前歯のないオジサンが、職場で「天才ハッカー」に見えた日
二つ目の職場に配属されたときのことだ。
オフィスのデスクはいわゆる「島型」に並んでいた。
私は係長と二人で組む仕事だったが、デスクの島自体は、単独で業務を行う他の職員たちと同じグループになっていた。
私の目の前に座ることになったのは、50代後半の男性職員。
着任早々、挨拶をしたときに何より驚いたのが、彼の「上の前歯」がなかったことだ。
それも1本や2本ではない。4本ほどごっそりとなかったのだ。
「転んで一時的に抜けているだけかな?」とも思ったが、どうやらそうではなく、ずっと上前歯なしで通しているようだった。
一応お役所仕事、彼は公務員の正職員だ。
「公務員たるもの、前歯がなくてはならない」なんて服務規程はないのだろうが、それにしても異様だった。
ただ、困ったのは実害があったことだ。
前歯がないせいで、とにかく発音が悪い。
話すたびに隙間から息が漏れて「フヒャフヒャ」と言っているように聞こえ、何を言っているのかほぼ聞き取れなかった。
とはいえ、前歯がないことも、フヒャフヒャ喋ることも、まだ許容範囲内だった。
本当に問題だったのは、5分に1回ほどのペースで、 「ん~~んっ~」 「ふぁ~あぁ~」 と、オフィス中に響き渡るようなデカい声でため息をつくことだった。
目の前でこれを連発されるたびに、こちらのやる気はガリガリと削がれ、私は完全に無表情になって彼を睨みつけていた。
さらに、この前歯なしオジサンはパソコンのキーボードを人差し指だけで叩く、典型的な「人差し指打ち族」(一本指打法)だった。
当然、仕事を進めるのは人一倍遅い。
そのため、彼はほぼ毎日のように残業をしていた。
ただ、彼の担当業務はさほど多くない。
「仕事が終わらない」というよりは、実質、残業代を稼ぐために残っているのだと思われた。
皆が帰ったあと、夜遅くまで一人で部屋に残っていると聞いていた。
そんなある日、職場に激震が走った。
あの前歯なしオジサンが、業務用のパソコンで「変なサイト」を見ていたことが発覚し、懲戒処分(厳重注意)を受けたというのだ。
実は、職場のパソコンはセキュリティが非常に厳しかった。
業務に関係のないサイトを開こうとすると、画面に大きく禁止マークと警告文が表示され、その都度本部に報告がいく。
さらに3回リトライすると画面にロックがかかる仕様になっていた。
前歯なしオジサンは、そのガチガチの網をかいくぐって変なサイトを閲覧していたのだ。
普段は人差し指でポチポチ打っていたのに、皆が帰って一人になった瞬間、鮮やかなブラインドタッチに変身し、本部のブロックを次々とハッキングしていたのだろうか。
「実は、出来ないフリをしているだけのものすごい天才ハッカーなのでは……」と、私は想像した。
その後、そのオジサンは「緩い地方の事務所では対応が甘くなる」という理由で、超厳しい本部の部署へと異動になっていった。
今頃は前歯も入れて、滑舌よく、本部のシステムで天才ハッカーぶりを発揮していると良いのだが。
※ 結局、どうやってその強固なブロックを解除したのかは、誰にも分からなかったらしい。 周りは「たまたまバグか何かで繋がっただけでしょ」と笑っていたが、私の中では未だに、彼は正体不明の天才ハッカーだったのだと思っている。
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