたわけですね。


こういうことは、別に新しい知見ではなく、60年代から言われていたと思います。

黒人のブルースが、欧米のポピュラー音楽の基本だ、と。

でも、そのさい彼らは、黒人音楽の本質を、「ブルーノート」、つまり音律に求めていました。


しかし、60年代から80年代にかけて、その黒人音楽を掘っていけばいくほど、欧米の黒人を突き抜けて、アフリカの黒人音楽に行き着くわけですね。

そこで見つけた黒人音楽の本質は、音律ではなくリズム、「ノート」ではなく「ビート」でした。

これは、ポピュラー音楽と同時に、アメリカのいわゆるミニマル音楽の発展の中でも発見されたことでした。

ジョン・アダムズも、ミニマルの本質は「反復」ではなく「ビートの持続」だと言ってたと思います。


90年代からの音楽は、ひとことで言えば「ビート」が支配しています。

小室哲哉が見抜いたのもその点です。90年代に入り、それを電子的に作り出すことが一般化しました。

現代人を惹きつけるポップ音楽の本質は「ビート」である。それがひとたびあらわになれば、メロディや歌詞などに現れる「白人性」は必要ないんですね。

そして、同時に、「黒人性」も、極論すればいかなる民族性も必要ないんです。


「洋楽離れ」とか、「ガラパゴス化」とか言いますが、実際には「ビート」の支配の全般化だと私は見ています。

だから、今のポップ楽曲は、どの国のどの人種の音楽であろうと、ビートによって結びつき、DJの操作によってつなげられ、踊れる音楽になるはずなんですね。


そういう形で、「ガラパゴス化」とは逆の、ビートのグローバル化が進んだ、と。

だからこそ、ビートを共有していれば、わざわざ別の国の音楽を輸入してくる必要もなくなったのでした。



ちょっと話が抽象的になりすぎたので、このへんでやめますが。


90年代に入り、J-POPが魅力的になったのは事実です。

私も、90年代にはジッタリン・ジンのファンクラブに入ったり、2000年代にはPerfumeのファンクラブに入ったりしました。

80年代以前の「邦楽」に対しては、考えられなかったことでした。

ただ、歳が歳だけに、ライブで若い人と同じように楽しむことができず、脱落しましたが。


最後にーー。

MCハマーの「ユー・キャント・タッチ・ジス」を、90年代の始まりを象徴する曲としてあげましたが、私の中で「80年代の終わり」を象徴する曲もあるんです。

この曲です↓


R.E.M. - Shiny Happy People (Official Music Video)(1991)


この曲、昨日の「80年代らしい楽曲」リストに是非入れたかったんだけど、発表年が1991年なので、断念したんですけどね。

でも、今振り返っても、80年代の楽しさと虚しさみたいなのを象徴している曲だと感じます。

あるいは、60年代から続いた白人ポップの終わりの象徴というか。


80年代というのは、「ライブエイド」みたいなのが流行った時期でもあり、白人ポップが世界を救う、みたいな誇大妄想も育てた時期でした。

この曲も、1989年の天安門事件へのプロテストソングだと言われていました。

シャイニー・ハッピー・ピープル=輝くように楽しそうな人々、というのは、中国のプロパガンダで描かれる「嘘の幸福」を皮肉っている、と。


でも、そういう意図はない、ということが、REMによっても、共演したB-52sのケイト・ピアソンによっても、何度も確認されています。

じゃあ、この曲はなんなんだ?

なんの批評性も、ひねりもない、ただの「楽しいだけの曲」なのか、と。


真実は、まあ、そういうことなんですね。

この曲はヒットしたんですが、REMも、そういう中身のない曲を書いたことを恥じたのか、2度とコンサートで演奏することはないようです。

この曲が80年代の終わりを象徴している、というのは、そういう意味です。



<参考>



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