新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に(旧劇 EOE)の魅力、映像演出論、庵野秀明信者である私の解釈
はじめに
私は人生で一番好きなアニメはエヴァと即答できるくらいエヴァと庵野秀明監督作品が好きです。
自分が思うエヴァの最大の魅力は「何度でも反芻して楽しめる」ことだと思っています。
エヴァはこれまでのアニメと比較して情報の密度が違いすぎました。
設定の量、謎、セリフ、作画、映像演出。
ミサトさんの「サービスサービスぅ!」というセリフからも分かる通り、これらは全て庵野監督のサービス精神から来ていると思っています。
だから何度でも繰り返し観て、ゲームで言うところのやり込み要素のように楽しめる。庵野監督の「エヴァは繰り返しの物語です」という発言にはこのような意味もあると個人的には解釈しています。
そして、そのやり込み要素も人によって様々で、
謎の考察、キャラクター心情の読み解き、庵野監督の心情やメタフィクションとしての読み解き、旧約聖書との照らし合わせ、カップリングなど多種多様。
その中でも自分は、庵野監督の映像演出手法や引用源の分析が一番好きです。
そんな自分が、エヴァは全て好きではありますが、特に好きで、かつ世間的には激しい賛否両論のある「Air/まごころを、君に」(通称:旧劇)の魅力や映像演出論、自分なりの解釈を書いてみようと思います。
旧劇が好きな方はもちろん、嫌いな方にも読んでもらえたら嬉しいです。
なお、画像はできるだけ小さくしたものを使用しています。


魅力① 神を美しく、神々しく描ききった
物語の後半に神が登場します。
正確には、群体である人類を完全なる単一生命体に人工進化させたものであり、
知恵の実と生命の実、両方を手に入れた神に等しい存在です。
しかし神を登場させるというのは、アニメを作る人たちにとってハードルが高いものだと思います。
何故なら、神は人間を超越した神々しさや美しさを持っていなくてはならないし、クライマックスだから最もスケールが大きく、盛り上がるシーンにならなくてはなりません。
そんな難しいシーンを、旧劇では高いハードルを超え、描ききったと思っています。
では、具体的にどのような手法で美しく神々しく描いたのか個人的に分析してみました。
①左右対称の構図の多用
神(リリス)が出るシーンでは左右対称の構図が多用されています。
(ただし、正確に言うと完全な左右対称ではないです)



②画面上に幾何学模様を形成
画面上に幾何学模様や図形などのグラフィカルな絵を多用。
更に先述した左右対称の構図も多用されています。




③高密度書き込み
エヴァの世界で人や使徒が死んだ際に出る十字架や、人の魂(赤い点々)などが高密度で描写されています。
また、こちらも左右対称の構図を多用し、かつグラフィカルな絵になっています。



④ポージングが美しい
神(リリス)のポージングが美しく、どれも印象に残ります。
また、こちらも高密度書き込み等と重複します。



魅力② 旧劇に限ったことではないがキレッキレの庵野演出
これは本作に限ったことではありませんが、庵野秀明監督作品特有の構図(レイアウト)へのこだわり、リズム感テンポ感にこだわったタイミングの鬼とも言われるカット割りなど、キレッキレな映像演出は本作でもやはり素晴らしいです。
庵野監督は「映像作品はセンスの良い構図や、リズミカルなカット割りを繰り返し、観ていて気持ちいい映像にしなくてはならない」という旨の発言を幾度となくしています。
本作に出てくる劇場に鑑賞しにきたオタクの絵をバックに、「気持ち、いいの?」という文字を出すカットは、本作を鑑賞している観客に向けた、そういう意味の言葉だと私は解釈しています。

その中でも本作で見られる庵野監督特有の演出をいくつか紹介します。
①実相寺アングル
庵野監督のレイアウトで真っ先に思い浮かぶのが、ウルトラマンの監督などで知られる実相寺昭雄監督をリスペクトした実相寺アングルだと思いますが、本作でも多用されています。




②セリフを言った直後にカットが変わる
こちらもエヴァで多用されている手法。
印象に残したい強いセリフの直後に「第◯話」のようなサブタイやアイキャッチを出したり場面が変わる演出を多用しています。
本作でもシンジの「最低だ、俺って」の直後に25話のサブタイが出ています。また、その際に病院内でうっすらと流れている環境音をブツッと切るのもポイントです。
本作ラストの「気持ち悪い」もまさにその手法で、後述するオタク批判を抜きにしても、最もエヴァらしい終わり方だったのではないかと思っています。少なくとも「気持ち悪い」というセリフを強く残すことには成功しているのではないでしょうか。
シン・エヴァではそれとは対照的にものすごい長回しで終わったのも感慨深いです。
③カット変わりで擬似会話
マヤが「どうしてそんなにエヴァがほしいの?」という疑問を投げかけるセリフの後、
カットが変わって別の場面のミサトが「サードインパクトを起こすつもりなのよ。使途ではなく、エヴァシリーズを使ってね。」とその理由を説明する。
提示された疑問の答えがすぐ返ってくるスピーディーな展開となるので、シン・ゴジラでも多用されています。
④岡本喜八監督リスペクトテロップ
こちらはシン・ゴジラでおなじみなので説明不要でしょう。
庵野監督のテロップ芸はトップをねらえ!の頃から素晴らしかったです。

⑤板野サーカス
旧劇ではマクロスで知られる板野一郎氏の板野サーカスを再現したようなシーンがあります。庵野監督は板野サーカスを完全に会得したアニメーターの一人だそうです。

⑥同じものが等間隔で並ぶ美しさ
シン・ゴジラやシン・エヴァでは「単縦陣」という言葉も使われています。



⑦特撮への強いリスペクト
こちらも庵野監督作品全てに言えることであり説明不要だと思います。



⑧逆光の多用
これも実相寺昭雄監督が多用した演出です。
TVシリーズ及びエヴァ序での、ヤシマ作戦の説明を受けている時の激しい逆光は初代ウルトラマンの「故郷は地球」が元ネタだと思っています。


⑨カット割りでリズムに緩急を付ける
ミサトがシンジにエレベーター前でキスするシーンは止め絵が多用され、動きがほとんどありません。しかし、キスが終わった途端、エレベーターの扉が高速で開き、閉まり、動き出すという激しい「動」の展開となります。
庵野監督の作品では、「静止の後に急に動」、「静寂の後に急に大音量」のようなカット変わりで緩急をつける演出が多用されています。
テレビシリーズ第壱話でシンジが「逃げちゃダメだ!やります、僕が乗ります!」という静のシーンの直後に大音量でLCLが流れるカットに切り替わる、などが印象的です。




魅力③ 30年経っても新しい実験的で奇抜すぎる演出の数々
庵野監督の作品では奇抜な映像演出が使われることが少なくない、どころか多用されていますが、本作では奇抜の度合いが頭一つ抜けており、実験フィルムのような映像が多用されています。
30年前の映画ではありますが、現在の基準で考えても他に類を見ない演出が非常に多いのは魅力的だと思う一方で、
庵野監督の歪な個性やエグみが強く出ており、人を選ぶのも事実だと思います。
これらの演出は苦手な人も多いと思うし、「全面的に最高」という人も少ないでしょう。
しかし、庵野監督は「皆がそこそこ楽しめる安定したもの」と「少数の誰かが強烈に面白がれる斬新なもの」だったら迷いなく後者を選択する監督だと思っています。
そんな奇抜すぎる演出の数々を思いつく限り羅列していこうと思います。
①映画冒頭からヒロインの胸を見てオナニーする主人公のシーン
お母さんと観にいった子供は気まずかったのでは?
②アニメキャラである主人公がカメラや照明のあるセットで人形と芝居をする
シンエヴァではこれを更に進化させたような演出があります。

③英語歌詞の歌が流れるが、歌詞を和訳すると監督の謝罪
本作の大きな見せ場となる人類補完計画発動シーンで流れる、「Komm, süsser Tod ~甘き死よ、来たれ~」の作詞は庵野監督がしており、歌詞を和訳すると、
ファンの期待に応えられなかったことへの謝罪と、エヴァを作っていてとにかく辛いという監督の悲鳴が歌詞になっています。
ちなみに私はこの曲が新劇場版含むエヴァのボーカル曲の中で一番好きです。
④架空の生き物の額や手から女性器


⑤アニメなのに突如実写パートが始まる
監督によるとアニメでやれることがもうなくなったとのことです。
⑥AV女優の裸を映す

⑦声優を実写で出演させる

⑧前作を劇場に鑑賞しにきたオタクを映す

⑨映画なのに一時停止しなきゃ分からないネタを仕込む
届いたファンレターやネットの誹謗中傷、殺害予告、GAINAX本社にスプレーでされた落書きなどが一瞬だけ映されます。
なお、ファンレターやネットの書き込みは、実際のものを元にスタッフが作ったそうですが、どれもリアルです。





⑩映画が終わった後のスタッフロールなし
スタッフロールを中盤に終わらせ、本編終了後即、照明が付く。
鑑賞後の余韻に浸らせない。
エヴァらしい緩急をつけたカット割りでもありますが、こちらも詳細は後述します。
魅力④ 感情剥き出しの名ゼリフの数々
個人的に庵野さんの書くセリフの真骨頂は、人間ドラマのセリフよりも、専門用語で難しい漢字を並べ立てたオペレーターたちのセリフだと思っています。なので、そのような会話だけで進行するシン・ゴジラは自分にとってご褒美のような映画でした(庵野さんは本当に大変だったと思いますが)。
しかし、本作では人間ドラマのセリフも非常に良いです。
エヴァンゲリオンという作品は本来、庵野監督が子供の頃から観てきたアニメや特撮や日本映画のオマージュ、蓄積された表現技法を凝縮した作風ですが、悪く言うと模倣で作られています。
そんな、全てどこかで見たことのあるようなオリジナリティのないパッチワークのような作品に、
オリジナリティを込めるとしたら、「自分の人生」しかありません。
自らの人生だけは誰にとってもオリジナルなものだからです。庵野監督はエヴァをそんな方法論で作っています。
なのでエヴァの一部作品は、「ゴッホの絵」に似ていると思っています。
絵(映画)単体で観ても(完全には)魅力を理解できないが、「作者がどんな人生を歩んで、どのような価値観を持って、どのような精神状態でこの作品を作ったか」を知ることでより深く、作品の魅力を知り感情移入することができるからです。
また、庵野監督はかつて、1992年に公開された宮崎駿監督作品「紅の豚」について、「今の宮さんはパンツを脱いで全裸になっていない、もっとちんこを見せろ」といった旨の発言していました。
「無難で手堅い作りにして自分の全てをさらけ出していない、傷つくことを恐れて本音を出していない」というような意味と解釈しますが、そういった意味で言うと本作は「庵野監督のちんこを見続ける90分」と言っても過言ではないでしょう。
ミュージシャンは感情を剥き出しにして、社会への不満など魂の叫びを歌にし、聴く者の心を強く揺さぶりますが、本作はそれと同じような趣もあります。
その中で特に私の琴線に触れた庵野監督の叫び、2つのシーンを紹介します。
①シンジを初号機に送り出すエレベーター前のミサト
このシーンでのミサトの語りは全てが名ゼリフだと思っています。
頑なにエヴァに乗ろうとせず、「もう嫌だ、死にたい、何もしたくない」と呟くシンジは、もうエヴァを作りたくない庵野監督の気持ちを代弁したものですが、
ミサトの一連のセリフもまた、庵野監督のこれまでの人生のポジティブな気持ちを吐露し、鼓舞するものだと解釈しています。
中でも「今の自分が絶対じゃないわ。後で間違いに気づき後悔する。私はその繰り返しだった。ぬか喜びと自己嫌悪を重ねるだけ。でもその度に前に進めた気がする。」というセリフはエヴァ全体の中でも屈指の名ゼリフだと思っています。
また、この語りの中で、他にも気になるセリフがあるのですが、それは後述します。
②人類補完計画発動のトリガーとなるアスカへの首絞め
助けを求めて縋るシンジにアスカが拒絶する精神世界でのシーン。
このシーンが人類補完計画発動のトリガーとなることからもシンジにとって心に深い傷を負ったシーンであることは間違いないでしょう。

このシーンは庵野監督の失恋経験がベースになっていると推測しています。
エヴァは庵野監督の人生が投影された作品であることは前述した通りですが、
エヴァでキャラクターが叱責されたり罵倒されるシーンは庵野監督が言われたことや経験したことが元になっていることが多いです。
庵野監督が作品を作って鬱になったりする理由に、破滅的なまでに内罰的な物語作りをするからというのもあると思っています。
私自身も人生で一度だけ失恋鬱になったことがあり、その際に観た本シーンのアスカのセリフ
「じゃあ何もしないで。もうそばに来ないで。あんた私を傷つけるだけだもの。」
「あんた誰でもいいんでしょ。ミサトもファーストも怖いから、お父さんもお母さんも怖いから。私に逃げてるだけじゃないの。」
「それが一番楽で傷つかないもの。」
「ホントに他人を好きになったことないのよ!自分しかここにいないのよ!その自分も好きだって感じたことないのよ!」
というセリフは全て自分のことを言われているようで、本当に辛く、過去の行動を恥じました。
幾度となくリピート視聴している本作ですが、この状態で観た旧劇が一番響いたことを今でもよく覚えています。
失恋鬱は辛かったですが、その状態で本作を鑑賞でき、新たな発見が多数あったことはとても貴重な経験だったと今でも思っています。
ちなみに、シンジの「「助けてよ…ねえ誰か僕を…お願いだから僕を助けて。助けてよ…助けてよ…僕を助けてよ!一人にしないで!僕を見捨てないで!僕を殺さないで!」の後のアスカのセリフは正しくは「嫌」ですが、ずっと「いいよ」と聞こえていました。真逆の意味ですね。
BDで字幕付けて視聴するまでずっと間違えていました。
魅力⑤ グロテスク&バイオレンスとアスカのラストバトル
エヴァンゲリオンの魅力の一つにグロテスク&バイオレンスというのは間違いなくあると思いますが、本作ではTV版から更に磨きがかかっています。
本作ではシンジ&初号機のアクションシーンはありません。理由は庵野監督がエヴァを作りたくなかったからです。
シンジは庵野監督であり、シンジが頑なにエヴァに乗りたがらないのは、庵野監督がエヴァを作りたくないという明確な意思表示です(逆に貞本エヴァこと漫画版では初号機のアクションシーンがあります)。
そこで本作のアクションシーンはアスカ&弐号機が担当しています。
そもそもアスカはエースパイロットとして鮮烈に初登場して以降、持ち前の明るさでテレビシリーズ中盤の物語を大いに盛り上げました。
しかし終盤になると彼女は使徒に勝てなくなります。
勝てなくなると精神的に不安定になり、更に勝てなくなるという負のループに陥ります。
負ける理由について、メタ的な考えですが、物語の主人公はシンジであり、シンジが勝たないと話が進まないという理由もあったと思います。
そんなアスカは本作であるラストバトルでも負けてしまいます。
しかし、その負け方はグロテスク&バイオレンス、強烈なものであり、
彼女のその熾烈な姿に観るものを惹きつけ、心に強い爪痕を残します。
これが私が思う彼女の最大の魅力であり、新劇場版シリーズの最終作、シンエヴァでもアスカのラストバトルコンセプトは本作と同様だったことは、アスカの凄惨な姿に心を痛めつつも、とても嬉しかったです。


魅力⑥ クラシックの名曲を多用した神聖で衒学的な雰囲気
本作ではクラシックの名曲が多数使用されています。
弐号機と量産機の戦闘シーンで流れる「G線上のアリア」や、
実写シーンで流れる「主よ、人の望みの喜びよ」は本当に美しく、
旧約聖書の用語が多数出ることも手伝い、ロボットアニメとは思えない、非常に神聖な雰囲気作りに成功しています。
思えばエヴァはこういった神聖だったり、意味深だったり、謎めいた雰囲気作りが非常に上手かったと思います。
しかし、それらの謎や旧約聖書モチーフは全て、物語に深みを出すためのショーウィンドウの飾り付けで、ただ衒学的なだけ。それが物語のメインではないということを庵野監督が明言しています。
本作でもリツコを射殺する直前のゲンドウのセリフが意図的に伏せられており、含みを持たせた、視聴者に推測の余地を残した演出をしています。
また、アスカの有名なセリフ「エヴァシリーズ…完成していたの!?」も、量産機は視聴者にとって何の前情報もないパッと出の存在(=ご都合展開)だが、作中のキャラクターは知っていたことにすることで、ずっと前から計画があったように見せるハッタリを効かせた演出も、エヴァらしいと思います(死海文書など、テレビシリーズの頃からこの手法は多用されていた)。
私の解釈① 何故オタク批判をしたのか
本作はアニメに耽溺するオタクを批判した作品であると庵野監督が明言しています。
前述した通り、劇場にエヴァを観に来たオタクを映して「お前らこれだけキモいんだぞ、鏡を見ろ」というメッセージを込めたり、スタッフロールもなくピシャリと終わって一切の余韻を残さないのも「現実へ帰れ」というメッセージがあったとのことです。
エヴァに過剰に依存するアニメオタクたちが心底嫌になりこのようなメッセージを込めたことは間違いないと思います。
しかしここで一つの疑問が浮かびます。
庵野監督自信も物心ついた頃からウルトラマンや宇宙戦艦ヤマトなどのアニメや特撮に耽溺してきたオタクです。
そのオタクが何故、「アニメに依存するな、現実に帰れ」というメッセージを出したのでしょうか。
一つは「同族嫌悪」だと思います。
作中にも
アスカ「あんた見てるとイライラすんのよ!」
シンジ「自分みたいで?」
というセリフもあります。
しかし、私はもう一つ理由があると思っています。
それはミサトのエレベーター前での語りにあるセリフ、
「自分が嫌いなのね。だから人も傷つける。自分が傷つくより人を傷つけた方が心が痛いことを知っているから。」
というセリフに詰まっていると思います。
作品内に自分の気持ちを全てブチ込み、非常に内罰的な物語作りをする庵野監督ならあり得るのかなと、個人的には解釈しています。
私の解釈② 「気持ち悪い」の意味
本作はアスカの「気持ち悪い」というセリフで幕を閉じます。
色々な解釈がありますが、私の解釈を3つ紹介します。

①オタク批判
恐らく最も有名で、真っ先に語られる説。
アニメに耽溺しているオタクキモい、テレビの前で2次元キャラでオナニーしているオタクキモい、生身の女性が目の前にいても一切手を出さずオナニーするオタクキモい(冒頭のシンジ)など、細かい説はいろいろありますが、「スタッフロールなくピシャリと終わらせてオタクに水をかけて帰ってもらおうとした」と庵野監督が明言している以上、そのセリフにもそういう意味がある可能性はかなり高いと思います。
②伏線回収
人類補完計画で人類が完全単一生命体になるも、シンジが精子のようなLCLの海の中でそれを望まなかったシーンで以下の会話があります。
レイ「他人の存在を今一度望めば再び心の壁が全ての人々を引き離すわ。また他人の恐怖が始まるのよ。」
シンジ「いいんだ。ありがとう。」
カヲル「再びATフィールドが君や他人を傷つけてもいいのかい?」
シンジ「構わない」
シンジが傷ついてもいいから他人のいる世界を望み、その世界に戻ったら即他人に傷つけられて終わりという、
物語の構成としてはフリが効いていてごく自然なものだと思います。
なお、エヴァ30周年記念に公開された短編アニメ内で、惣流アスカによって「旧劇はシンジにとってハッピーエンドだった」と語られています。
他人に傷つけられてでも、他人がいる世界の方が嬉しかった、ということだったんだと思います。
③庵野監督の内罰的な終わり方
庵野監督はふしぎの海のナディアの打ち上げで、声優の日髙のり子さんに告白し、断られるも諦めきれず、「私の次の作品を観て、それから決めてください」と迫ったそうです。
つまりエヴァンゲリオンという作品は日髙のり子さんと結婚したいから必ずヒットさせる、と執念の籠った作品という一面もあったはずです。
そして庵野監督はウルトラマンから宇宙戦艦ヤマトから記憶のある限り観てきたアニメや特撮の面白いエッセンスを全て凝縮して作品にブチ込み、心血を注ぎ、鬱になりながら作品を作り上げました。
庵野監督からしたら「私の好きなものを全て込めました、人生も注ぎました、これでどうですか?」とボロボロになりながら作り上げた作品に、激しい温度差を感じながらガチ引きした日髙のり子さんが一言、「気持ち悪い」と言って終わり、というあまりに救いのない結末の隠喩ではないかという考察。現実版バクマンは、アニメを大ヒットさせても声優と結婚できない。

以上、3つの解釈を紹介しましたが、3つ全てに共通するのは、「人は人を傷つけるだけだし、人間はもう、どうしても分かり合えない」という強烈なメッセージです。
新劇場版シリーズの最終章、シンエヴァも大好きで何十回も観ましたし、名作であることは間違いないと思います。しかし、先のメッセージを持った本作の魅力もまた、格別なものだと公開から30年経った今でも、強く思うのです。
おわりに
今改めて旧劇を見直すと、謎もしっかりと解け、最高のアクションシーンも壮大なクライマックスシーンもあり、映画に必要なものは揃っていると思いました。
しかし公開当時あれだけ批判されたのは、難解でリピート視聴前提だったことや、あまりに奇抜すぎる演出の数々もありますが、一番はやはり、多くのファンが観たかったのは第壱話から中盤ぐらいまでの明るい、初号機が大活躍するエヴァだったからだと思います。
公開当時は批判の嵐で、「詐欺だ」とまで言われていた本作ですが、批判していた人たちはいつしか去り、熱心なファンだけが残った結果、現在では名作という評価がされていることはとても感慨深いです。公開から30年という時の流れ、重みを感じます。
私の考察は完全に妄想のようなものなので、「そういう考えもある」ぐらいの気持ちで軽く読んでもらえるとありがたいです。

未だにエヴァの呪縛から解き放たれていないのでかなり長くなってしまいましたが、読んでいただきありがとうございました。
シン・ゴジラの記事も書いておりますので、こちらも読んでいただけると嬉しいです。再見!
