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ゎッホ展は、私の「奜き」を教えおくれた。

0.ゎッホ展で、䞀番立ち止たった䜜品

先日、『倧ゎッホ展 倜のカフェテラス』を芳に行っおきたした。
本蚘事ではそのずきに抱いた感想を、以前東京郜矎術通で開催された『ゎッホ展 家族が぀ないだ画家の倢』ずの比范を亀えながら曞いおいきたす。

『倧ゎッホ展』に行けば、目玉䜜品である《倜のカフェテラス》の前で最も長く足を止めるこずになる

私も、そう思っおいたした。

しかし、実際は違いたした。
䞀番長く立ち止たっおいたのは、ゎッホではなかった。

マクシミリアン・リュスの郜垂颚景
カミヌナ・ピサロの颚景画
ゞョヌゞ・ヘンドリック・ブレむトナヌの《工堎の少女たち》。

そしお、ゎッホならパリ時代の《草地》や《野の花ず薔薇のある静物》だった。

逆に、《倜のカフェテラス》ずいった本展芧䌚の代衚䜜には、それほど心が動きたせんでした。

もちろん、䜜品ずしおの䟡倀を吊定したいわけではありたせん。

ただ、自分の「奜き」は、䞖間䞀般の「ゎッホらしさ」ずは少し違う堎所にあるこずを、この展芧䌚ではっきりず自芚したした。

私は䜕を芋お、矎しいず思ったのだろう


1.前回の展芧䌚は「ゎッホになるたで」を描いおいた

今回の展芧䌚を芋ながら、自然ず思い出したのが、以前東京郜矎術通で開催されおいた『ゎッホ展 家族が぀ないだ画家の倢』です。

前回の展瀺は、䞀蚀で蚀えば「ゎッホになるたで」を描いた展芧䌚でした。

バルビゟン掟やミレヌ、ハヌグ掟、印象掟の䜜品が䞊び、それらをゎッホがどのように受け取り、自分の衚珟ぞず翻蚳しおいったのかが、展瀺党䜓を通しお語られおいたした。

私はそのずき

A他者の䜜品
→ A'ゎッホによる翻蚳
→ Bゎッホ以埌の衚珟

ずいう構造で蚘事を曞きたした。

ゎッホを「孀高の倩才」ずしお神栌化するのではなく、数倚くの画家たちずの察話の䞭から生たれた存圚ずしお䜍眮付け盎した展瀺だったからです。

だから私は、あの展芧䌚を「物足りなさはあるが、知的な展芧䌚」ず評したした。

䞀方、今回の展芧䌚はどうだっただろうか

《倜のカフェテラス》をはじめ、有名䜜品も倚く、玔粋な満足床は高いず思いたす。
しかし展瀺党䜓ずしお芋るず、基本は時系列に沿っおゎッホの画颚の倉遷を远っおいく構成でした。

もちろん、モネ、ルノワヌルやピサロずいった同時代の画家たちの䜜品も展瀺され、ゎッホが受けた圱響に觊れる堎面はありたす。

だが、それらはあくたで「この時期にこういう画家がいた」ずいう補足に近く、前回のように展瀺党䜓で䞀぀の思想や論旚を組み立おおいるずいう印象は受けたせんでした。

展瀺ずしおの完成床が䜎いずいう意味ではありたせん。
ただ、「ゎッホずは䜕者か」ずいう問いに察する明確な䞻匵は、前回ほど匷くは感じられたせんでした。
そしお、その印象をさらに匷めたのが、本展における《倜のカフェテラス》の扱われ方でした。


2.《倜のカフェテラス》を芋せるための展芧䌚だったのか

今回の展芧䌚で、最も倧きく扱われおいた䜜品は、蚀うたでもなく《倜のカフェテラス》です。
展芧䌚のタむトルにも䜜品名が䜿われ、広告やポスタヌでも前面に抌し出され、䌚堎内で写真撮圱が蚱可されおいたのもこの䜜品だけでした。

実際、《倜のカフェテラス》の前には長い列ができおいたした。
それは䜜品を鑑賞するためずいうより、䜜品の前で写真を撮るための列です。

もちろん、写真を撮るこず自䜓が悪いわけではありたせん。展芧䌚の蚘憶を残したいず思うのは自然なこずですし、撮圱をきっかけに矎術に関心を持぀人もいるでしょう。

それでも、私はその光景に少し違和感を芚えたした。
目の前に䜜品があるにもかかわらず、䜜品を芋る時間より、写真を撮る順番を埅぀時間の方が長くなっおいる。

䜜品そのものよりも、「《倜のカフェテラス》を芋た」ずいう蚘録の方が重芖されおいるようにも芋えたした。
䞀䜜品だけを撮圱可胜にしたこずで、展芧䌚偎もたた、「この䜜品を芋た」ずいう蚘録を特別なものずしお挔出しおいたように思えたす。

ただ、これは本圓に絵を芋るための時間なのでしょうか

たた、展芧䌚のタむトルに《倜のカフェテラス》を掲げるのであれば、アルル時代のゎッホをもう少し厚く芋せる構成も考えられたはずです。

しかし、本展で展瀺されおいたアルル時代の䜜品は、《倜のカフェテラス》ず《倕暮れ時の刈り蟌たれた柳》の二点でした。

ゎッホがパリからアルルぞ移り、印象掟から孊んだ色圩や光を、自分自身の衚珟ぞず倉えおいった重芁な時期です。

浮䞖絵から受けた圱響。
鮮やかな色面ず、奥行きを抑えた構成。
珟実の再珟から、感情衚珟ぞの転換。
そしお、ゎヌガンずの共同生掻。

など、アルル時代には「ゎッホがゎッホになる」うえで重芁な芁玠がいく぀もありたす。

しかし、今回の展瀺では、その倉化を十分に蟿るよりも、《倜のカフェテラス》ずいう䞀぀の有名䜜品を、展芧䌚の象城ずしお匷く抌し出しおいるように感じられたした。

その結果、䜜品は展芧䌚の論旚を支える䞀郚ずいうより、人を呌び蟌むための看板に近づいおいたのではないでしょうか。

前回の『ゎッホ展 家族が぀ないだ画家の倢』では、個々の䜜品の知名床以䞊に、䜜品同士の関係が重芖されおいたした。

なぜ、ここにミレヌがあるのか。
なぜ、この䜜品の隣にゎッホが眮かれおいるのか。
その配眮自䜓が、ゎッホの倉化を語っおいたした。

䞀方、今回の展芧䌚は、《倜のカフェテラス》ずいう䞀枚の有名䜜品を䞭心に、ゎッホの画業を時系列で䞊べた構成に芋えたした。

豪華な䜜品が䞊んでいるこずず、展芧䌚党䜓に明確な䞻匵があるこずは、同じではありたせん。

しかも、入堎料は2800円です。

近幎の倧型展芧䌚ずしおは珍しくない䟡栌なのかもしれたせん。
しかし、この金額を支払う以䞊、私は有名䜜品を芋られるこずだけでなく、展芧䌚だからこそ可胜になる新しい芋方や、䜜品同士の関係性を期埅しおしたいたす。

《倜のカフェテラス》を芋るこずはできたした。
しかし、《倜のカフェテラス》を通しお、ゎッホをどこたで芋るこずができたのか

私には、その問いが最埌たで残りたした。

名画を芋せる展芧䌚だったのか
それずも、名画を入口にゎッホを芋せる展芧䌚だったのか

私には、その二぀が最埌たで重なりきらなかったように思えたした。

だからでしょうか。
私は次第に、展芧䌚党䜓が䜕を語ろうずしおいるのかではなく、
目の前にある䞀枚䞀枚の䜜品ぞず意識を向けるようになっおいたした。


3.展芧䌚の物語から、䞀枚の䜜品ぞ

そうしお䞀枚䞀枚の䜜品を芋おいくず、䞍思議なこずに、本展の目玉ずは別の堎所で䜕床も足が止たりたした。

第1章では、ブレむトナヌの《工堎の少女たち》。
第3章では、ピサロやモネ、リュスの䜜品。

いずれも矎術史に名を残す画家たちですが、本展では、ゎッホの画業を説明するための「脇圹」ずしお配眮されおいたした。

しかし、私が䜕床も立ち止たったのは、むしろその「脇圹」たちの前でした。

郜垂の空気が挂うリュス
静かな湿床を感じるピサロ
凛ずした䜇たいを芋せるブレむトナヌの《工堎の少女たち》

気が぀けば、「ゎッホを芋る」ずいうより、「圌らの絵をもっず芋おいたい」ず思っおいたした。

もちろん、それらはゎッホに圱響を䞎えた画家たちでもありたす。

だが、その時の私は、「ゎッホぞの圱響」ずいう文脈を忘れ、䞀人の鑑賞者ずしお䜜品に魅了されおいたした。

そしお第四章
いよいよパリ時代のゎッホが珟れたす。

《草地》
《野の花ず薔薇のある静物》

そこには確かに印象掟の色圩がありながら、すでにゎッホらしさも倧きく芜生え始めおいたした。

私は、この時代のゎッホに匷く惹かれたした。
しかし、そのあずアルル時代ぞ進むず、䞍思議なくらい印象が倉わりたす。

《倜のカフェテラス》

《倕暮れ時の刈り蟌たれた柳》

本展瀺䌚における目玉であり、䞖間では「ゎッホらしい」ず語られる䜜品たちなのに、私にはそれほど響きたせんでした。


4.奜きだった䜜品を䞊べおみる

垰宅しおから、自分が印象に残った䜜品を曞き出しおみたした。
するず、本展で繰り返し足を止めおいた䜜品には、ある共通点があるこずに気づきたした。

私が惹かれおいた䜜品には、どれも「空気」がありたした。

空気ず蚀っおも、単に遠近法が巧みだずか、そういった話ではありたせん。

湿床
颚
光
街のざわめき
草の匂い

描かれた察象だけでなく、その呚囲にある䞖界たで静かに呌吞しおいるような感芚です。

ピサロの颚景には、空気が流れおいたした。
リュスの郜垂には、街そのものの呌吞がありたした。
パリ時代のゎッホもたた、印象掟から受け継いだ光ず空気の䞭で、䞖界を描いおいたした。

䞀方、アルル時代になるず、私にはその空気が倱われたように感じられたした。

色は鮮やかで、茪郭は匷くなる。
画面は平面的になり、日本の浮䞖絵を思わせる倧胆な構図ぞず倉わっおいたす。
《倜のカフェテラス》は、ゎッホがたどり着いた衚珟の䞀぀なのだず思いたす。
しかし、それは私が最も惹かれる䞖界ではありたせんでした。
そのこずに気づいたずき、ようやく最初の問いの答えが少し芋えおきたした。

私が惹かれおいたのは、ゎッホずいう名前ではなく
䞖界が呌吞しおいるように感じられる絵だったのではないか


5.ゎッホは、空気を捚おたのだろうか

しかし、本圓にゎッホは「空気」を倱ったのでしょうか。

そう考えるず、先ほどたでの自分の芋方は、少し単玔だったようにも思えおきたした。
以前の蚘事でも曞いたようにパリ時代のゎッホは、印象掟から倚くを孊んでいたす。

光
空気
色圩
自然の移ろい

《草地》や《野の花ず薔薇のある静物》には、颚が吹き、光が差し蟌み、草朚が静かに揺れおいるような空気がありたす。

䞖界そのものが息をしおいる
そんな感芚がありたした。

ずころが、アルルぞ移るず、その空気は姿を倉えたした。

黄色はさらに黄色く
青はさらに青く
茪郭は力匷く

色は目に映る珟実を再珟するためだけでではなく、自分が感じた䞖界を衚珟するために䜿われるようになりたす。
私は圓初、「平面的になるほど、感情が䌝わりにくいのではないか」ず感じおいたした。

しかし、改めお考えおみるず、そうではありたせんでした。
ゎッホは空気を描くこずをやめたのではなく、自分が感じた䞖界そのものを描こうずしおいたのです。

珟実の倜空ではなく、「自分が芋た倜」
珟実のカフェではなく、「自分が感じた光」

空気を倱ったのではなく、目に芋える䞖界を、感情によっお組み替えた

《倜のカフェテラス》は、そのようにしお生たれた䜜品なのでしょう。
だからこそ、この䜜品は、時代や囜を越えお倚くの人を惹き぀けおいたす。

私はその衚珟を理解できなかったのではありたせん。
ゎッホのその衚珟ず、私自身の「奜き」が同じ堎所になかったのです。


6.展芧䌚は、自分の矎意識を映す鏡だった

展芧䌚ぞ行くず、倚くの人は䜜品に぀いお語りたす。

「この絵が良かった」
「この画家が奜きだった」

私も、これたではそうでした。

しかし、今回のゎッホ展では、少し違う䜓隓をしたした。
展瀺そのものを読み解くずいうより、自分自身を読み解いおいたのです。

なぜ、この䜜品の前では立ち止たるのか
なぜ、この代衚䜜には心が動かなかったのか

その理由を考え続けるうちに、自分が求めおいるものが少し芋えおきたした。

私が惹かれおいたのは、単に「空気が描かれた絵」ではありたせんでした。空気を通しお、䞖界そのものが生きおいるず感じられる絵だったのです。

街の湿床
草朚の揺れ
光の枩床
颚が通り抜ける気配

人物や颚景だけではなく、それらを包み蟌む䞖界党䜓が、䞀぀の生呜ずしお存圚しおいるように感じられる䜜品。

私は、そうした絵に惹かれおいたした。

前回のゎッホ展では、「ゎッホはいかにしおゎッホになったのか」ずいう展瀺の問いを远いかけたした。

そしお今回は、「私は䜕を矎しいず思う人間なのか」ずいう、自分自身ぞの問いを持ち垰るこずになりたした。

展芧䌚ずは、ただ䜜品を芋る堎所なのだず思っおいたした。
けれど、それだけではないのかもしれたせん。
展芧䌚ずは、自分の矎意識を映し出す鏡
なのかもしれたせん。

いいなず思ったら応揎しよう

杉山 ありがずうございたす モチベアップに繋がりたす たた、リク゚ストがあればお願いしたす