エッセイ『パルプ・フィクション』 後編:連載小説とは何か
⭐︎前回までのあらすじ
とある人物から掌編小説執筆の依頼を受けた韓子は練習のためにショートショートを何作も執筆してはボツにするという無駄な行為を数日間繰り返し、依頼がキャンセルになったことにもめげずにキーボードを叩き続けて遂に納得のいく作品を書き上げた。しかし突如現れた悪の秘密結社による罠にかかった韓子は自らが書き上げた作品の中に閉じ込められてしまい、ウサギのコスプレをした下半身丸出しのおっさんと共に剣と魔法の異世界を旅することになってしまう。出会って数秒の相手へ伝説の剣を振り上げて斬りかかって来るハーレム志望の卑怯な勇者や初心者相手に躊躇わずファイガ級の呪文を打ち込んでくるテンプレ黒髪眼鏡巨乳魔術師などをスティーブンセガールばりのマーシャルアーツでなぎ倒していくおっさんと韓子であったが、伝説の白ブリーフを手に入れるために潜入した男薔薇公国の宝物庫にて、実は自分たち二人が兄弟であったこと、そして掌編小説を書き、作品に閉じ込められ、ブリーフを手に入れるまでの一連の流れが全て邪神を崇拝する悪の秘密結社「GOLDEN BALLS」による陰謀だったことが判明する。果たして韓子とおっさんは本当に自分たちが兄弟であることを受け入れることができるのか。そして大いなるクトゥルフは途中から乱入してきたスティーブンセガールに素手で秒殺されてしまうのか。それぞれの思惑が入り乱れ火花を散らす中、舞台は最終局面に突入するッッ!!!
→→→あらすじ終わり→→→
セガールを見たクトゥルフが恐怖心から発狂するのを目撃した私は逃げるようにして現実世界へ戻り、居間にいた悪の組織のボスを撲殺して机の引き出しの中へ雑に遺棄し、元の日常へ復帰した。そしてこれまでに書いた掌編小説5作についてのまとめ的なエッセイを執筆する準備に取り掛かった。そこまでの詳しい経緯を知りたい方は下の記事をチェックしてもらいたい。既に読んだ方や興味のない方はスルーしてもらってかまわない。ちなみに前回のあらすじについては忘れてしまったほうが身のためだ。さもなくば人生の大事な場面でウサギのコスプレをしたジャンクロードヴァンダムのイメージが頭の中に浮かんできて離れなくなる呪いに苦しめられることになるだろう。
なぜまとめ的なエッセイを書こうと思い立ったかといえば、振り返りをすることでそれまでに手に入れた思考方法や技法を脳に定着させ、自分自身の血肉へと昇華させたかったからだ。読書の場合とまったく一緒である。名文家であり人並外れた読書家であった竹西寛子は、『時のかたみ』というエッセイの中でこんなことを言っている。
「本というものはただ最後まで読んだだけでは意味がない。振り返り、考えをまとめ、批評文を書く、その後でようやく私は1冊の本を読み終えたと感じるのである。」
大いに納得できる言葉だが、全ての読書においてこれを実行することは不可能だ。いや、竹西さんはマジでやってたかもな…。まあ、私のような純度100%のパンピーには到底無理だと思ってもらえればそれで結構である。本当に無理、時間が足りない。しかしできることなら毎回感想文を書きたいと思ってはいる。そうすればせっかく本を読んだのに特定の場所だけしか内容を思い出せないなんて悲しい事態が発生する確率を下げることができるのだから。
今回ばかりは記憶をとどめておきたい、全てを脳に染み込ませたい、というそれまでに書いた掌編小説に対する強い思いが、上述したように都度批評を書くという行為ができなかったずぼらな私にエッセイ執筆を決意させた。あの新しい試みによって獲得した技術の価値はそれほどに高かったのだ。これを忘れてしまっては二度と小説が書けなくなるんじゃないかと思えるほどだった。このエッセイを書き上げる、絶対に。もし書ききれなければ、金輪際執筆活動を行わない、私はそう覚悟を決めた。そして空調の効いた涼しい部屋の中で頭を冷やしながら、冷静な心持ちで読み直しと思考の整理を進めていった。
そして、風邪を引いた。
いやほんとバカな話なんだけど、暑いからパンツ一丁になってエアコンの真下にいた。ふえー風きもちいーとか言ってる間に寝落ちした。起きたら喉が痛くて、鼻が出て、あれよあれよという間に熱も38度まで上がった。覚悟決める前に体調管理しっかりしろよって話だよな、マジで。
あとは、もう消しちゃったというか下書きに戻して非公開にした連絡記事を見てくれた人が知っている通り寝転んでひたすら頭文字Dを見て過ごした。うぉー拓海のブラインドアタック頭おかしすぎだろ、そりゃ伊藤計劃も『虐殺器官』にハチロク登場させるわ、とか、EK9かっけーなーやっぱ俺シビック好きだわEG6もよかったけどねインテグラ出番少なすぎじゃねホンダもっと出せよクソッタレ俺はホンダが一番好きなんだようおおおおおおおGT-R!GT-R!!俺は死ぬまでGT-Rだあああ何がホンダだよやっぱニッサンだろいやすいませんでしたやっぱりホンダですS2000様様ですぅううう、とか騒いでいて嫁に怒られたのも既に皆さん周知の通りだ。その間はぶっちゃけエッセイのことなんかすっかり忘れてたんだけど、会社に復帰した途端急に思い出してああそうだ俺は覚悟決めたんだったやっぱり執筆続けたいしなー仕事してるだけじゃ頭おかしくなっちまうわうんさっさと家帰ったら書き始めなくちゃなとかぼんやり考えながら仕事を終えて家に帰り、どっかの誰かが書いた「金玉のスイッチ」に関する記事を見返して色々妄想に耽っている間に寝落ちしてしまいソファで目覚めてからうわーやっちまった俺はなんてバカなんだ今日は帰ったら絶対書くからな死んでも書くこれを破ったら俺は物書きとして失格だーなんて自分に言い聞かせてその日の仕事に励んだ。そして終業、帰宅の準備、職場離脱、電車に乗り込み、目を閉じて神経を集中、そのまま1時間経過…。辿り着いたのが、こちらだ。





うん、渋谷でハンターハンターのイベントに参加してました。
いや、これは本当に弁解させてほしい。仕方なかったんだ。だって俺の推し全員のパネルが渋谷の街に展示されているんだもの。オロソ兄弟なんか師団長のレオルやヂートゥを差し置いての登場だぜ?そんなん行かないわけにもいかんだろ?しかも俺の大好きなレイザーとゲンスルーもしっかり展示されてるんだぜ?行くに決まってる。推し活してる人ならわかるはずだ。行かないとか、そういう選択肢はないのだ。体調が悪い?コロナでも行くわ。小説?んなもん後回しだろ!!というわけで謝るつもりは一切ない。こうやってちゃんとエッセイは投稿したんだから許せ。許して。許してくださいふざけたこと言ってごめんなさいごめんなさいごめんなさい...。
ああえっと、なんの話してたんだっけ?ああそうだ、エッセイを書こうと思ってた話だ。さすがに脱線しすぎたな。
閑話休題
話は少し遡るが、職場復帰した日の夜、私はサバチー氏のとある記事を読んでいた。それがこちらだ。
2ヶ月前の記事なのだが、私はあの日に至るまで何度も読み返していた。辛いことがある度に、病み上がりで頭がうまく働かなくなる度に、私は元気を取り戻したり読解力を取り戻したりする目的でニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべながら金玉のスイッチについてのこのアホな記事を読んだ。そして読み返す度に、いつかこの記事ネタにして小説かきてえなぁと思った。けれど、このユーモラスな話をどう小説に生かしてよいのかまったくわからなかった。
Xでサバチー氏に使用許可を得たのはいいものの何のプランも持っていなかった私は執筆を先送りにし続けた。たまに頭の中を過ることがあっても無視した。暇で暇で仕方ない時に思い出してしまい真剣に向き合おうとしたこともあったが、何ひとつ思い浮かばず断念した。だからあの日も、読み返してからいつものように忘れてしまうものなのだと思っていた。
しかし、予想は裏切られた。どういうわけか、読み終わった瞬間にイメージが浮かんできたのだ。
男が二人、それもとびっきり仲の良い二人の男がこたつに足を突っ込んでこの記事を読んでいる、そんな映像が頭の中で像を結ぶ。映し出されたイメージを即座にメモへと書きとめてから、私は二人の素性についての考察を始める。こんなくだらない話で盛り上がる二人はきっと若いに違いない。高校生にしようか?いや、もう少し年齢を高く設定した方が色々と動かしやすい。大学生の二人組でいこう。おじさんになっても仲の良い二人組というのも悪くないが、それだと状況が特殊になり、読み手が限定されてしまう。下地はなるべく自然にすべきだ。その方が読者も感情移入しやすい。さて、仲の良い二人と設定したからにはもう少し深掘りしないといけない。二人の男がただ部屋の中で馬鹿話をしているだけじゃまったく話が展開しないのだから。ギャグ系ならそれで良いのかもしれないが、生憎私の笑いのセンスは下の下の下、二人に素敵なトラッシュトークの応酬をさせるには圧倒的に技量不足。そうなるとこの場面は真面目な二人の間に突然訪れた束の間のくつろぎ時間にする方が無難だ。ふむ、これでギャグセンスを披露する必要はなくなったが、今度はこのシーンがのっかるべき屋台骨を考え出す必要性が出てきた。こたつの章はあくまで一場面であるとしてしまったのだから当然だ。既に仮定しておいた真面目であるという二人の性格はそのまま採用するとして、次は二人が何に対して「真面目か」を明確にしないといけない。大学生だから勉強か?恋か?運動か?音楽か?文学か?考えに考え抜いた末、文学に真面目な青年二人でいくことにした。恋や運動は論外だった。そんな陽キャ側に属している奴らが男二人で「金玉のスイッチ」なんて記事を見ているわけがないから。音楽は少し考えた後でボツにした。やはり陽キャ要素を含むバンドマンがそこまで童貞丸出しなムーブをかますとは思えなかったからだ。しかし音楽を作品に活かしていくのは悪くないと思ったので、積極的に取り入れていくことにした。そうして残ったのが勉強と文学だったが、大学に入って真面目に勉強してる二人と金玉スイッチの親和性が低すぎることに気づき、普段真面目でいながらネタ探しとしておふざけをすることもありうる文学者志望の学生という設定を採用することに決めた。文句がある方はあの世にいる太宰治や坂口安吾に言ってほしい。賞金欲しさに芥川賞を狙ったり、ヒロポンをキメて文章を書くような小説家が歴史上に存在するのが悪いのだ。無頼派の存在が日本の歴史から抹消されない限り、私は真面目な小説家の大半が本をたくさん読むクズであるというイメージを持ち続けるだろう。
こうして小説家を目指す青年二人がとある休日にサバチー氏の記事を読むという設定が完成し、んじゃまぁとりあえず書いてみるかということで、予め決めた設定に沿ってキーボードをカタカタとタイピングし始めた。ちなみにこの時点ではそれまでのショートショートの考え方が頭の片隅に残っていたので、裏設定をにおわせつつもコタツの中だけで完結する短いストーリーを構想していた。深く設定を掘り下げたのも、短い文章に多くの意味を含ませるためだった。それにこの短編を仕上げたら次にエッセイを書くつもりでいたので、あまり長い小説を書いてしまうと時間がなくなってしまうから気をつけなければならないと自らに言い聞かせてもいたのだ。なのに書き上がった小説は、明らかに話の前後にそれぞれ多くの章を必要とするものとなってしまった。だからもう一度書き直した。やはり中途半端な仕上がりになった。設定が甘すぎたからこうなったのか?と考えた私は一旦ファイルを閉じ、メモ帳に再度設定を書きとめて全体像を構想し直すことにした。そのメモについては、下の画像を参照してほしい。

なーにがきっちりした構想だよ。おもいっきりふざけてんじゃねえか。
前編のエッセイを読んでくれた方々のうち特に素晴らしい読み手である数人がコメントで私のことを作品に対する姿勢が素晴らしいと絶賛してくれたが、蓋を開ければこんなものだ。構想の際のメモ書きは本当に遊びまくってる。好き放題やってる。まあ作品にする前段階にすぎないので大目に見てほしい。それにしてもひでぇなこりゃ、ハジケリストっておま、ボーボボ持ち込んでんじゃねえよ。ちなみにあまりにもひどいと思われる箇所は黒線を引いて旧大日本帝国軍よろしく伏字にした。気になる方には申し訳ないが、ネタとかじゃなく本当に不快な気持ちになると思うので公開するつもりはない。
実を言うと、これだけふざけたメモになったのにも理由がある。最初に設定した通りに登場人物の性格も生活スタイルも真面目一辺倒にしてしまうと金玉スイッチイベントが発生しない上に面白みが無さすぎて作者も読者も楽しめずに物語が終わってしまうことに気づき、大きな変化をつけて物語をダイナミックに動かせるよう登場人物のうちの片方を破天荒な人物に設定して構想を練り直すことにしたからだ。そうして出てきたのが「ハジケリスト」や「居候」や「私小説の完成系」などの単語だった。このうち「ハジケリスト」はふざけすぎだからという理由で、「私小説の完成系」は岩野泡鳴がそんなに好きじゃないという理由で除外した。岩野泡鳴好きの人がいたら申し訳ない。しかしやはり私には『耽溺』がどうしても認められないのだ…。
何はともあれ構成を練り直したので再度パソコンに向かって書き直し始めたのだが、どうあがいても短い文章にまとめ上げることができなかった。無理やり3000字くらいに落とし込めば、絶望的に説明が足りないせいでよくわからない文章になってしまう。それを補うために場面を追加していけば、あれよあれよという間に文字数が増えていってしまう。もう完全にお手上げ状態だった。
今になって思う。あれは2週間にわたって掌編小説を書いていた反動だったのだろう。頭が、体が、五本の指の先端が、長く緩やかな文章を書くことを求めていたに違いない。しかし深夜帯に襲いかかってくる凄まじい眠気と戦いながら執筆していた私の脳にはそこまで考えるだけのメモリ容量が残されていなかった。案の定オーバーヒートして寝落ちしてしまい、起床、後悔、新たな決意、休憩時間にネットで渋谷ハンタージャックを知り、定時退社、楽しみまくって帰宅、優先順位的にエッセイを書こうと思いキーボードとにらめっこする、がしかし頭の中はどういうわけか前日考えていた小説のことでいっぱいになってしまっている、そしてもう一度短編にできないかトライしてみる、挫折、だから長編小説として捉えて序文を書き出す、スラスラと手が動き始める、というわけで私はnoteにてエッセイの延期と連載小説の告知を出し、改めて『小説を書いてる友達』という作品と向き合ったのであった。
連載小説という形態を取ったのには二つ理由がある。1つは1日に書ける文量に限りがあったからで、もう1つが長編として書き出したのに構想が固まっていなかったからだ。私の場合1日に執筆できる文字数の限界は5000字程度に過ぎない。構想を固める、執筆する、見直して修正する、この一連の流れを仕事終わりにきっちりこなすとなると1万字以上の作品を夕方からの数時間で仕上げるのは困難だった。そして自分で決めた火曜日の定期投稿という制約と創作大賞のこともあり見切り発車的に書き始めてしまったので執筆しながら適宜流れを調整していく必要に駆られた。そうして苦肉の策として思いついたのが連載という形態だったのだが、結果的にこれがいい方向に進み、今後に繋がる最高の執筆体験となった。
連載小説の利点は、その先々の不透明さにある。これを聞くと多くの人が「なぜ?」と思い首をかしげるであろう。展開を固めずに書き進めていってしまうと後々整合性が取れなくなり、全体的な書き直しを余儀なくされる可能性が出てくるからだ。しかし前の週までみずから実施していたきっちりと展開を考えて執筆する方法に飽き飽きしていた私の目には、連載小説の持つ不完全さが至極魅力的な要素として映った。既に前編で述べたように、そもそも私は大枠を決めて自由に書くことを得意としていたのだから、この成り行きは当然と言えるかもしれない。多くの心理描写を必要とする長編小説は、登場人物への感情移入の方向によってあらゆる方向へと転がり展開し得る。そのランダム性がこの時は欲しくてたまらなかった。思った通り、佐々木と木下の心理や行動パターンを描写しているうちに物語は最初に書きとめたメモとは違う方向へ向かい始めた。やはり創作というものはこうでなければいけない。緊張感なくして執筆という行為は存続し得ないのだ。
ちなみに、本作において佐々木が行った奇行のほとんどが自分や友人たちの実体験を元にしている。どれが作り話で、どれが実体験なのかはあえて言わないでおこう。その方が再度読む時に楽しめると思う。一つだけネタばらしをすると、いかがわしい店のティッシュの配布は私の実体験によるものだ。女の子にかけた言葉もそのまま忠実に再現している。成績が良過ぎて給料を上げられシフトを増やされてめんどくさくなってバックレたのも真実だ。もう一人同じような境遇に陥って辞めた奴がいたが、そいつはご丁寧に面接の際自宅の住所を書いてしまっていたせいで店員に自宅へ凸されて連れ戻されてた。私はといえば、存在しない架空の住所を書いていたので事なきを得た。下法には下法、当然のことだ。
このティッシュ配りに関しては同僚たちが皆恐ろしく優秀だったのをよく覚えている。全員信じられないくらいトークがうまかったし、モジモジくんのコスプレをしてウケをとるなんて離れ業をやってのけるやつすらいた。機会があれば『極彩色の衝動』というエッセイでいつか取り上げたいと思う。
今日はどういうわけかすぐに話が逸れてしまうな。本題に戻らねば。
連載小説を開始して4日が経過し、いよいよ物語を大きく動かさなければならなくなったことに気づいた私は、学生時代の友人たちが繰り広げた面白エピソードを好き勝手書くのもここで終わりにして文学を中心とした話へシフトしていこうと決め、心を入れ替えて第5話へ臨むことにした。しかしここからが難しかった。当初予定していた8話のうちの半分をやりたい放題遊び過ぎてしまったせいで、方向修正をするのが著しく困難になるほど佐々木と木下が羽目を外してしまっていたのだ。仕方なくそのまま二人が馬鹿やったまま卒業する展開へ持っていこうとも考えたが、あまりに捻りがなさすぎると思ったのでボツにし、嫌々ながらも構想を練り直すことにした。
この時、4話を投稿したのが金曜日の夕方で本当によかったと思った。おかげでアフターファイブから翌日の朝にかけてゆっくりと時間を使って展開を考え、仮眠の後に余裕を持って執筆することができた。次の日が仕事だったらその後の物語はつまらない展開の連続で終わってしまっていたに違いない。ほんと、時の運に恵まれていたと思う。
というわけであーだこーだと一晩中悩み続けて最終的に出した結論は、今までのお笑い要素を序盤に盛り込みながら徐々に暗い方向へ向かわせていき、終盤で一気に地獄の底へ叩き落とすというものだった。だからギャグ漫画よろしく冒頭で木下に「うるさぁぁぁぁぁい」と叫ばせた。それから前述した音楽の要素を取り入れてタイトルや後の暗い展開への伏線を張り、1話や2話で2人が見せた文学へのストイックさを引用しながら少しずつシリアスな展開へと導いていき、最後の最後で真面目な二人の性格と文学賞というギミックを利用して佐々木の心を折った。こうしてそれまで喜劇でしかなかった物語は一転して暗い方向へ向かうこととなった。大まかな方向性が決まったことで1話のように自由になった私は、構成を考えることなくそのまま筆の赴くままに6話の執筆を開始した。
→→→またまた脱線→→→
数年前のことだが、『ゴールデンカムイ』という漫画を読んだ友人が私にこんなことを聞いてきた。
「野田サトル先生ってさ、どこかでギャグを入れないと死んでしまう病気にでもかかってるのかな?」
『ゴールデンカムイ』を読んだことのある人であればこの言葉の意図する所がよくわかるであろう。あの漫画はどれだけシリアスで残酷な展開に陥ろうとも必ずギャグを盛り込んでくる。その影響を受けていた私は、シリアス路線が確定した6話にあえてサバチー氏の『30代男性が毎回トイレでやっていること、女性はたぶん知らない』を引用した。この物語の発端となった金玉こたつシーンがとうとう物語に登場したのだ。このエッセイは本当に最高の働きをしてくれた。それまでの暗い展開をほどよく緩めてくれたし、文学賞に苦しめられる佐々木を救いたいと思う木下が小説公開用プラットフォームを紹介するという展開の引き金にもなった。それだけは飽き足らず、このサバチー氏のエッセイを使った場面はこの物語において一二を争うレベルで重要なシーンとなってくれた。というのもここでの二人の爆笑から始まる希望に満ちた進行がなければ、後の佐々木失踪から始まる強烈な鬱展開が引き立たなかったからだ。この場を借りて改めて感謝申し上げたい。ありがとう、変態王サバチー。
→→→もう脱線するなって?文句は『白鯨』なんてものを書いたメルヴィルに言ってくれ→→→
6話で家から消えて7話の最後で完全な失踪が決定した佐々木であったが、コメント欄で何人かの読者へ示唆させてもらった通り生還ルートもあった。毎回申し訳程度に「BL」なんてタグをつけていたことからもわかるように、再会からの恋人ルートなんてのも実は考えていた。(すぐボツにしたが…。)書き続けているうちに佐々木と木下に同情してしまっていた私自身、なんとかハッピーエンドを迎えさせてあげたいと思っていた。可能な限り、2人が幸せになれるよう取り計らいたかった。
もし私がマークトウェインだったなら、『ハックルベリー・フィンの冒険』のラストでトム・ソーヤーを登場させてしまうような最高にハッピーでぶっ飛んだ大円団へ二人を向かわせてあげることができただろう。しかし、私にはできなかった。佐々木のストイックな性格を考えれば、そんなことは絶対に起こり得ないことがわかってしまっていたからだ。どうあっても妥協できない、やり続けて折れたのであればただ朽ちていくのみ、燻り続けるなら、燃え尽きてしまったほうがいい、そんな性格の男がのこのこ戻ってきて平穏な生活を続けることができるだろうか。否、不可能だ。結局私には、そんな佐々木の意志に従って8話を書く道しか残されていなかった。
こうして佐々木の過去を巡る木下の旅が8話から始まるのだが、実は大幅にカットした章が存在する。それは「佐々木が大学で唯一気に入り、毎回講義に足を運んでいた古代文学史を担当する教授のところへ木下が行く」という話だった。佐々木が借りていた倉庫の中にあった書籍の群れの中でやけに新しい本を見つけた木下が本棚から引っ張り出して奥付を読み、その著者が自身の大学で教鞭を振るっていることを知り、もしやと思い教授の元へ事情聴取へ行く、というプロットで、佐々木がこの大学を選んだ理由と、執筆に集中するようになって金稼ぎをほとんどやめた佐々木が午前中にどこかへ出掛けていた理由を説明する目的で書き始めたものだった。しかし、本作第2話での木下の「村田沙耶香が芥川賞を取った」という発言を考慮にいれて年代を逆算していくと、4年生になった木下はコロナ真っ只中にいるであろうということに気づいてしまった私は、それであればリモート講義が主になっているはずで教授に会いにいけるわけがないことに思い当たり、泣く泣く章を全削除してからコロナに対応した展開へ向かうよう書き進めていった。この章に関してはかなり気合いを入れて書いていたし、この教授の力添えで佐々木の実家が判明する展開を考えていたので、まさに断腸の思いでこの章を削除した。見切り発車で始めたことがこんなところで響いてくるとは正直思ってもみなかった。こうして佐々木が木下と同じ大学へ入学する理由の説明は彼の母親に委ねられることとなった。
佐々木の両親については、当初父親は厳格だが母親は彼に甘いという設定を考えていた。母親に対してだけは本音を話す子供であったと彼女の口から語らせるつもりでいた。しかしそうなると佐々木は母親の気持ちを大切にするはずで、せっかく借りてくれた家を放棄したあげく大学にもほとんど通わなかった彼の実際の行動と矛盾してしまう。なので私は佐々木の母親を、あくまでも父親の添え物であり、自分の主人である父親に従っている時の我が子しか愛せないという、まさに人形のような女に仕立て上げた。こうすることで明らかに愛情不足で誰に対しても反抗心むき出しである佐々木の性格との整合性を取った。しかし誤算というか、まあ嬉しい誤算だったのだが、私は自分自身で作り上げたこの女に心底怒りを覚えたのだ。そしてまた、佐々木をさんざん虐げた父親にも殺意を抱いた。女は佐々木の過去を語り、自由になった彼を非難する。そして父親に従わなくなった自分の息子へ絶望する。黙って話を聞き続ける木下、我慢し続ける木下、怒りが臨界点へと達してしまった木下、この時著者の思考と木下の思いは完全に一致する。そして、気づけば私は以下のような言葉を画面に叩きつけていた。
「だまれよクソババア。くたばりやがれ!てめぇの大事な大事な、クソッタレのハゲ旦那と一緒にな!」
あとの展開に関しては特に語る必要もないだろう。この言葉を打ち込んだ時点で、この作品でやりたかったことはすべて出し尽くしたと私は考えた。あとはもう自然に任せるようにエピローグへ向かうだけだったのだ。「小説を書いてた友達」と「小説を書いてる」友達の違いとか拘ったことは他にもたくさんあるのだが、すべての熱を出し切るという点でいえば、この小説はここで最高の幕切れを迎えていた。
今回エッセイの題材とした『小説を書いてる友達』だが、ありがたいことに3人の素晴らしい読者の方から紹介の記事を書いてもらった。感謝の気持ちを込めて、以下にその記事を引用させて頂く。
どれも私にはもったいない程のお言葉で感想が綴られているので、皆様にも是非読んでもらいたい。
御三方には、心から御礼申し上げます。
と、いうわけで前編後編に分けて長々と続けてきたエッセイはここで終わりにします。読んでくれた方も、それぞれの小説にコメントをしてくれた優しい方々も、皆さん本当にありがとうございました!(土下寝)
もっと解説したいことがあったのだけれど、いかんせん文字数がね…。ここから先はちょっとした余談を載せるつもりなんですけど、もうお腹いっぱいですわって思った方は躊躇わず前の画面に戻ってくださいね。無理に読む必要はないですから。気になる人だけ、気になる人だけ…。
そうだ、先に連絡事項を言っておかないと。月曜日から火曜日にかけて出かけるため、火曜日の夜は昔書いた短編作品を手直しせずにそのまま載せようと思ってます。文章がおかしかったり、展開が無理やりなところもあったりするんですけど、まあご愛嬌と思って見てやってください…。それでは改めて、ありがとうございました!
⭐︎そしたら始めますよ余談のコーナー
『小説を書いてる友達』の感想まで書いてくれた、ましろ8さんという僕が短い文章を書くときに参考にしているとてもセンスの良いクリエイターさんがいるのだが、その方が毎回コメントをくれる度に「各章のタイトルが面白い」と言ってくれた。これ、マジで嬉しかった。というのもここに関しては遊び心を交えながらもかなり力を入れて取り組んでいたからだ。ということで戯れに、各章の題名を下にリストアップしようと思う。
1.絶望は如何にして幕を開けたか
2.奇妙な寄生虫は如何にして宿主に取り憑いたのか
3.夢追い虫は糞を孕むために何を血と肉へ変えたのか
4.現代の異能は何を剣として原野を切り拓いていったのか
5.肥溜めで目醒め糞を喰らい続けたその蝿は、歪な羽を広げて天下を狙う
6.消失
7.崩れゆく記憶
8.真実の扉が開かれ、全ては本質に帰結する
9.小説を書いてた友達
うーん、えっと、これって本当に青春小説なんですかね????
と、思われた方は多いと思う。ましろ8さんもそうだった。
タイトルについては僕の遊び心が大いに関係してはいるんだけども、実は最後の最後で明らかになる「この小説の作者が実は木下だった」ことの伏線としての意味合いを強く持たせていた。
本作ラストで木下は佐々木という男を永遠に皆の記憶に焼き付けるためにこの小説を執筆することを決意する。そしてあくまでも「自分の言葉で」佐々木について書くということも言っている。しかし、木下の中には佐々木の持っていた文学性をどこかに残しておきたいという思いもあった。だからこそ、佐々木だったらこんなタイトルをつけるだろうと想像して仰々しい題名をつけたのだ、という設定を最初の執筆前に考えた私は、5話あたりまで本作の佐々木がつけそうなおどろおどろしい題名をわざと採用した。回帰・ループについての構想が僕の中に最初からあったことは、掲載した構想メモからお分かり頂けると思う。そして佐々木風な文章がどこかからきたのかと思った人は、第5話の木下による発言を読み返してみると納得すると思う。下に引用しておきます。
「僕は何度か佐々木の書いた作品を読ませてもらったことがあるが、それらが優れた小説だと認めることはどうしてもできなかった。おどろおどろしい表現や厳つい文字の多様、くどすぎるほどの大袈裟な心理描写、複雑に入り乱れるプロット、残虐さの限りを尽くしたような凄惨な場面の連続、彼の全作品が持つこういった様々な要素は物語の中へ読者を引き込むことを著しく困難にしていたのだ。」
また6話からシンプルなタイトルに変わっていることに関しては、佐々木がこのあたりから消えてしまったことを考慮している。二人で書き上げた作品にしたかった木下の気持ちが、実はタイトルに現れていたのです。
この他にも所々伏線を含ませているので、この作品を気に入ってくれた方は是非もう一度読み返して見てください!そしてコメントで見つけたものを教えてください!それを見たらめっちゃ喜びます!土下座します!
というわけで、ほんとにほんとの最後の、ありがとうございました!
